このレビューはネタバレを含みます
永遠の不良「少年」ショーン・ペンが、自身の「少年性」と決別するために出演したと思われる映画。思えば出演作品でショーンが演じてきた役柄は、繊細な感受性を持つが故に「心の傷ついた、社会に反抗する男」が多い。この作品は傷ついた時のファッションと感受性を引き摺り続ける「少年」のロードムービーである。
主人公のキャラクター造形が非常に面白い。
かつての人気ロックスターであったシャイアン(ショーン・ペン)は妻とアイルランドのダブリンにある豪邸で、半隠遁生活を送っている。
今でも現役当時のままの派手なメイクとファッションで生活しているが、付き合いがあるのは近所のロック少女メアリー(U2ボノの娘イヴ・ヒューストン❗️)などごくわずか。
自分の作った曲に感化され、自殺したファンの少年がいる。シャイアンはその少年の墓参りをするのだが、その両親に来ないでくれと拒否されるシーンがある。
見た目50歳を超える、いい歳の彼が、シワもある弛んだ肌に化粧をして、いまだにビジュアル系ロックスターの格好をしている理由は、この少年への罪滅ぼしであるのだろう。
自分の作った曲で、人が死んだことにシャイアンは深く傷ついたのだ。
以来、曲を作ることを止めた。
当時の格好をして墓参りをするのは、明らかにファンに対する罪滅ぼしのためだ。
死んだファンの為にも昔を捨てられない。
罪悪感のあまりに、自分で自分の時間を「少年」のまま止めたである。
おそらく推測するに30年以上という長い間、シャイアンは悩み続けている。
ロックスターの偶像を守り続けるためか、非常に粗末な食事をして、家事もせず、社会に背を向けている。
しかし寄る年波には勝てず、老眼鏡をかけている。心も歳をとっており、罪悪感に悩み続ける人生から、妙に哲学的な発言もする。
外側と心のギャップがとても痛々しい。
そんな暴発寸前のシャイアンをやたらと社交的な妻が何とか支えている。
妻がいなかったらシャイアンはとっくに自殺していただろう。
それ程に痛々しく「傷ついた男」だ。
しかし映画は、彼の心をクローズアップせずに、その生活を、成長しない滑稽な人間としてコメディタッチに描く。
映画に漂う違和感は、傷ついた彼の心と滑稽な彼の行動のズレによって生じるのだ。
ある日、故郷のアメリカから30年以上も会っていない父が危篤との連絡が来る。
飛行機が苦手なシャイアンは船で向かったため、結局、臨終には間に合わなかった。
葬儀の後、ホロコーストを生き延びた父が自分を辱めたナチスのSS隊員ランゲを執拗に探し続けていたことを知ったシャイアンは、父に代わってランゲを探す旅に出る…。
シャイアンの旅は、世界を直視しなかった者が現実に触れて行く、浦島太郎のようなもの。
元トーキング・ヘッズのデイヴィッド・バーン❗️のライヴシーンが素晴らしい。
昔のミュージシャン仲間の知性溢れるステージと自分とのギャップに心が崩れるシャイアン。
半ばヤケクソに、車での旅に出る。
車を貸してくれた、自信満々のエリートサラリーマン。
バーで出会った「タトゥーはアートだ」という男へのアート批判。
はじめてカートに台車を付けたという元パイロットとの出会い。(ハリー・ディーン・スタンントン❗️)
若者とのピンポンでイカサマ勝利。
どれもが微笑ましいエピソードばかり。
とりわけ印象的なのは映画の原題にもなっている“This Must Be The Place”を、ショーン・ペンが、アコギ一本で奏でてみせるシーン。
シャイアンは、追跡するランゲの孫娘レイチェルの家で一夜を過ごすことになる。
レイチェルの息子トミーにせがまれ、彼の歌に合わせてギターで伴奏するシャイアン。
傍らにはトミーの父の写真が。まるでシャイアンが、写真の父に成り代わり、息子と一緒に歌っているかのようだ。
「親子」の共演に涙するレイチェル。
このとき、シャイアンもまた取り戻せない
父との日々を後悔する。
父に嫌われていたと、自分自身に思い込ませてきたのだということに気づき、やはり涙するのだ。
ランゲの隠れ家で、シャイアンはランゲから当時どのような辱めを父にしたのかを聞かされる。
それは、けしかけた犬に脅えて小便を漏らしたのを笑ったというものであった。
シャイアンは父の「復讐」としてランゲを全裸にして雪景色の屋外に放り出す。
シャイアンはランゲを殺すほど恨んではいない。しかしランゲを恨んでいた父に対し、同等の辱めを天国の父に捧げたのだ。
旅を通じて父親へのわだかまりを解いたシャイアンは、苦手だったはずの飛行機に乗り、派手なメイクとファッションをやめ、素のままの「大人」の姿でダブリンの街に帰って来る。
思えば、旅に出る前、シャイアンとメアリーの母親との間にはこんなやり取りがあった。
タバコを吸いながら、息子の不在に茫然としている彼女に、シャイアンが「悪いことは全部やったのに、タバコだけはやらなかった。なぜだろう」と声をかける。
すると、彼女は「それは、あなたが子供だからよ」と言う。
旅を終えたシャイアンは、空港で見知らぬ男にもらいタバコをし、苦手な飛行機で戻ってきた。
シャイアンがダブリン戻り、一瞬息子が戻ってきたと思った彼女の顔がぱっと明るくなる。
客観的に見ると、とても小さなことだった父の恨み。
シャイアンは自身のこだわりを捨て、自分の人生を素顔のまま歩き始めようとする。
帰る場所を見つけた爽やかなシャイアンの表情と姿。
やっと大人になれた。
とても心の暖まるエンディングだった。
私にはシャイアンというキャラクターがショーン・ペンの内面と被って見えた。
冒頭に挙げたように、永遠の不良「少年」であったショーン・ペンが、自身の「少年性」と決別するために出演したと思われる映画だと私は思う。
追記
ショーン・ペンのファンである私が、DVDパッケージの彼の写真から、 観るのを躊躇っていた作品。
恥ずかしながら初見です。
どう見ても売れないロックミュージシャンの破滅的な人生か、ザ・キュアの伝記映画をパッケージから想像していました。
ところがどっこい「ミルク」以来の表面から自分を消した名演技でした。
誤解を招くので、トランクを引きずる旅の写真にして欲しいですね。