平野レミゼラブル

竜馬暗殺の平野レミゼラブルのネタバレレビュー・内容・結末

竜馬暗殺(1974年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

「坂本龍馬暗殺」の犯人には諸説ある。新選組の原田左之助説、見廻組の今井信郎説、 薩摩藩黒幕説、土佐藩黒幕説、紀州藩説、英国説、凄まじいものになると中岡慎太郎無理心中説、フリーメイソン説なんてのまである。
これだけ多くの説が飛び交うのはひとえに坂本龍馬という英傑の魅力ゆえだろう。
さて、本作はそんな坂本龍馬暗殺までの3日間を追った映画である。

本作の竜馬は英雄のイメージとはだいぶ異なる。
元よりビジョンがあったわけではなく、本人曰く「木の上の猫を助けるためだけに木を切り落とすという発想の転換をしただけ」。とりあえず倒幕はしたものの、ここから先は自分にもどうなるかがわからない。
おまけに思想の違いから同志の中岡慎太郎、薩摩からも生命を狙われる始末。
新時代を切り拓いたはずが己の預かり知らぬところで政治が動いてしまったため、ただ女と駆け落ちをする計画を思い付きで話すだけの竜馬からは先行きもわからぬ焦燥が漂う。

仲違いしてしまったものの変わらずつるむ中岡慎太郎とのブロマンス要素にも溢れている。
中にはお互い女装して抱き合いながら眠りをともにするなんてシーンまであるからね。
互いに自分に無いものを持っていて嫉妬をし、斬り合いにまで発展してしまうと判断した2人の奇妙な友情は暗殺にも大きな影響を及ぼすことになる。

劇中で竜馬と慎太の密談のための隠れ蓑として利用もした「ええじゃないか運動」は本作の象徴。
先行きが見えないからこそ、意味もないものにすがり、皆で騒いで安心するしかないやけっぱちの狂騒曲だ。
竜馬を殺した刺客からそんな狂騒に紛れて逃げおおせた遊女は「ええじゃないか」の掛け声に飲まれて無表情でフェードアウトしていく。このラストシーンなんかも、ただ時代の急流に流されていくしかない孤独と諦観に溢れている。
「何がええんじゃーおまんらー!」と叫んでキレる竜馬の姿なんかも物哀しい。

撮影時期や作中で表示される「内ゲバ」のテロップを見るに、竜馬や慎太の姿を学生運動で闘争に明け暮れた学生たちと重ね合わせたのだろう。
運動のことなんか全く知らない平成ボーイの自分にも、当時の閉塞した空気が嫌になるほど伝わってきた。

坂本龍馬や中岡慎太郎の英雄性を廃し、当時の世相と重ね合わせることには流石に抵抗を感じなくもないけど、生々しい人間としての竜馬と慎太を描くという試みとしてはこの上なく成功していると思う。
「竜馬がゆく」系列の英雄像から大きく離れた「ただの人間」坂本龍馬を新鮮な気持ちで見ることができた。