あまのかぐや

フォーリング・ダウンのあまのかぐやのネタバレレビュー・内容・結末

フォーリング・ダウン(1993年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます


最近になって観方が変わった映画その2。

23年前の作品です。

マイケル・ダグラス演じるDフェンスと名乗る男。暑い夏のさなかにもシャツのボタンを上までとめネクタイをきっちりしめた厳格で几帳面なビジネスマン。ある朝突然、渋滞する道路に車を乗り捨て、彼はわが道を歩きはじめた。別れた妻の元にいる幼い娘に電話をするために。娘の誕生日を祝うために。そんなひとつの願い、彼の行く先を阻む者を、Dフェンスは手にした武器で容赦なくなぎ倒す。「ただ家に帰りたいんだ」それだけの思いのために。

マイケル・ダグラスのぶちきれバイオレンス映画かな、という印象で、ブラックなはちゃめちゃコメディとして、この映画、以前から、とても好きだったし何回も繰り返し観ている。特に暑い夏に駅の人混み歩いてるときとかわたしの中のDフェンスが目覚めそうになる。

「むちゃくちゃやりよんなぁ、でもこの不条理感わかるわかるー」ってな感じ。

以下、Dフェンス氏のストレスの源を思い出せるまま列挙してみます。 

くっそ暑い朝の渋滞。効かないエアコン、うるさいバスのガキ。
電話かけるために両替しようとコークを買った店の融通きかない東洋人の店主。
ちょうしこいて絡んでくるプエルトリカンのちんぴらグループ。
金がない、なんかくれ、となんの衒いもなく物乞いしてくる若いホームレス。
掲載写真と明らかに差があるハンバーガー屋の商品。
差別主義者のネオナチ野郎。

要所要所でストレスを爆発させ、ビジネスマンの武器アタッシェケースが「わらしべ長者」のごとく育っていく。バットになり、バタフライナイフになり、マシンガンになり、バズーカ砲になり。

そして彼の思いに立ちふさがる最大の障壁は、自分の愛を受け入れてくれない妻と子。皮肉にも。

しかし、Dフェンスの凶行を描く一方で、定年退職を迎える老刑事、ブレンダガスト氏(ロバート・デュバル)の存在を忘れてはいけない。

神経症っぽい奥さんからの頻繁な電話。職場での嫌がらせや同僚の女性刑事からの憐みのような労い。それらにプライドなんか打ち捨て、押しつぶされそうな気持ちを盛り立て黙々と生きる老境の苦労人刑事のストレスフルな生活。

ブレンダガスト氏がいつ爆発するか、こちらまでハラハラしてくる。でも爆発しない。定年前だもん彼は抑えに抑える。Dフェンスの怒り爆発は笑いながら観ていられるのに、ブレンダガスト氏の抑圧感は重くのしかかってくるものがある。彼もまた裏返しの「Dフェンス」なのだな。と。

23年前の当時より、一層、アメリカ国内での格差や貧困、異民族との共生、確執、いろんなぼんやりした不安からくる不満が、溜まりに溜まって形になりつつある、いや、なってしまった。

Dフェンスを苦しめていた、当時は「不条理」と片づけられていた諸々が明確になってしまった。定年までの辛抱とおさえにおさえてごまかしていたブレンダガスト氏のストレスの根源に気づいてしまった。のかな、という気がする。

心理的、社会的、人道的、経済的、…まだまだあるな、様々な折り合いをつけるため、うすら笑いで流していたものたちが、おさえきれないほど膨れ上がってしまった今。Dフェンスは「ディフェンス」であり、なにか古き良き時代をかたくなに守ろうとする意志と取れないこともない。


観かたが変わった映画、その3はポールハギスのクラッシュでした。これはかなり以前レビュー書いたので、そのときの思いのままとどめておきたいと思います。
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