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『波』に投稿された感想・評価

三四郎

三四郎の感想・評価

2.5
1952年の映画だが、戦前の1930年代前半の映画のような人物造形とストーリー展開で戦後の作品とは思えぬ違和感があった。
何というか、若い女性はどんな人でも過ちを犯すものだとでも言うような…?

特に、淡島千景の妹役津島恵子の描かれ方が、「モガ」そのもの。明るく率直で軽率。「現代娘」=「モガ」は,、欧米流の個人主義にかぶれ自分の意志で行動していて、何からも束縛されることのない「新しい女性」のタイプとして描き出されているが、その描写の仕方が固定観念に凝り固まっており、決して好意的には描かれていない。
恐らく作者自身も気づかぬうちに「現代娘」=「モガ」を"危うく幼稚な人物"として描き出してしまっている気がする。洋服を着てお洒落な若い女性が明るく率直で軽率で積極的で思慮が足りないように描かれるのは、小説家が男性だからか、将又、実際そういう女性が多かったのか…。

人物造形に古臭さを感じたのは当たっていたようで…、鑑賞後に調べてみると、1928年(昭和3)、7月から11月まで『朝日新聞』に連載された山本有三の長編小説の映画化だった。
☑️『波』及び『Not wanted』▶️▶️ 
 この日は、伊藤大輔を観る為に休みを取り、予約チケットも用意してたが、前々日迄確認してたチケットを紛失。席とか分かってるので、主催者や再発行をチケットぴあに頼んだが、断られた(予約券のみ入場可かつ売切れ満席)。以前はアクシデントに対応以上に、親切にして貰ったこともままあるが、そういう時代でもなくなってて、残念。仕様がなくもないが、我が子との複雑な運命·感情と、臆病に隅に控える位置を選択した·おのが心を恐れた男女の深い愛を描いた1950年前後の日米の、当時の新進(扱いは違うが)監督の、共通テーマも表現好対照のきわめて優れた作品だけを観る事に。
 『波』は、国際市場向け作品らしいが、ここでの日本独自の、強度の罪や恥の意識からくる控えめと自制·反面世界への苛立ち、時間のかかる迷いの吹っ切れなさ、それでも真実極めを避ける調和と柔和な空気が方向をさらう、曖昧も対峙を避けに避けての美徳·痛みが、戦後数年の世界に通じるとも思えぬ。
 「(過去や子供の事で、結婚の)資格は」「一緒になれぬ宿命」「嘘つき性行を責め、我が子でない疑い持ってると気づかせては。片親·敏感時でもあり。」「いい人に限って不運な人生に」「間違ったままの関係は続けてはと断ちました」「不具で血の証明より、元気である事の方が嬉しい」「あの子も、私らと変わらぬ人生を、波ごとく繰返すのかと。ーいえ、あの子こそが希望と、信じなければ」
 まだ大家と云われる前の中村の、回想の幾層もの行き来、縦の図とドンデンと同等以上に垂直を柔らげた角度の多用、それにより人間間は第三者絡みの忠告や無意識反応が主、ズームや前後移動は近代的手法や観点入れも強くはなく、豪雨や川辺等自然と倹しい造りの細い家屋の感触、時代を数年単位で跨ぐも人物の眼差しは時代に侵食されぬおっとり感、と型や権威を巧みにかわし外して、不時着地点を考えてるは、戦前と戦後を独自に捌いているフレッシュな柔軟さがある。血縁を否定にも繋がる·病いが遺伝ではなく一時的に過ぎぬと、知らず喜ぶ息子に同意を求められた佐分利の、一瞬暗くすぐに真に喜ぶ表情のシーンが全てを伝えてる。戦前、無骨も好漢そのもの、晩年、権威や威厳の権化、の間の監督でも名作乱発の脂の乗切った筈のこの頃、何故か間男もされ、妻からも軽く見られてる夫を好んで演じてる、この時代体躯·押出しでも際立ってる名優·大俳優の不思議な自虐嗜好の範囲内の作品の面もある。
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 『Not~』は、たどたどしい作風とは言えても、恐るべく力強い作品。悪意の人はいなくて、精一杯のメイン若い男女たち~田舎から都会へ向う~、周りに善意へも傾いている人がしっかりめに点在してても、運命と早とちり·性急が目一杯で人生は上手く進まない。叫びや引き裂かれるギリギリが表現され抜いてる。視界·音響に、力まかせに表現主義的な覆いが画を一気包み込み暫く支配するのはニューロティック·サイコ的色合いの強さかと思うと、より全体の画作りは醒めてしっかりしたものが見えてきて、主観と世界客観が歪んでても対等に向き合う、飾りない単純な濁りないスタイルとなる。角度変えやサイズ取り、パンや移動、表情と心理、リアクション、細かくなくとも懸命で誠実だ。激しい自己内のモラルと他人に対しても現実的対処の最善迷いが、殆ど感覚的·本能的·生理的に食い合い·葛藤を波あっても止ますことができない。やがて、一歩退いた身の隠し方が行動パターンとして本能を制して身に付き·過ぎてくる。そして、大人の配慮からの思いがけない再会(僅かにカメラ回り込んでの互いに発見し合う縦の図の現出)、考えのない互いへの一念の噴出、その限界のない止まらなさは、続けられなくなった時、否定行動に向かわせた現実·肉体の、改めて脆弱を露呈させるに至り、その哀しみ·自覚が磁力となり二人を向きを接近へ。表現と人間の肉体限界が完全同一化したラストの、必死の逃げと追いの場の摘み合う連ねの熱と力(歩道から公道の車絡み、トリュフォと似て真逆の狭い揺れめ鉄橋上や、肉体ハンディを徹底化する歩道橋階段、での全力疾走)はどんなアクションシーンをも強さで凌駕する。
 「深入りはしない質。結婚は約してない。創作に追い詰められてる·定住はおかしくなる·1人に限る流れ者。嘘は言ってない」「この日まで待って、互いに人生最高の日」「医師として面倒みるよ。ー結婚もしてないし、子供の父親も違う」「ここは未婚の母の施設。彼女は最も大きな愛から逃げることだけを考えてる」「子供へは愛情だけで未来も幸せも与えられない」「どうすればいいか、本当に分からない」「正しい選択。少なくとも二人の男女を幸せにした」「我が子に似てて一瞬抱きたかっただけ」
 序盤より緩い、カット替·前後や左右移動·暗みが強く包むトーンがムードだけ作り、この後全体的にもカットは細かさ·緻密さからはやや遠い。しかし、類例のない、力強さはこの作家特有のもの。内容も青春·社会ものに括れぬ独自の通俗的ライン。感性や運命の支配力、覚めてそれに向き合い決断·行動の場にも、最良に導く人·思想は存在しない、何も目指す方向は見えない、いい時も悪い時も。運命·身体·精神にハンディを抱えた侭の人間たちが苦しみ·互いに正直であり続け·過剰に反応行動してゆくかたち、多様な人間らの自然なネットワークも存在していても中に入り込んでの改善にははたらかない。解決ではなく、抗い·手を差し伸べ·全てを捨てきった所でやっと近づける。これほどいとおしいと現実でもフィクションでも、人を感じるも稀れ。クレジットはされてなくも、紛れもないルピノ作品と分かる。
愛されているのではなくて、相手の都合の良いタイミングになぜか居合わせてしまう佐分利ン。恋愛なんておおかたそんなものなんだろうけれども、そんな佐分利ンも裏切られ、失望と嫉妬に一生を絡めとられていく様はあまりにも人間らしくて切なくなる。桂木洋子から津島恵子という流れと、結局千景さんはスエーデン行ってしまって戻ってきやしないだろう。俺の息子ではないのだろうかと葛藤しまくる佐分利ンだが、育った息子(石浜朗)の絶対違う遺伝子感バリバリ。細部が細やかに下世話すぎて映画がどーしたとかそんなこと考える暇もない楽しさ。家族映画のいやらしさを撮らせたらやっぱし中村登。

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