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吸血ゾンビのhorahukiのレビュー・感想・評価

吸血ゾンビ(1966年製作の映画)
4.1
死してなお奴隷とされる地獄

ドラキュラ、フランケンシュタイン等のクラシカルなモンスターをカラーで復活させてきたイギリス・ハマーフィルムによる初のカラー版ゾンビ映画。『ホワイトゾンビ』に代表される労働者階級としてのブードゥーゾンビを扱いつつも、ロメロ以降のモダンゾンビ的な一面も備えた本作は、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』に多大な影響を与えたとされているらしい。

住人が次々に原因不明の奇病によって亡くなるという異常事態にある田舎村。そこの医師からSOSの手紙を受け取ったベテラン医師の主人公が娘とともに村を訪れ、原因の究明にあたるというミステリー仕立ての物語。埋葬された遺体が棺から消えていることに気づくあたりからオカルト色が段々と強くなっていく。

『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を含む全てのモダンゾンビ映画の原点とも言われる墓場の幻想シーンは、原点にして頂点と言っても良いほどに凄まじい完成度。その起点となる、次第に顔色が変化していく真正面からの顔アップの長回しの時点で既に最高なんだけど、現実と幻想の境目を暗示するかのように急に立ち込める霧によるゴシックムードと、霧と共にこちら側に流れ込んできた異界としての説得力の空間越しの横滑りがその後の大群に映画的な実在感を与えるという構築における手堅さは、これだけモダンゾンビ映画が溢れる現代においてもハマー的外連味も含めて際立ってうまい。

「命に対してどうあるべきか?」というテーマを根本に置いた本作は、序盤からキツネ狩りのシーンをもってヒロインと権力者サイドを両極端なものとして対比し、権力者サイドの遺体に対する態度からもその非道さを窺わせるという徹底っぷり。さらにはその両者を対面させ、死後の世界を信じるか?という会話をさせることで、「死後の世界を信じる」という言葉の真逆の意味を対立させるという演出もお見事。その際に、カメラをグッと横に移動させるだけで空気感をヒリヒリしたものへと一瞬で変貌させてしまうのもうまい。

本作の舞台は迷信がまだ信じられてるという、作中の世界観からしても前時代的な村で、奇病の解明のために遺体を解剖したいという医師の申し出も断固拒否されてしまうほど。科学の地位が絶対的に低いこの村では、地主が全てを支配している。村の牧師が葬儀で有難いお言葉を言ってる横を、最も救いを必要としてる者が通過するという皮肉を含めて、村人たちが取り憑かれている根拠のない主観的な正しさというマヤカシに科学という客観が切り込んでいくわけだけど、ゾンビという現象を科学サイドが証明することで、反証的に主観的とも言える死後の世界の肯定へとお話を持っていくのが映画的で面白い。

人形を使う呪術的発想も気持ち悪くて良い感じだし、説明は特にされないけどラストの顛末を見る限り魂を閉じ込める器としての機能を果たしていたのだろうから、最悪な地獄へと墜とされた人々の最大限の解放となる清々しさと思い切りの良い幕切れも余韻をしっかりと残すもので良かった。

あと本作関係ないけど、ロバートエガース監督の『The Lighthouse』のBlu-ray届いたんで、見るの楽しみです♫チラッとだけ見たんだけど、めちゃくちゃ映像が凄い!既に傑作の予感😊

R2.11.8 再鑑賞
『私はゾンビと歩いた!』が綱引きみたいな独特な儀式で誘導し、『ホワイトゾンビ』は手を組むことで操っていたことを考えると、本作の人形に血を垂らすことで同化させるのは、また違った魅力があった。どちらにしても未知の他国に対しての異国恐怖に根ざしたものでありながら、自国に異教を持ち帰る展開へと変更しているのは興味深い変化。
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