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ジプシーのときの小のレビュー・感想・評価

ジプシーのとき(1989年製作の映画)
4.2
YEBISU GARDEN CINEMAの特集上映「ウンザ!ウンザ!クストリッツァ!2017」で鑑賞。心優しいジプシーの少年が、定住社会で成長していくうちにその毒に当てられて、自分本来の「周辺人」の感受性を忘れてしまい、“一般ピープル”として絶望し、怒り、悲劇へとつながっていく。

これまでに見たクストリッツァ監督作品は2本で、ズンチャズンチャな音楽とたくさんの動物が彩る“サーカス”が戦争の中で描かれていたけれど、本作は被差別民の厳しい実態が舞台という感じ。

町(定住社会)に出たジプシーの“生活の糧”のひとつは盗みや物乞いなのだけれど、それらは定住社会では「良くないこと」である一方、自分のお金をたくさん持つことは「良いこと」である。はじめは自分の身を守るため不承不承「良くないこと」をしていた少年は「良いこと」に目覚めると、積極的に「良くないこと」を行うようになる。

すると優しい心はどこへやら、「使っていないものは誰でも使って良い」という人間の自然な感受性はどこへやら、すっかり不寛容な人間になってしまう。恋人を赦さず、自分を裏切った者には報復しないと気が済まない。自分はもう元に戻れないけれど、せめて血を分けた者たちは毒されて欲しくないと行動する。

しかし、そんな願いもむなしく「良いこと」に目覚めたジプシーの遺伝子は受け継がれ、そして「ジプシーのとき」は繰り返される。

この映画、男はみんなクズとして描かれているように思う。寛容であり続けるのは主人公の少年の祖母であり、運命を受け入れるのは少年の恋人である。定住社会に毒された少年にケリをつけるのが定住社会の花嫁であるのも必然なのかもしれない。

ジプシーの悲劇を通じて、“一般ピープル”である我々がクズであることを示唆する…、ということで、また影響され過ぎな感想を書いてしまった…。

●物語(50%×4.0):2.00
・結構シリアスで、考えさせる物語。ただし、ズンチャズンチャのせいか、良く考えないとわからない(そもそもこういう解釈でよいのかしらん)。

●演技、演出(30%×4.0):1.20
・好みは分かれるだろうけれど、やっぱり好き。

●画、音、音楽(20%×4.0):0.80
・やっぱり音楽がイイ。

●お好み加点:+0.2
・マイ解釈が当たらずとも遠からずだと信じて…。
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