あまのかぐや

八甲田山のあまのかぐやのネタバレレビュー・内容・結末

八甲田山(1977年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

数年に一度の大雪に見舞われた首都圏のかた、ご無事でしょうか。
雪に慣れた地域の方々、これしきの雪で大崩壊と、どうか呆れないでね。軍歌「雪の進軍」を頭の中で歌いながら這々の体で帰宅した方もあったでしょう。予想されたとはいえ大雪も、止むに止まれぬ全体主義も、…以下略。

ときどき原作を引っ張り出して読みたくなり、原作を読むと映像が見たくなる。

とはいうものの、ガチな雪のシーズンにみることなんか滅多にない。雪はこわい。寒さは時に発狂するほど恐ろしい。

山岳小説で有名な新田次郎原作『八甲田山死の彷徨』を元とした1977年の映画。

多分、小学生のときに初見だったと思う。加山雄三が、なにかのバラエティ番組か、または「てつこのへや」だったか撮影裏話を語ってたのをなぜか覚えてます。

そしてテレビ放送で見たとき、全身凍傷で発狂する兵士の姿よりも、夜の吹雪の中に雪像のように立つ兵隊の姿が夢にでてきて怖かった。私の幼少時3大トラウマ作品のひとつ。(「新耳袋」にも八甲田山の封印話がありますが、これは青森では有名な洒落にならない都市伝説になってるとか)

明治45年(日露戦争の2年前)厳冬の八甲田山で210名中200名に及ぶ死者を出した雪中行軍遭難事件という大惨事がありました。零下40度でも戦えるロシア軍との対戦を視野に、極寒地体験や装備の研究のための行軍でした。

実際零下40度近い冬の八甲田山にてロケを敢行したという生々しい映像。ほとんど吹雪の雪山シーンだし、白いし、みな軍服だし、なにがなんだかわからぬ、なんて突っ込みも入れられぬほど、気迫に満ちた映像。原作もまた壮絶なドキュメンタリー小説ですが、小説の気迫を少しも損なわぬ、違った意味で映画もまた傑作。

北大路欣也(顔も軍服も雪まみれで誰だかわからぬほどですが)が真っ白な中で振り絞るせりふがあります。「天は我々を見放した」。このセリフ同世代のかたなら記憶にあると思います。それと何度となく出てくる軍歌「雪の進軍」も。

実話であり、すべてモデルとなった実在の人物がいます。

まずは三國連太郎演ずる山田大隊長。精神主義を振りかざし、余計な口出しをして現場をかき回して事態を確実に悪化させ、抜き差しならぬ状況に追い詰め周りを巻き込みつつやみくもに突進する上司って…。
寒さなど気合でやっつけられる、なぜなら我らは帝国陸軍だから、とゆう戦中日本の統一された思想も。山田大隊長のいうことすること「あーあ、それをやっちゃ」とばかりやることなすこと全てが裏目。

ほらほら、あなたのまわりにもいる。
あんな上司、こんな古参の顔が今、頭に浮かびましたね。

高倉健ふんする徳島大尉は、弘前側から八甲田山を目指す。少数精鋭、科学的な根拠や、文献による事前研究。なによりこの時代としてはありえないことだろうに軍人としての威信など、この際打ち捨てて、現地の山に生きる村人をガイドに起用するのも画期的(というか、軍人の辞書にはなかった行為だろう)このガイドの村娘が秋吉久美子さんなんだが、最後彼女を村に返すときに敬意を払う軍人たちの姿が印象に残っている。驚きながらも恐縮して、また彼らの無事を祈って去っていく娘の姿も。

いっぽう北大路欣也ふんする神田大尉は青森側から八甲田山を目指す。
こちらは「平民の道案内など」とガイドをむげに断ったばかりでなく、それどころか大きなお荷物を背負っている。神田大尉の責任感と生真面目で誠実な努力を台無しにする、あとからあれこれ口を挟んできて、部隊の威信やらへんなプライドやらを振りかざす上官、山田大隊長のはた迷惑な存在。

山田大隊長がひっぱってきた大隊付きの倉田大尉(加山雄三)も、冷静で聡明な軍人にみえ、神田大尉をたてるべきを考えているようだが、そんな彼の前でも軍部の上下関係は絶大。大隊長をいさめるなんてもってのほか。歯がゆい立場。現代の、中間管理職のような表情が神田大尉や倉田大尉の顔にときどきあらわれて、身につまされる。さらに神田大尉は、プラス出自のコンプレックスも。そんな2大足枷を背負いながら己のベストを尽くそうとするが隊はあえなく全滅する。

軍国主義の愚かさ。戦時特有(?)(と思いたい)精神主義の狂気と危険性。声と態度が大きいだけの無能な指導者が引っ張る組織の脆弱さ。

それと並行して古来の「自然対人間」「日本人の自然観」といったものを、もれなくぶっこんで見事に描ききっていると感じた。「シンゴジラ」の感想を書いたときにも、そんなことを書いたような気がするけど、あの世界観に傲慢な指導者が加わった感じかと。長谷川博巳さんも、未確認生物だけでない、なにかうざくておもくて厄介なものと必死で戦ってましたね。

他にも暖かい駐屯地の会議室で、「青森隊と弘前隊と、八甲田ですれ違ったらいいんじゃね?」とか「どっちが早く到達できるかね」なんて気楽に口約束してる上層部ね(おいおいおいおい)(おまえたちのことじゃ!現場のなにがわかる!)

神田隊にいながら、最後「俺は思いどりに歩く」と離脱した緒形拳さん演ずる村山伍長。
飄々としながら現実的な信念をもってわが道をいく彼も忘れ難い(最新式の西洋式軍靴ではなく、雪靴に新聞紙と唐辛子を提案するなど随所に彼の印象的なシーンが)。

・・・しかし。

映画のラスト、ロープウェイが開通し、観光客でにぎわう夏の八甲田山を一人でのぼり「雪中行軍慰霊の碑」を見上げる杖の老人。彼がその村山伍長のなれの果てなのです。ひとり生き残ってしまった彼の虚無の表情が胸に迫ります。奢った戦争。奢った軍部。無謀な訓練・・・そして何が残ったのか。

夏は優しく母のような、冬は厳しく悪魔のような、日本古来からの大自然はかわらずそこにあるのだ、と。

そこに流れるテロップで、この訓練で生還した徳島隊も、その後の日露戦争で全員が死亡したという事実を知り、またも呆然となります。

山田大隊長のことを無能で傲慢で、と、ここまでボロっかすに書いていますが、実際映画の中でもわかりやすい悪役。しかし、最初にも書いたように実話ゆえ彼のモデルも、その遺族も実在します。映画の結末で山田大隊長が果たした責任のとりようも描かれていますが、それをどうみるか。これだけの大きな事件、しばらくは軍によって伏せられていたということも、さもあらん。

映画がつくられた70年代。CGなんか一切なし。特撮も挟まず全編冬の八甲田ロケを敢行した俳優たちの渾身の力漲る山岳サバイバルパニック映画としても日本屈指の名作ですが、それだけではない。とても深い日本ならではのメッセージがある社会派映画だと思います。邦画だからこそのストーリー。現代を生きる我々も、深く響いてくる、このメッセージ。間違いなく。現代の社会に生きるひと、働くひとの心にも。
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