番頭はんと丁稚どんの作品情報・感想・評価

「番頭はんと丁稚どん」に投稿された感想・評価

shibamike

shibamikeの感想・評価

3.0

このレビューはネタバレを含みます

オープニングに可愛い挿絵。
演者クレジットにおや?
「劇団 笑いの王国」とやたら出てくる。
何と素敵な劇団名かと思い、帰ってググってみると、戦後上方喜劇のレジェンドとのこと(戦前には「笑の王國」という別の喜劇団もいたらしい)。

ある田舎に住む若者 崑太が大阪 道修町(どしゅうまち)の老舗薬問屋「七ふく堂」へ丁稚奉公するというお話。
丁稚というと大旦那や先輩丁稚から新人がいじめられるという短絡的なイメージがあったが、本作ではそういった陰湿ないじめはない。いじめ役っぽい番頭 雁七は人間臭く憎めない男であった。

崑松(丁稚は名前の下に「松」をつける習わしがあった)のズッコケと、七ふく堂 次女のこいさんと大卒秀才イケメン新人番頭の清七(番頭は名前の下に「七」をつける)のロマンスが映画のメインであるが、頭を空っぽにして愉快に楽しめる映画だった。

大村崑は主役ということを差し引いても、群を抜いて目立っていた。ずり落ちた眼鏡に十円はげ、老若男女だけとは言わず、牛、馬、犬、猫、鳥、魚なんかからも好かれそうな人懐っこさ。人気が爆発していたというのも納得であった。

当時の世の中の様子や登場人物が魅力的で観ていて嬉しくなった。
汽車からは黒い煤が吐き出され、窓を開けた車両の乗客達は煤まみれになっている。しかし、現代のダイアぴったりの電車よりも風情があると感じてしまう。煤まみれには絶対なりたくないけど。
若い乙女達は喫茶店で恋の話に盛り上がる。理想のハンサムとして「アラン・ドロン」がリアルに用いられる衝撃(今ならジョニデ?もう古い?)
不良が詰襟というのもイカす。
丁稚達の住み込み部屋の壁には有名人のプロマイド写真。歌手、俳優たちに混じって、力士の姿も。力士のアイドル感は年々薄まっているのに気づく。
崑松に雁七が接客のいろはを教えるシーンはサンドウィッチマンのコントと同等だと思った(全然関係ないけど伊達ちゃんのゼロカロリー理論マヂ好き)。
ご隠居さんの上品な大阪弁のはんなり感はハードコアを極めており、耳を鼻セレブで撫でられているかのような気持ちに。
女中 八重(若水ヤエ子、最高)のズーズー弁には笑わずにいられなかった。ベートーベンはビートーベン、ショパンはショペン。
マヒナスターズの美声も素晴らしい。

丁稚奉公というとブラック企業の先駆けみたいな印象であったが、中にはホワイト企業もあったのであろう。今も丁稚や番頭の制度を取っているところはあるのだろうか。ありそうな気がする。しかし、いつの間にかこの制度は縮小していき、会社に勤めるサラリーマンが大半の世の中。自分には丁稚奉公は無理だなと思う。

崑松は登場シーンの時点でヤバイ奴というのがわかる。ドジをするたびに「コイツ、あほや」と自分は笑った。
喜劇は素晴らしい、笑うことは素晴らしい、と真剣に笑わせることを考えた人達が本作を作ったと思う。面白いこととは一体何なのか、笑えることとは一体何なのか?この当時の人達が出した結論の1つが「崑松」。ちょっとオツムが足りない若者のズッコケ。ドジだが家族想いでズルイ事を嫌う崑松は爽やか。しかし、現在から観たら「弱者を笑いものにしている」ということになるだろう。当時も崑松を観て傷ついていた人や良くないと思っていた人はいたかもしれない。が、声なき声だったのだろう。時代と共にその声はどんどん大きくなっていった。世間はトライアンドエラーを繰り返し、少しずつ良くなる。それは大らかさを失い、窮屈になることかもしれない。しかし、差別されていると感じる人が減っているのなら、やはり正しいことだろう。

故 中島らもは「笑いは差別だ」と言い切った。最近の漫才師で「誰も傷つけないお笑いを目指している」と言っているのを聞いたことがある。テレビで大暴れしていたお笑い芸人の多くが年を取った感のある最近の日本。歴史の最先端を生きる我々が今後触れるであろう面白いことは一体どういうものなのか、気になる。
神

神の感想・評価

4.0
丁稚の大村崑に癒される。急に現れて歌い出すマヒナスターズの声にも癒される。ザ・癒し映画。