きまぐれ熊

おみおくりの作法のきまぐれ熊のレビュー・感想・評価

おみおくりの作法(2013年製作の映画)
4.2
Filmarksで評判が良かったからストーリーいいんだろうな。
でも感動系っぽいから構えてみちゃうな。と思ってたけどちゃんとやられたわ。
後半ネタバレあり。

良かったのは特に3つ。
葬儀の独特な晴れやかさが表現されてる。
葬儀が誰の為のものなのかっていうテーマ。
示唆を分かりやすく語ってくる構図。

葬儀って不意の不幸は別として自然死だった場合、お通夜は驚きで悲しいムードだけど、お葬式当日は久しぶりに会う親戚や友達だったりと会うから割と会食中の空気は明るかったりする面も多いんだよね。
ある意味同窓会的な儀式としての意義も大きいと思っていて、自分はそう言う空気も悪いものではないと思う。逆にこういう機会でしか会えない様な間柄もある訳で、この映画はそう言う貴重な機会としての葬式を捉えている。監督は民生委員の記事を見た事がきっかけで脚本を書き始めたとのことで、その視線はめっちゃ真摯でフラット。感動させようとか悲しいものだと訴える押し付けがない事から、かなりじっくり葬儀という儀式のあり方に向き合って作ったんだろうなと思わされる。

ストーリーも悪くはない。結末よりも過程に面白さがあるロードムービー的なつくり。死者の人生を順番に拾い集めるのは余白が深くて空気感がずっと面白い。押し付けの感動ではなく、極端なケースを使って誠実にテーマについての議論を見せてくれる。

とにかく良かったのがアイディアが詰め込まれた数々の構図。あまりお喋りをしない主人公に変わってストーリーを雄弁に語る。
原題Still life(静物)の名に恥じない丁寧で分かりやすい映像での語りが素晴らしい。地味だけどいいショットがいっぱい。
イタリア人の監督らしいんだけど(映画自体はイギリス映画)、小津安二郎フォロワーらしくてその影響も濃いと言う解説を読んだ。見た事ないので見てみたいな。

孤独死した向かいの老人の部屋の窓の中にに映り込むジョン。ホームに居る常に見送る側でしかないジョンと、それを残して走り去っていく電車。誰かが死んでも変わらないいつもの風景。
映像で語るとはこういう事だって構図が満載でしかも分かりやすい。
こういうのって監督が日々ネタ帳に書き溜めてんのかな?サラッとやってるから凄さが伝わりづらいけど、ストーリーを追って撮るだけなら絶対入れ込めないアイディアのある対比が満載。どのタイミングで閃くんだろう。


孤独死についてのテーマの様な映画に見えるけど、根っこは多分そこではない。追っていく老人は孤独死してもおかしくない、と感じさせる背景が補強され続けるからだ。そんな人もいるし、それについて議論する為にジョンが奔走している訳ではない。
ラストシーンの必然性を考えると葬儀が何の為にあるのか。そこに意味はあるのか?っていう問いだと思う。
その問いを突き詰めていくと、孤独死した人間に葬儀を行なっている事に意味はあるのかというケースに突き当たる。
平たく言うと孤独死した人の為に国の税金で葬儀あげる事に意味あんの?なくね?っていう疑問に対するアンチテーゼだよね。
それを追求すると当然、そもそも葬儀って何の為の物なの?っていう命題を考えざるを得ない。
個人的には見送る側の為の儀式だと思う。イヤミな上司の言う通り。

映画としてのアンサーを考える為に重要なのがラストシーン。



ここからネタバレありです。



ラストでジョンの墓に今まで弔ってきた死者達が、ジョンを見送る側となって集まってくる訳だけど、素直に見れば、「ジョンのやってきた事は無駄じゃなかったんだな」となる感動的なシーンではある。でも重要なのは、ここにジョンは現れなかったって事だ。
同じ霊であるはずのジョンが映されなかったのはなぜか。
恐らく2点の意図がある。
矛盾を残す事でこのシーンが願望である事を描くため。
葬儀には見送られる側は存在しないという再確認。

葬儀には見送られる側は居ないんだよね。それは最後のジョンへの死者たちの参列シーンにおいてもなお同様だ。
だからジョンが見送られた事を自覚したのか、どういう気持ちだったのか(まあ大体想像はできるが)、はラストシーンでは汲み取ることができない。
結局のところ、葬儀には見送る側しかいなくて、そこにあるのは見送る側の祈りでしかない。たとえ感謝されていてもそれを知覚する事は絶対にない。

また、意図的だろうと思われる矛盾点について。霊が存在するシーンで、同じく霊としてそこにあるはずのジョンが居ないのは筋が通らない。筋が通っていないのだから、実際に霊がジョンを見送ったのか、はそう言う意味ではシナリオのロジックとして疑わしい。
けど、そうであってくれ!っていう祈りを表現したのだと思う。製作者にとっての、あるいは視聴者にとっての代弁となるシーンかもしれない。そしていずれにせよその祈りは見送る側の都合でしかない。多分そういうシーン。
だから、葬儀は見送る側の祈りでしかない。見送る側の儀式でしかない。という事が最後まで徹底されてるいいラストだと思う。

そう考えると、税金で葬儀をあげるって言うのがいいよね。ある意味、社会の意思で運営されている訳で、具体的な身寄りがなくても代わりの意思として民生課の誰かが弔う事に、社会としての最低限の意思を感じられるので。後任のおばちゃんがめっちゃ雑な散骨してて、ジョンが「コイツはダメだ...」って去るシーンがあったけど、個人的にはあれでいいんすよ。とにかく形として孤独な人を弔えるという社会である事がまず重要。ジョンみたいな聖人がいる事に越した事はないけど、個人の資質に問う社会は脆弱だ。
これが企業であれば“代わりの誰か”にはなり得ない。凄い文化だと思う。
アイアムまきもとの予習としてみたはずだったんだけど、この文化の無い国でやっても...重さが違うなぁ。
きまぐれ熊

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