あまのかぐや

グローリー/明日への行進のあまのかぐやのネタバレレビュー・内容・結末

グローリー/明日への行進(2014年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

一昨年だったか、アカデミー賞授賞式でのジョン・レジェンドとコモンの主題曲パフォーマンスが素晴らしかった、という思い出。

「グローリー」というタイトルを聞くとまずあの曲が浮かぶのですが、この邦題はその曲まんまだったですね。原題は「SELMA」。たしかにこれじゃ日本ではインパクトないな。しかし、アメリカでは、この「SELMA」という地名だけでいろいろな人がいろんな感慨を覚えるんでしょうね。

わたしは日本に来た外国人に日本の良いところをみせたり体験させたりして「ニッポンスバラシイ」って言わせる番組が大嫌いです。海に囲まれた島国だから何とでもいえる。一歩外に出れば国境線が曖昧になりつつあるグローバル社会、白人メインの社会において、日本人は、この当時の黒人ほどではなくとも、世界から嘲笑をもって「暗に(これがくせもの)」差別を受けているぐらいの存在だと思っています。(言い方は問題あるかもしれませんが)
人種というものに対して明確に区分けしようとする、実は現在までも脈々と続いている、大きなアメリカの負の歴史、海の向こうの他人事とは思えず、なんとなく恐怖心をもって観入ってしまいます。

この実話を知ると、人種問題の歴史など、もっと歴史を知りたくなるし、いっぽうでここ近年のアカデミーアワードの背景から、大陸の南部北部、西部東部の問題、アメリカ大統領選挙のニュースまで、深い関心をもって観ることができるだろうなぁ、と不勉強な自分を悔やみます。もっと勉強しないとね。

1963年、かの有名な「I Have a Dream」のスピーチも過ぎ、ノーベル平和賞を受賞した直後1965年あたりから話は始まります。有名なスピーチもそれまでの生涯も、1968年暗殺されるという結末も映さず、ただアラバマ州のセルマという町から州都モンゴメリーに向かう行進をど真ん中に据えた、この潔いぶった切り方が、だらだらと伝記を見せられるような映画よりも見やすいな、と感じました。なんとなく伝記のなかの偉人であった「キング牧師」の人間味が感じられる場面もちらほら。

デヴィッド・オイェロウォのスピーチ力もさることながら、時折、差し込まれる挿入歌のタイミングと楽曲が素晴らしい。ズルいよ、こんなの泣かないわけないじゃんか。

一番グっときたのは、ラストのラスト、エンドロールで満を持して流れる「グローリー」(歌ラップも合わせてね)でしたが、キングが電話で聞く女性歌手の独唱は鳥肌ものでした。あの歌手が愛人だったのでしょうか。

キング牧師のカリスマ性もわかるし、周りで彼を立てる賛同者たちの信念もわかる。これでもかとばかりアラバマ州の白人や公務員の横暴さを見せられ、彼らに人間らしい権利を!選挙権を!と願ういっぽうで、キング牧師のまわりは教養ある穏健派がいると同時に、どうにも統制の難しい若い強硬派や、描かれない外側に、知識や教養に欠け、ひたすら暴力をもって訴え抵抗する黒人がいたことも確かなことだと思う。片方からの視点では、なにが正義かはわからない。

橋での惨劇を見せるのも、実際の当時の映像を混ぜ、そうでなくとも、ものすごく心に訴えかけてくるシーン。涙なくしては観られないのですが、これをテレビで中継させて、アメリカ中に知らしめ白人の支持者を増やしたというね…策略ではなかろうか、などと頭の隅でチラっと感じたりもして。泣きながら。

だから一方からの視点からでは、ホントの正義は語れない。

現実的な人種差別とは別の地平にいる黄色い小さい人たちは、差別などという話を乗り越えた場所で、公正な目で、彼らの長年にわたる争いをジャッジできるぐらいな立ち位置になれればいいね。将来。

ときどきテロップで流れるFBIの盗聴関連の機密文書と、エドガー・フーパーが不気味でしたな。

なーんて、ひねくれたことばかり書いてるけど、感動作であることは間違いないし、エンディングはバスタオル抱えてボロ泣きだったのよ。音楽、演技力、スピーチ、…それらを劇的にまとめた編集が神。
あまのかぐや

あまのかぐや