タケオ

マドモアゼルのタケオのレビュー・感想・評価

マドモアゼル(1966年製作の映画)
3.7
 主人公マドモアゼル(ジャンヌ•モロー)が貯水池を破壊して、フランスの小さな田舎町を浸水させてしまうという衝撃的な場面から物語は始まる。人々が慌てふためく様を見て恍惚感を覚えながらも、どこか退屈そうな表情を浮かべるマドモアゼル。「人間の二面性」という本作のテーマを早々に提示してみせる見事な冒頭場面だ。
 普段は小学校の教師をしているマドモアゼル。都会風の美しい風貌もあり町中の人々からは慕われているが、その裏の顔は町中で立て続けに起きている洪水事件や放火事件の真犯人。婚期を逃した「焦り」や閉鎖的な田舎への「破壊願望」が、彼女を凶行へと駆り立てているのだ。しかし町中の人々は、マドモアゼルではなくイタリアから引っ越して来たばかりの木こりマヌー(エットレ•マンニ)に疑いの目を向けていた。マヌーがよそ者だからという理由も確かにあるが、何よりも町中の男たちは、イケメンで筋骨隆々で事件が起こるたびに英雄的な活躍をする彼のことが妬ましくてしかたないのだ。もちろんマドモアゼルも、自らの破壊活動の邪魔をするマヌーのことが気に食わない。腹いせに自分の生徒となったマヌーの息子ブルーノ(キース•スキナー)を虐める毎日が続いていたが、次第にマドモアゼルは事件現場で救命活動を続けるマヌーの姿に惹かれていってしまう。緊張感に満ちた複雑な人間模様は、マドモアゼルとマヌーが体を重ねたことで思わぬ方向へと転がっていく。
 吸血鬼、狼男、フランケンシュタインの怪物etc•••。映画には古今東西様々な「怪物」が登場しては私たちを楽しませてくれるが、結局のところ「人間」ほど恐ろしい「怪物」はまずいない。「人間」という残忍で野蛮で強情な生き物が引き起こす凶行は、他のどの「怪物」よりも滑稽で陰惨なものばかりだ。本作の登場人物たちも誰もが皆、心の中に醜い「本性」を秘めている。マドモアゼルが起こす事件の数々は、そんな彼らの化けの皮を情け容赦なく剥がしていく。そしてもちろん、マドモアゼル自身の「本性」も。美しいフランスの田舎町に渦巻く「怪物」たちのドス黒い感情が、鑑賞しているこちらにまでドロリと纏わりついてきた。
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