ひねりなし。ただ逃げる、追いかける。命を懸けた鬼ごっこ。働く場がなく、治安も悪いメキシコからアメリカへと不法入国を試みる移民たちが、国境近くの砂漠で謎の襲撃者に命を狙われるサバイバルスリラー。
アメリカでは移民を侵略者とみなす「自警団」が実際にいるから、謎の襲撃者がいても不思議ではない。そして彼らが「自警」するのも理屈がある。
ひとつは、『皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇』とか『カルテル・ランド』とか『ボーダーライン』とかを観るとわかるけど、メキシコ国境地帯で勢力を拡大する麻薬カルテルの存在。
もうひとつは、行き過ぎた格差拡大で不満が爆発寸前なところへの不法移民の流入。
そしてアメリカ人の感情は次のようだろうと。(http://www.sankei.com/west/news/160528/wst1605280007-n3.html)
<「不法移民は税金も払わず社会に埋没。米国の白人労働者の考え方では、不法移民は納税という国民の義務を果たさずに社会保障にただ乗りしているので許せない。“これは侵略だ。戦争だ。不法移民と麻薬の流入をこのまま許せば国が崩壊する”。国境沿いの住民は無策な政府に失望しているのです」>(米大統領研究者の西川秀和氏)。
なので、こうした人達の票を取り込むため、トランプ大統領はその効果はどうあれ、米国とメキシコの国境に壁を築くと公約して、彼らのハートをわしづかみにしたのですな。
しかしながら、本作では白人のオジサンに不満があることはわかるけれども、社会的背景はほぼ省かれていて、可哀想なメキシコ移民VS狂気のアメリカ白人みたいな感じになっている。
それはもちろん、監督に社会的背景なんて描く気がないから。この映画の脚本を書いたホナス・キュアロン監督が父アルフォンソ・キュアロンに見せたら、オレもこういう映画撮りたいということで『ゼロ・グラビティ』ができたそうだから、身ひとつしかない環境(本作は砂漠)でサバイバルするというコンセプトなのだろう。
しかし、同じコンセプトでありながら、『ゼロ・グラビティ』は面白かったけれど、こちらはイマイチだった。スケールの違いかなぁ。やっぱり、しょぼいんだよね。結局、砂漠での鬼ごっこだし。それに、この映画の設定だと「麻薬戦争」が刷り込まれている自分にとっては、それをスルーされると拍子抜けなんだよね。
どうせなら、メキシコ難民と間違われたアメリカ白人VS狂気のアメリカ白人という方がドラマチックで、何か意味を感じる物語になりそうな気がするけれど…。この映画の意味をあえて考えるとすれば、命がけの鬼ごっこをやってるってどうなのよ? ということかもしれない。
もっとも、難しいこと考えず、単純にスリリングな鬼ごっこを楽しむ気持ちで観るのが最良の鑑賞姿勢ではないかと。