
日本統治下で日本語教育を受け、晩年を迎えた台湾の人々が、たくましくひたむきに生きてきた姿を捉える。敗戦により日本が去った後は、言論統制と弾圧の時代が長く続き、彼らの声は封殺された。今、彼ら…
>>続きを読む沖縄石垣島の台湾移民の歴史は、1930年代、日本統治時代の台湾から約60世帯の農家が移り住んだことに始まる。その中に、玉木家の人々もいた。2015年春、88歳になる玉代おばあは、娘や孫たち…
>>続きを読む戦後75年目の残留。生き別れた者が伝える、日本という国の今。「私を日本人と認めてほしい!」-フィリピン残留日本人 。「私は日本人。でも言葉がわからないの!」-中国残留孤児。太平洋戦争以前、…
>>続きを読むすでに日本の敗色濃厚だった1945年1月31日、一人の男が沖縄の地を踏んだ。戦中最後の沖縄県知事となった島田叡(しまだ・あきら)である。 沖縄戦を生き延びた住民とその遺族への取材を通じ、こ…
>>続きを読む日本で唯一の地上戦が行われた沖縄。その凄惨な戦闘をほとんどの日本人が知ることなく、77年の年月が経とうとしている。本土への疎開のため多くの子供達が乗った対馬丸がアメリカの潜水艦によって撃沈…
>>続きを読む大阪・生野区生まれ、在日コリアンのオモニ(母)。2009年にアボジ(父)が亡くなってからは大阪でずっと一人暮らしだ。ある夏の日、朝から台所に立ったオモニは、高麗人参とたっぷりのニンニクを詰…
>>続きを読む男は、ガジュマルをこよなく愛した。「どんな嵐にも倒れない。沖縄の生き方そのもの」だと。那覇市を、かつてたった11ヶ月だけ率いた、その男が好んで使った言葉がある。それは「不屈」。 1945…
>>続きを読むある夏の日、敦(あつし)8歳と凱(とき)6歳の兄弟は、旅行ライターをしている母親・夕美子に連れられ、亡くなった父親・孟真(もうしん)の故郷を初めて訪れる。急死してしまった父親の遺灰を届ける…
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