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T2 トレインスポッティングのmazdaのレビュー・感想・評価

T2 トレインスポッティング(2017年製作の映画)
3.9
『人生を選べ』
大金をもってふっきれたような笑みを浮かべて街をでるレントンが「変わろうと思う、これを最後に。あんたと同じ人生さ」と"豊かな人生"を送る私たちに語る前作のラスト。彼のいうこれを最後にが実現できていたらそもそも続編なんてつくられていない。つまりそういうこと。

いい歳になっても喧嘩っ早いベグビー。40にもなってオドオドと目をギョロギョロさせる小心者のスパッド。俺はまだ若いてきな立ち振る舞いで自分のかっこよさに酔ってるようなシックボーイ。そして人生の再スタートをきり、豊かな人生を送ってるはずのレントンは何故彼等とまたいるのか。
あきらかに歳とって中年おやじ臭プンプンのジャンキー。20年前だったらドラッグでヘロヘロになろうが、トイレの中に顔つっこもうが、ゲロまみれになろうが、ヤングムービー的おしゃれ感が全てをごまかしてくれて全部がいけてみえたのに、この歳になるとただただダサい。笑 彼等が20年の中で大きく変わったのは間違いなく見た目だけ。前作でレントンが一目惚れした中学生の彼女が「世の中も音楽も変化してるのに"ジ"ギーポップとか聞いて家にこもってるなんて老けちゃうよ」っていうあの言葉通り時代の流れに乗れないまま取り残されて20年たってもこのザマなわけだ。

話はそれるけど、T2を観賞した昨夜、上映がレイトショーだったのでその前に4年ぶりくらいに母校まで遊びいってきた。間違いなくこの高校で良かったと思えるくらい誇りに思える母校だが、嫌な記憶だってたくさんあるから、正直もう当分行くことはないだろうし行きたいともあまり思えなかったのだけど、友達に誘われて軽いきもちで行ってしまった。そして不思議なことに行ったら行ったで母校の空気に安心感を感じてしまい、やっぱり好きだなという気持ちの方が上回り、リセットしたい嫌な過去の記憶さえも話しているとそんなことあったねえぐらいにしかならず、時の流れをしみじみと実感して、自分のことをよく知る昔からの友達に会った時のような不思議な落ち着く感覚で満たされた。
イギリスを出ていたレントンがこの土地にまた戻ってきたその感覚ってなんとなくこんな感じなんじゃないかなって観ながらその日母校に行ったことを思い出した。クソだせえ自分がなじめてしまう空間であると同時に、彼等と過ごす自分はダメな自分に逆戻りすることにもなる。こいつらと付き合ってるこの環境がだめなんだと自分のダメな部分を環境や物のせいにして変化を求めて、自分がいる真逆の世界こそ豊かな人生だと思ってたけど何かが違った。薬をやめるとか物理的なことじゃなくて、もっと本質的にきもちから変えなければいけなかった。けれど心を入れ替えても彼の心はまだ豊かにはならない。友情をあっさり捨てれたはずの彼はどこかで友の存在を求めていて、そこにこそ自分らしい自分があると考える。

ダサいしクズだし結局何も変わってない、人に自慢できるようなかっこいい人生とはほど遠いけど、走り回ってらりってぶっとんでるときこそ彼の心が豊かになる瞬間なのかもしれない。追っかけられて車と衝突するレントンは、笑ってる場合じゃないくらいやばい状況なのに、あの時と同じ快感を感じていて、本物の笑顔をみせる。空っぽで薄っぺらい人生に自分で自分のこと何度も失望しながらも彼等は選んでこの人生を歩んでる。豊かな人生というのは人によってばらばらだ。

でもだからこそ、「人生を選べなかった」と言うベグビーをみてて胸がきゅっとした。彼は人生を選べなかったんじゃなくて人生の選び方を知らなかった。レントンや息子が人生を選ぶ瞬間、自分にはできなくて悔しくて、そういうきもちが彼の怒りになるんだろう。自業自得とはいえ、20年間牢獄人生だった彼は4人の中で誰よりも時代に取り残された人なんだろう。つくづくこういう悪に弱いのです。。キャラ的にはスパッドが好きだけどT2に関してはベグビー!!ってなった。彼の怒りの表情は感情ダダ漏れでとてつもなく惹かれてしまう。
私的には前作よりも今作の方がはまれて、その1番の理由として感情移入して見ることができたからだろう。天井赤ちゃんやトイレダイビングほどの視覚的インパクトは少ないけども、今作の方が物語性は強いと思った。
終盤のスパッドが前作T1を振り返り始めるところが1番好き。彼等の心の中であの時代が生き続けてる。23歳の私は20年前の記憶なんて当然ほとんどないから20年後にまたT2を観たとき、映画館で観たこの日を思い出してノスタルジーを感じれるようになりたいと思った。映画を観る歳というのはやっぱり感じ方を左右する。この先の人生にいつかのレントンと同じような期待を私も抱いた。
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