八木

T2 トレインスポッティングの八木のレビュー・感想・評価

T2 トレインスポッティング(2017年製作の映画)
5.0
前作を見た時も思ったけど、ベグビーのような「同じ人間なのに全く会話ができない奴」が画面に現れたときが、映画を見る楽しみの大きな要素だと思った。それも、定型的にチンピラっぽい見た目をしているのではなく、口ひげでオールバックでスーツ着ていてガタイが良いわけでもない奴が、目を見開き、常に予想より少し大きな声量でファッキンファッキンいうのが余計に怖く感じる。いわゆる不良やヤンキーという人種とはまた違って、狂いきってしまっていて、修正の余地が見つからない感じ。自分を信じていて、相手を従わせることにためらいがない。思い通りにいかないことは、100%相手に向かってブチ切れることができる。
この作品でも、イギリスの文化に根差した人物を描写するのが中心となっています。音楽紹介としての役割もあるから、取り上げられるポップスもたくさんあるんだけど、ぱっと聞いてわかるものが少なくて「ああもっとタイトルとか歌詞とかわかったら楽しめるのに」と惜しい気持ちで観ておりました。薬や悪友へとスリップするどうしようもなさと脱却を描いた前作を『過去』として、この映画では「かつて若者だった何物でもない人間」が『過去』と吐きそうなくらい対峙するという内容です。脚本監督主要キャストが一緒とはいえ、続編の必要をあまり感じなかったこの映画で、よくこれだけブレずに映画の価値を保ってアップデートできたなあ、と感動して観てました。
すでにおじさんおばさん、それらに足突っ込んでしまってる人は、最新のものについていけないことや、そもそも興味を持てなくなっている自分に愕然としたり、がっかりしたり、その勢いで否定したりすることがあると思う。思い当たらん、ということはないんじゃないですかね。この映画は「二十歳までの過ごし方が四十歳をそのまま呪い続けている」という、老いについての(単なる)事実を冷徹に描いています。前作をトレースするような描写がたくさんあることも、『ヘロイン』に関する重要な描写も、素っ裸で走るエネルギッシュな無様さも、イギーポップを聴いて踊ることも、「かつてお前らがそのように過ごしたからでしかない」と無感情に教えられているような気がしてならんのです。
しかし、レントン、サイモン、スパッド、ベグビーは終盤に向けて、それぞれの形で『過去』を清算します。このシリーズでは一貫して、ヘロインや盗みや友人をエイズで亡くしたことなどについて、善悪の印象を植え付けようとしていません。今生活している人間が、過去や現在をどのように受け取って、これからどうなっていきたいかを感じることは自由であることを見せています。だからこそ、レントンは金をもって故郷に戻ってきたし、ベグビーは脱獄してすぐから息子を自分の仕事に巻き込もうとしたりした。そういう連中が、自分で考えて過去を清算しようとまた踏み出すのって、もう無茶苦茶感動するんですよ。それはそのまま、「かつて若者だった人間たち」が、二十歳だった己自身に一生呪われ続けながらも、「これから」について、報いは自分たち次第であるという希望を示してくれているのです。
トレインスポッティングをもしリアルタイムで見て刺さったなら、この作品も劇場で見て、どうしようもなさに共感した過去を見つめてはいかがでしょうか。
八木

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