あまのかぐや

手紙は憶えているのあまのかぐやのネタバレレビュー・内容・結末

手紙は憶えている(2015年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

おじいちゃんが、隠された記憶を掘り起し、過去の自分探しをする旅のお話。というと感動系なのですが、そこに「ナチスに奪われた過去」と入ると話は違ってくる。ミステリー要素プラス、90歳のおじいちゃんが心配で心配で、最後まで緊張感を持ってひきつけられました。

老人ホームで運命の再開をしたゼブとマックス。ともに90歳を越える彼らはアウシュビッツの強制収容所からの生き残りでした。

車いす生活で、先はあまり長くなさそうなマックスの代わりにホームを抜け出し、彼らの家族を死に追いやったナチスのSS「ルディ・コランダ―」を探す旅に出ます。

が、困ったことにゼブは認知症がすすんでおり、寝て起きると記憶がなくなってしまう。目覚めるたびに妻が亡くなったことを忘れ、悲しくも妻を探し回ってしまう。そんなゼブに、マックスは「朝起きたら必ずこの手紙を読め」と分厚い手紙を渡す。

それは「ゼブについて(自分はゼブ・グッドマンである。妻は死んだ。自分はアウシュビッツの生き残り)」そして、ゼブの目的(家族を殺した収容所のエリア長、ルディコランダ―を探して殺せ)」と、したためた手紙だった・・・

ルディ・コランダ―と目される男、ナチスのSSがアメリカに渡り偽名を使って新しい人生を生きているのですが、候補は4人いました。

最後のルディ・コランダ―が探していた、その人だったのですが、彼にであったとしてもそんな簡単に話が終わるわけない、そこからが驚愕の展開、となるわけです。

この、我が国でも身近な高齢者の問題。そしてそこに、ナチスのユダヤ人迫害というそう遠くない過去(まだ当事者たちも十分に存命だ)の事件がミックスされて、どうにも重い話になるところが、ほどよくゆるい高齢者と市井の人々のやりとりが和ませる。アメリカ人の優しい面、いなかののんきな面をところどころでみせてくれる。

ゼブが旅のあちこちで会う若い世代たち(ホテルの従業員やスーパーの店員や警備員、カナダ国境の管理官など)が、みな、ゼブに対してそこはかとなく優しい。銃販売店の店員も、怪しげな風貌で、これはなにかあるな、と思わせながらも、最後まで実に親切にゼブに接して、ゼブでも取り扱いしやすい銃を売る。「あ、こんなおじいちゃんにも簡単に売っちゃうんだ」「そっかアメリカだもんね」って、逆の方から怖さを感じるという…。国境を越えるときのパスポート期限切れ事件とか、バッグの中の銃を警備員に見られたときとか、何度か、こちらのほうが心臓ばくばくしてきちゃう局面もあり、そこでみている方は次第にゼブに感情移入していくという見事な脚本。

とどめには3人目のルディ・コランダ―、ナチ信奉者の父に倣って、強度のレイシストになってしまった地方警官とのシーンで完全にゼブ寄りの視点になっている。

ここはあまり詳しくは書かず、ゼブとの足元不安げながら、確固たる過去を目指す旅を感じたほうが映画を楽しめると思うの。

ゼブはピアノの達人だったけど、認知症が進んで、最近は弾かなくなったと家族は言っていた。しかしピアノを前にして、いちど鍵盤に手を置くと・・・とても90歳の老人が奏でているとは思えない華やかな旋律を紬だす(それがワグナーというのが大きなヒントだったのですね)

認知症って、ピアノの前に座ることや、妻を亡くしたことは忘れてしまっても、それより前の消せない記憶、上塗りできない記憶っていうのは残ったままあるんだなぁ。ナチスの側も逃れて生きぬいたユダヤ人の側もどんなに名を変え、住む土地を変え、上から塗り固めても消せない、消してはいけないと思っているのかな。
いやむしろわたしたちのような後の世代含め「忘れてはならぬ」と諭してるのかもしれないね。最後にタイトルが出るタイプの演出が流行ってるみたいだけど、この「Remember」が最後にグッサリと胸に刺さってくる。

今年は、ナチスの歴史から現代まで繋がる映画をたくさん見た気がする。ナチスのしたことを知ることは今の時代、必要なことなんだろうなと思う。今を「戦前」にしないためにも、ね。
あまのかぐや

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