140字プロレス鶴見辰吾ジラ

フリー・ファイヤーの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

フリー・ファイヤー(2016年製作の映画)
3.2
”プロレスごっこ”

ブリー・ラーソンよりちょっぴり年上だということが発覚。
私と同じ年生まれとは・・・

予告編から”タランティーノ”映画的な色気がムンムンとしており、さらに銃撃戦とべしゃりの映画と思わせておきながら、実際そういう映画であくまで”ごっこ遊び”の大きなお友達版とも思った。

小学校の休み時間にて教室の後ろでやる”プロレスごっこ”を大真面目も真面目で大きなお友達(この場合、子供の頃の純粋性を失っていないか、中二病を打ちに抱えE.Tとともに宇宙に行ってしまった大人のこと)が、”銃撃戦”と”人間の生”や”人間の欲望”さらには”人間の往生際の悪さ”を90分に込めて、しこたま銃撃戦をやってやろうというオタク気質な気概をフルバーストで表現した映画だと思った。正直、格好良い。

何が格好良いって銃撃戦に絞ったことによって銃撃音と弾が岩やレンガを削り、鉄骨に反射し、さらにその音が反響することへの格好良さが際立っている。特に銃撃後に弾が「シュルルルルルルルゥゥゥゥ!!」「ギュリュウウウゥゥゥゥゥ!!」と回転しながら目標に向かって飛んでいくという描写の拘りと小さくもしっかりとした美学を感じられたのは良かった。

しかしどうにも悪い部分も際立ってしまっていることもあり、文句なしで「傑作!!」「こんなの初めて!!」と言えないのは、以下の点。
・キャラクターの掘り下げがなく愛着がわきにくい
・70年代設定がゆえの口髭男たちの区別がつきにくい
・銃撃戦発生と進行につれて各キャラの位置関係が分かりづらい
・キャラ同志の因縁、駆け引き、取引、お助けキャラがすべて後付

銃撃戦が楽しい代わりに、それを楽しい!!と!!をつけさせるにあたっての物語の奥行が、この限定空間での一夜の出来事としてしまっているため、リアルタイム性あるスリルはあるものの、それを覆い隠すノイズとなって、奥行のなさと後出しジャンケン的な設定が邪魔をして、変に単調だったり、驚きが生まれづらい雰囲気を作ってしまっている。

邦画で言うと「キサラギ」?
舞台劇として、群像劇としての表現として回想シーンを省いてリアルタイムにこだわる必要は感じなかった。しかしこのお題で90分以上の映画にしようとすると、現状以上に足下がぐらつきかねないので、今作の銃撃戦の発射音、直撃音、弾丸が飛ぶ音など絞って楽しむのであれば劇場鑑賞に大いに価値はあると思う。