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悪魔の呪い/悪魔の夜のhorahukiのレビュー・感想・評価

悪魔の呪い/悪魔の夜(1957年製作の映画)
4.5
これまた大傑作!

悪魔も呪いも信じない心理学者の主人公が、悪魔信仰の胡散臭い教団に殴り込み!「頼むからやめてよ…」と懇願する教祖様の頼みも無視して調査を強行。そしたら呪いをかけられたんで「教祖に仕返ししてやる!」と意気込む主人公を描いたターナー製のわがままホラー。

RKOのヴァルリュートンと組んで傑作ホラーを連発したジャックターナーの非RKOの作品。原作はホラー小説の大家(元祖御三家の一角)であるMRジェイムズの『人を呪わば』。同作に限らず、伝聞で物語を構成することで怪異の真実性を煙に巻き、未知への恐怖を植え付けることの多いジェイムズの作風と、『キャットピープル』のターナーの相性が非常に良いのは当然で、ジェイムズ×ターナーが面白くないわけがないという安心感。

「理解できないもの」に対する恐怖・傲慢を描いた原作を基本的には踏襲しつつも、映画版では科学側の傲慢を徹底的にかつ嫌悪感たっぷりに描いている。科学側の象徴たる主人公さんに最初からずっとイライラしてたんだけど、それも結局は主題を炙り出すためのものでしかなかったわけで、まんまと監督の手中だった😂

「自分が正しい」を延々と貫き、誰からのアドバイスも聞かない。更には「敵」とみなした人の家に不法侵入し、バレても悪びれることすらしない。呪われた主人公を助けようとした人たちの好意も「理解できない」という理由で踏み躙り、挙げ句の果てには、身から出た鯖なのに「殺人」を犯してまで自分だけ助かろうとする。カスすぎるやろ…😱

そしてそこからはユニバーサル→ハマーへと受け継がれ開花することになる、植民地主義的発想への批判が窺える。本作の2年後にハマーが『ミイラの幽霊』を製作し、イギリス-エジプト間に対する自国批判を披露したように、本作もイギリス製作にも関わらず、侵略国側への批判を展開するのが面白い。

そしてそれは「理解できないもの」に対して恐怖を感じてしまう「弱さ」の裏返しとしての傲慢を印象付け、如何なる時に人が「闇」と対峙するのか・「闇」に呑まれるのか…という『キャットピープル』『レオパルドマン』から引き継がれたターナー的ホラー観を体現している。だからこそ、ハマーのような一方にのみ「悪」を押し付けるわかりやすさはなく、侵略される側であるサタニストについても同様に、弱さ故の裏返し的行動をとっていたのだということが描かれ、「闇」の普遍として帰結するのが流石のターナー!

今までのターナー作品とは違い、本作ではしっかりと悪魔が登場するのだけど、それはプロデューサーの意向により加えられた特殊効果で、ターナーの意図したところではない。それでも、遠景で白いモヤの中から浮かび上がる悪魔の美しさは見どころでもあり、演出として主観化された世界でのみ具現化するため、ターナーの趣旨からもそこまで逸脱はしておらず、うまく作品に馴染んでいてむしろ良いように思う。白いモヤでの見せ方はルイスアレン『呪いの家』のようで、怪異を映像として挿入するに至った経緯、「闇」に関するホラー観含めて参照されているような気がする。

「こんなダイナミックなん?」って笑っちゃうくらいに飛行機で何度も座席を倒したりあげたりする主人公さんとか、一枚の紙切れに明暗を託す滑稽なコメディ演出の遊び心もある一方で、光の脆弱性を強調する森、一度目で見下ろす立場→二度目で見下ろされる立場へと変更される階段の演出等、ターナー的うまさも随所で見られるから、久々のホラーでも衰え知らずな傑作だった!

ちなみに『Curse of the Demon』と『Night of the Demon』の2バージョンあるのだけど、96分の『Night of the Demon』の一部シーンの前後を入れ替えたり、サタニスト側の内部的事情を語るシーン等をカットしたりしたのが82分の『Curse of the Demon』。私的には『Night of …』の方がオススメ。
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