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散歩する侵略者の小のネタバレレビュー・内容・結末

散歩する侵略者(2017年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

<……ただし、いつになくストレートな感動が残るラストですよね。だから、そこをもって黒沢清映画っぽくない感じがして不満というか、物足りなく感じる方もいるかもしれませんが……>(「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」より)
(https://www.tbsradio.jp/183750)

私、まったく違う考えを抱いてしまいました。それは『サーミの血』のトークショーで宮台真司先生に感化されてしまったから。トークショーの後、先生の『正義から享楽へ-映画は近代の幻を暴く』という本を買ったら黒沢清監督作品の解説が2作と、対談のおまけつきで、取り急ぎそこだけ読んだ。

宮台先生の言いたいことの核心は次のようだと思う。

●我々は法、社会のカタチを守ること、それに適合して上手く生きることを良しとしているけれど、それらはクソである。クソ社会に適合しないことが自然な姿なのだから、適合しているフリをする(適合しているようになりすます)しかない。

●1万年前に“定住革命”が起き、「所有」という概念と法ができた。これにより「使っていないものは誰でも使って良い」という人間の自然な感受性がイケナイモノになった。自然な感受性を阻害する“定住社会”にマジガチで適合すると、病気になる。

●1990年代半ば以降、法を破った人をバッシングすることを通じて、インチキな仲間意識を持つ傾向が強まっているが、我々の中には法を守ることが幸せだと思えないという疑念が生じているのではないか。ここ数年、ルールだと思うことを守ることが非倫理的であるという映画が陸続と出てきているのはそのためではないか。

(宮台先生の考え方に興味がある方は私の『サーミの血』の感想をご覧ください。トークショーの内容を書いてあります。ネタバレなので、できれば映画を見てからで…。)

『サーミの血』のトークショーで同じモチーフだと言われたのが、『エル ELLE』『三度目の殺人』そして『散歩する侵略者』。全部見たけど、その意味が自分的に一番わかりやすいのが本作だった。

「地球を侵略しに来た」宇宙人が地球人のことを調べるため、人間から「概念」を奪うという物語。奪われた概念が人間に戻ることはなく、いろいろ奪われ過ぎると自我を喪失し、腑抜けになる。

映画の中で宇宙人が奪っていったのは、「家族」「所有」「仕事」「他人」「敵」「愛」。中でも象徴的なのが「所有」で、満島真之介演じる引きこもりの青年・丸尾が、この概念を奪われることでつき物が落ちたように、すっきりとした表情の明るい性格になり、外出できるようになる。

つまり“定住社会”にマジガチで適合した人が、クソであるこうした概念を奪われることによって、人間本来の自然な感受性を取り戻していく、ように見える。この流れはとてもわかりやすい。

問題なのが「愛」という概念。ラストの直前、宇宙人(侵略者)の真治(松田龍平)は鳴海(長澤まさみ)から愛を奪う。するとポスターにある海を見るシーンで真治が「全然、違って見える」という一方で、鳴海は「何にも変わらない」という。ああ、これは「愛」のせいだな、と思う。

そして舞台版にはない後日譚へとつながる。皆に愛を振りまきながら、腑抜けになった鳴海のもとにやってきた真治が「僕が一生そばにいる」みたいなことを言い(違ったらスイマセン)、いい話のように終わる。

でもね、これって本当にいい話なの?黒沢監督がこんなことで良いの?という違和感が、冒頭の宇多丸師匠のコメントになるのではないかと。

で、私のラストの解釈はというと、「愛は地球を救う」とかではなくて、愛という嘘のひとつを信じているフリをしつつ社会に適合しているよう「なりすまし」ているのが、地球人に「なりすまし」た宇宙人であるという2つの「なりすまし」を描いているのでないか、ということ。

そもそもラストの直前に真治が奪った概念は「愛」だけだったのか。鳴海の愛はホントウだったのか(この点はもう一度見て、確かめたい気分なポイント)。私の大胆妄想は「愛」と一緒に「嘘」も奪ったのではないだろうか、というもの。

そう考えると、海を見るシーンの印象も変わってくる。真治の「全然、違って見える」という言葉は嘘で、鳴海の「何にも変わらない」というのは見たまんま。そして、真治は知ったのではないか、今の地球の様々な概念は「嘘」である、つまり地球は「クソ社会」であり、それに適合しているように「なりすます」ことが、地球人らしく生きる秘訣であると。

故に、ラスト「僕が一生そばにいる」も嘘、つまり、なりすましであると。本当は腑抜けた人のそばに一生いるなんて真っ平ごめんなのだけれど、まあでも、なりすましって、よくね? みたいな。

ということで、こんな風に解釈すると黒沢清映画っぽいのかしら。黒沢監督作品はほとんど見たことがないので自信はないけれど、ストレートな感動よりも、こっちの解釈の方が自分は好きかな。

●物語(50%×4.5):2.25
・面白さと、自分的には黒沢清映画っぽさが両立。

●演技、演出(30%×4.0):1.20
・エンタメとして十分成立な演出だったのではないかと。

●画、音、音楽(20%×4.0):0.80
・美しいし、迫力もあったかと。
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