ヨーク

ビール・ストリートの恋人たちのヨークのネタバレレビュー・内容・結末

3.6

このレビューはネタバレを含みます

二日ほど前に鑑賞したが正直まだどう受け止めればいいのか分からない。
レンタルとか配信で観直すことはあるかもしれないがいつになるのか分からないのでとりあえず現状での感想を記録しておく。もしも観直したときに追記すべきことがあれば追記します。
前置きが長くなったが何がそんなに受け止め方が難しかったのかというとだ『ビール・ストリートの恋人たち』という映画のあらすじはこのFilmarksでのあらすじでもはっきりと明文されてるように「無実の罪で投獄された黒人男性とその恋人の物語」だという風に紹介されているのだ。ちなみに俺は原作の『ビール・ストリートに口あらば』は未読だが ビール・ストリートの恋人たち あらすじ とググるとほぼ主人公のファニーは無実の罪で投獄された、と紹介されている。おそらくほとんどの観客はそういう前提で劇場に来るし俺も何となくそういう映画なのだろうと思って観劇していました。
しかしだ、しかしだよ、これ劇中での描写を観るだけでは主人公が無実なのかどうか分からなくないですか? 鑑賞中に居眠りはしてなかったけど俺が描写を読み取れなかっただけという可能性は大いにあるし、実を言うと事前によく見るブログの筆者が同じ感想を漏らしていたというのもあるのですが結果的には俺も同じところが気になってなにかモヤモヤしたまま観終わりました。人種差別を扱った映画としてこれでいいのだろうか。ちょっと俺には分からないです。
別に映画として白黒はっきりしないまま終わる作品とかはいいと思うんですよ。むしろそういうの好きですよ。いわゆる芥川の『藪の中』的なやつ。受け手の解釈に任せますっていうやつね。だけど人種差別を作品の重心として据えた本作では黒人であるというだけで冤罪を受けたのかどうかはハッキリと劇中で示すべきではないかと思ったんですよね。登場人物たちがその事実を知ることはなくても神の視点で観客にはどうだったのか示すべきだと思います。差別意識の根本には無知や偏見があると思うけれどそれらはどちらも実感の伴わない思い込みからくるものだと個人的には思っています。思い込みというのは往々にして自分自身の価値観の中で〇〇はこうあるべきだからこうあってほしいというような利己的な希望であると思います。つまり差別感情には客観的な事実や根拠は不要、というかむしろ邪魔なものだと言えるでしょう。それでいくと俺としては黒人だから事実はどうあれ犯罪者だろう、ということと家族や恋人だから彼は無実に違いないということは同じことのように思えるのです。どちらも同じくらい主観的で近視眼的なものの見方です。
例え根っこが同じ主観によるものだとしても、人種差別は悪いことだが他者を信じて愛することはいいことだ、と言うためには作劇的には客観的な事実を提示することが必要ではないでしょうか。もちろん現実で似たような事件が起きたときに物証でもない限りは事実がどうなのかは判断できない。だが映画としてはファニーが無罪でも有罪でも物語としては成立するし、その上で差別の問題を提起するならいかようにもできると思うんですよね。だけどそうしないということはこれは多分監督は一方的かつ主観的な表現でなければ共感しえないものを表現したいんじゃないかという気もします。
作中で度々神に対して言及されるんですがそれがそうかなと思いました。そこでの神とは自分が何を見たいのかということではないか、と。そしてそれは観客は何を観たいのかを突き付けられるのではないかと思いました。最初からファニーが無罪だと思っている者にはそういう風にしか見えないのかもしれません。
ここで感想の冒頭に戻るがちょっとこれは難しい映画で俺の脳のキャパを遥かに超えてると思うな、うん。『ムーンライト』は素直にめっちゃ良かったんだけど。
あ、あと音楽はもちろんキキ・レインの衣装がめっちゃ可愛かったのが良かったですね。そんだけ衣装持ちなら金には困ってないんじゃねぇのとか思うほどに。
映画としてはぶっちゃけそんなにグッとこなかったんだけどかなり考えさせられる作品ではあると思いますね。
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