初ジョージア映画、岩波でやってたのは忘れてたけどジョージア映画祭も気になってたので鑑賞。
神の霊は水面を動いてた、と旧約聖書の一節から始まる。滝が流れる川の水面を中心に切り取った構図にギリギリまで引っ張ったロングショット、水面だけでなく自然の光、儀式の松明、鏡越しの少女のショットなどビジュアルが綺麗で映像詩で語られる物語は静謐といった言葉がぴったり。
近くで暮らす老父と年頃の娘ツィスナメ、聖なる泉から水を汲み、怪我人への儀式によって青年は目を覚まし見守る村人は帰っていく。言い伝えがベースになってるようだが、水と祈りだけで治す癒し手という職業があるのは知らなかった。古い慣習を自分の代で終わらせまいと頑なに守ろうと娘の未婚まで強制する老父。対し従いながら普通の暮らしを夢見る少女、青年メラブに恋心を抱くのも当然。厳格な父の元では窮屈だったろうな。
厳格さから距離を生んでしまった息子たちも神父の兄は現代人に一番近いが教師の兄も村に近代化の流れて来ても尚、普遍的な世界の神話型に対し近代化の発展である非神話型さえ神話の焼き直しと教え少なからず影響を受けてる。程度の違いがあれど三者三様、文化に対する考えが違い家族のテーマなのか、と思ったが違うようだ。
冒頭と後半にも差し込まれる工事の音と共に白く濁る川、工事の風景を現代の象徴として神秘的な営みの中で異質な物として描きたかったようだ。説明に頼らない詩的な映像から汲み取るのは結構難しいな。考察が好きなら観て損は無いと思う。
象徴的に出てくる魚を湖に返し、諦めにも似た歌で白い靄の中、湖に佇むナメが幻想的。魚は少女自身なのかも知れない。返す事で自身を解放したかったのかもな。決め過ぎだけど映像は綺麗。