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北朝鮮をロックした日 ライバッハ・デイの小のレビュー・感想・評価

4.0
2015年、北朝鮮は日本の植民地支配から解放されたことを祝う「祖国解放記念日(リベレーション・デイ)」に初めて海外からロック・バンドを招く。選ばれたのが「ライバッハ」、って何? グーグル先生に尋ねてみると次の通り(引用元はウィキペディア)。

<ライバッハ(Laibach)は、1980年にスロベニア(当時はユーゴスラビア)のトルボヴリェで結成された実験音楽のバンドである。ライバッハとはスロベニアの首都リュブリャナのドイツ語名である。>

<グループ自体は自身の活動を新スロベニア芸術(Neue Slowenische Kunst)という芸術運動の一部に位置づけており、制服の着用などの全体主義を想起させるモチーフの多用が特徴である。ライバッハという名も、スロベニア各地を占領しドイツ化を推し進めたナチス・ドイツを連想させるとして、第二次世界大戦以降は使用が控えられてきたものである。これらのモチーフの使用は、あくまでファシズムに対するパロディの一環であると彼らは主張しているが、彼らに詳しくない音楽ファンから誤解されたり、右翼、左翼の双方から攻撃される原因となり(ただしスロベニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクに代表される擁護者もいる)、またユーゴスラビア時代には政府から監視される原因となった。>

ファシズムをパロったロック・バンドに全体主義体制の北朝鮮が対決を申し込む。そして売られたケンカは買うのがロックンローラー。意気揚々と北朝鮮に乗り込んていった彼らだったが…。

大苦戦。準備のため色々お願いするものの、なかなか話が進まない。リーダーシップなんて言葉は、あのお方にしか必要ないっていうくらい、物事を決める際には絶対個人で責任を負わないよう皆で決めるから、とても時間がかかる。

そんな彼らはライバッハの音楽性や芸術性なんてどうでも良く、将軍様の逆鱗に触れないように無事にコンサートを終えることにしか関心がない。だから、ライバッハが考え抜いた映像や音楽は、北朝鮮国民に理解されないからと、あれもダメ、これもダメ…。

誤解を恐れず自らのスタイルを貫き通すライバッハは、ロックンローラーらしからぬ、尊敬すべき忍耐強さを併せ持ち、投げ出すことなくコンサートにこぎつける。そして、この対決の行方は…。

<今回の文化交流を仲介した、北京を拠点とする高麗ツアーズのサイモン・コッカレルは、AFP通信社に観客の反応について次のように語っている。「みんなとても楽しんでいたようです。不信感や混乱で顔をしかめる観客はいませんでしたよ」

サイモン・コッカレルは、こう続けている。「観客は全員、最後まで席に座っていました。一緒に手拍子をしたり歌ったりすることはありませんでしたが、この国でのコンサートはこれが普通なんです」

「観客のほとんどは、ライヴがどんなものかまったく分からなかったと思いますが、全体的に好評だったようです」

平壌の国営通信社はパフォーマンスについて、次のようにつづっている。「出演者たちは、独特で深みのある歌声と優れた演奏で芸術性の高さを披露していた」>
(https://nme-jp.com/news/3749/)

果たして「ロックンロール!」の雄たけびを上げたのはライバッハだったのか、北朝鮮だったのか。気になった方は是非ご覧になった方が良い…かな?

●物語(50%×4.0):2.00
・体制の完成度ハンパないって、ことが良く伝わってくる。ある意味、幸せに見えてくるのが怖い。

●演技、演出(30%×4.0):1.20
・ライバッハの皆様があまりにも我慢強いので、感心してしまった。良い人達じゃないですか。でも良い人達では…。

●画、音、音楽(20%×4.0):0.80
・ライバッハの音楽、ちょっと良かったかも。
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