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『ゼイ・ウォント・フォーゲット』に投稿された感想・評価

lemmon
4.0
登場人物も観ているこちら側も含めて、誰もが忘れることのできない痕を残すであろう物語。

学校で起きた女学生殺人事件。
将来大統領でも目指しているかのような野心家の検事が事件を追う。追うと言っても真相ではない。権力者の嫌らしさ。クロードクレインが巧くて腹立つ😡。

容疑者は北部から南部に移ってきた教師。
南北戦争の名残が色濃く残り偏見に晒される。
そして証言台に立つのは黒人。
殺された女学生の同級生(友達ではない)。
根性なく周囲の圧力に怯える床屋。
威勢だけ良い女学生の恋人。

あー公平な裁判なんて無理だ。

利用されるは女学生の母に、容疑者の母も。
もうたまらなく力関係がはっきりし過ぎていてやるせない。

容疑者の妻の家に押し入る記者たち。
泥棒というか、こいつらこそ犯罪者じゃねーかと思う振る舞い。

印象深いクライマックス。
描き方自体は粋だ。
十分伝わる。

すごい作品だった。
繰り返しは見られない。


邦題「彼らは忘れない」
※サスペンスのDVD-BOXに入っていたが傑作人間ドラマでした。
こぅ
4.5
「南北戦争の再開だ
南部の偏見だと北部の新聞が騒いでる」

邦題: 彼らは忘れない

【仮面の米国】、【悪い種子(たね)】の職人、マーヴィン・ルロイ監督による、【社会派・サスペンス】の隠れた佳作認定。


北部人への 遺恨 が残る米南部の町、バクストン校の地下で女学生、メアリ(ラナ・ターナー*)が殺され、教師の北部人、ロバート(エドワード・ノリス)が犯人とされる…。

メアリは、ロバート先生に好意を持っていた。


捜査を指揮したのは、時期知事候補 の野心家、アンディ検事(クロード・レインズ)で、主役の貫禄を見せつける。

夫を一途に信じるのが、妻のシビル(グロリア・ディクソン)で、静かな熱さも見逃せない。

もう1人の容疑者、黒人管理人タンプ(クリントン・ローズモンド)もオドオドが巧い。

テンポはゆっくり丁寧。

不条理な状況証拠、
犯人の真偽よりも南と北の意地の戦い。
【南北戦争を比喩】。
偏見。
これまた 群衆の恐ろしさ が描かれている。

終盤は、20分強に及ぶ【法廷対決】に目が離せない。

大袈裟にも 世紀の一戦 の如く描かれているのは、実に【映画的】だ。
盛り上げる為なら 容疑者と加害者の母親 まで利用するマスコミ。

誰が犯人⁈というテーマのサスペンスでは無いが、しっかり観入るサスペンス映画として面白い。

殺人事件自体は、アバウトに描かれ、しっかり明示しないでもメッセージはしっかりと観る者に伝える‼︎
これは モヤッ とは次元が違う狙い。


ラスト、
ズシン‼︎とくる、彼女の名セリフでKOパンチ‼︎
所謂 アメリカ的 で終わらせていない‼︎

エンタメ且つメッセージ性を評価。
流石は、マーヴィン監督‼︎


*注記
*女学生、クレア役のラナ(17)のデビュー作で、早めの退場ながらも 鮮烈な印象 を残した。0.1加点。
マーヴィン・ルロイ監督による社会派映画の隠れた傑作。被疑者が暴徒によりリンチ殺害されたレオ・フランク事件(1913)を基に、アメリカの南北対立と偏見の要素を加えて脚色。脚本は後に「オール・ザ・キングスメン」(1949)などを監督するロバート・ロッセン。ラナ・ターナー(当時16歳)の映画デビュー作。

アメリカ南部の町フロドゥン。南軍記念日のパレードで賑わう中、ビジネス・スクールの校舎で女学生メアリー(ラナ・ターナー)の死体が発見された。容疑者として校舎にいた黒人の用務員タンプが連行される。一方、野心家の地方検事グリフィン(クロード・レインズ)は、被害者メアリーが北部出身の教師ヘイル(エドワード・ノリス)に好意を持っていたとの情報を耳にし、直ちに彼を真犯人として起訴する。そこには、南部の住民に根強く残る北部への敵意を利用し自らの人気を取ろうという打算があった。。。

社会の善悪を問い続けたルロイ監督の作品の中で最も酷烈な一本かもしれない。女学生殺害の真相は最後まで明らかにならず、連鎖して起こるリンチ殺人が衝撃的かつ陰鬱な後味を残す。

オープニングから“ディキシー”や“ケンタッキーの我が家”など、ジョン・フォード監督がウットリと用いる南部の音楽がかかる。やがてそれは保守的な気分がもたらす排他性への皮肉であることが明らかになっていく。サミュエル・フラー監督がルロイ監督を先達の筆頭に挙げている事が腑に落ちる。

ただし本作の真意は南部を批判するものではなく、現代でも起こりうる魔女狩り的な集団ヒステリーの恐怖に警鐘を鳴らすもの。検事の私利私欲によるでっち上げ大衆操作に、売らんかなのメディアが乗っかり瞬く間に世間の空気を作り上げていく様は、去年のNHK党周辺や兵庫県知事選と全く同じ。90年近く前の本作での問題提起は現代日本にそのまま通用する。

終盤、闇夜に連れられて行く教師と走りゆく列車の脇で落下する郵便袋のシンクロカットが禍々しくも秀逸だった。

※ラナ・ターナーは本作で着用したタイトなセーターが話題になり“セーター・ガール”の愛称がついた。4年後に同監督「ジョニー・イーガー」(1941)で大ブレイクを果たす。