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わがチーム、墜落事故からの復活の小のレビュー・感想・評価

4.1
いきなり関係のない話だけれど『縄文にハマる人々』という映画を観た後、縄文時代が何故終わったのかが気になってググっていくうちに、縄文時代とは直接関係のない『人類と気候の10万年史』(中川毅・著)という本を知り、読んだ。

これが滅法面白い。価値観を揺さぶられる事実を、ちょっとスリリングに明かしていく内容もさることながら、今までなんとなく感じていた「多様性が重要」ということについて、間違いないと自分的には結論付けてもいいのではないかと思ったし、危機的な環境急変に対する人間の可能性も知ることができた。

何故この本について言及したかというと、本作(映画のこと)が「多様性」のない集団は、短期的にうまくいくように見えても破綻が必然であるということに加え、急激な変化に対する人間の適応力の素晴らしさを、現実のドキュメンタリーとして描いているから。

ブラジルのサッカーチーム「シャペコエンセ」が南米大陸選手権に向かうためチャーターした飛行機がコロンビアのメデジン郊外で墜落し監督、選手、解説者ら乗客77人のうち71人が亡くなった。

本拠地とする小さな町シャペコにとって選手は家族同然であり、チームは町のアイデンティティー。だからすぐさまチームの復活を目指して動き出す。

誰もが同情を寄せる事態に皆が協力的で短期間のうちにチームのカタチは整う。しかし、コミュニケーションに難のある急造チームは、亡くなった人のためにという思いがプレッシャーとなり連戦連敗。

そこでチームの監督がとった戦略は「過去は忘れろ」。これによって不安定な状態を落ち着かせることに成功し、チームは結果を出し始める。

勝ちはじめたチームに対しファンの支持も回復してきた。復活に向け順調に歩み出したようにも見え、やはりチームを強くするためには迷いは禁物なのかと、自分は早合点し始める。しかし、内部では深刻な事態が進行していた。

事故以前の強いシャペコエンセは、監督や選手の関係が比較的フラットで、陽気なムードのなか、コミュニケーションが良くとれている感じ。何よりも、皆にそれぞれ居場所があるような雰囲気。

一方、「過去を忘れろ」という戦略は精神的重圧を軽減する半面、監督以外の拠り所を認めないことで独裁化を強化する。事故後のシャペコエンセでは結果は出しながらも、もともと独善的な指導方針だったらしい監督に対する選手の不満がくすぶりだす。

すると監督は権限を行使して不満の芽を摘んでいくという恐怖政治を断行する。そんな中で、ミスが起きると選手同士で責任を擦り付け合い、ストレスをためていくという悪循環に陥り、チームの成績も下降していく。

忘れられた遺族たちもまた、チームに対し行動を起こす。かつて家族のようだったシャペコエンセは変わり果て、このままいけば町にとっても守る価値のないチームへと転げ落ちそうになるくらいまで事態は悪化する。

しかし、そこで監督に排除されそうになった1人の選手が立ち上がる。事故前のシャペコエンセを取り戻そうとする彼の行動をきっかけに、チームは今度こそ復活に向けて動き出す。

『人類と気候の10万年史』の著者は次のように述べている。

<人間や社会の価値を、現状における「効用」だけで測ることはきわめて危険である。だが歴史を通じて、人間はそのような過ちを何度も犯してきた。もっとも典型的な例は、戦前の日本に代表されるような全体主義だろう。短期的な経済成長とか軍事力の拡充だけを目標にするなら、社会の多様性を圧殺して、ひたすら効率的な生産体制や指揮系統を整備したほうがいい。だがそのような社会は、不測の事態に対応する能力を著しく欠いている。そして戦争のような極端な状況においては、不測の事態ばかりが絶え間なく発生する。

改革開放に舵を切る前の共産主義国家も同様だった。(略)全体主義国家が大戦の勝者にならず、共産主義国家が冷戦の勝者にならなかったことは、おそらく単なる偶然ではない。

私の祖父は、中国の内陸で小隊を率いる下級将校だった。祖父が言うには、戦場で素晴らしい気転と才覚を発揮し、僚友の命を何度も救ったような人材の多くが、復員後の平和な社会では驚くほど頭角を現さなかったそうである。

この話とおそらく通底する光景を、私も阪神・淡路大震災の後の避難所で目撃したことがある。待ちわびた支援物資が到着したとき、避難者が殺到して体育館が大混乱に陥りかけた。そのときただ一人、入り口と反対側のステージに駆け上がり、鋭い声で避難者たちを諫めてあざやかに秩序を取り戻したのは、見るからに薄汚く風采の上がらない、おそらく要職についてはいないと思われる初老の男性だった。

不測の事態を生き延びる知恵とは、時間をかけて「想定」し「対策」することではない。(略)必要なのは、個人レベルでは想定を超えて応用のきく柔軟な知恵とオリジナリティーであり、社会のレベルでは思いがけない才能をいつでも活躍させることのできる多様性と包容力である。>

『人類と気候の10万年史』は地球において短期的かつ急激な気候変動の可能性があることを論証している。ある日突然、崩壊の危機に陥ったシャペコエンセはそれと同質の事態が顕在化したように見える。

だからシャペコエンセの復活には、人類の可能性が描かれているような気がしてきて(大げさ?)、もう1度じっくり観直してみたいと思い始めている。

●物語(50%×4.5):2.25
・人類が不測の事態に直面した際のモデルケース…かな?

●演技、演出(30%×4.0):1.20
・まずまずドラマチックで退屈しなかった。

●画、音、音楽(20%×3.0):0.60
・まあまあ。
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