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新バビロン
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『新バビロン』に投稿された感想・評価

yura
3.6
大学の課題で鑑賞🎞
サイレント・シネマ・デイズの最終日。
初の国立映画アーカイブ…!楽しかった~
これから頑張ってレポート書きます…。
生演奏のフルートとギターの音も心地よい…!!

made in ソ連なのにフランス舞台の映画っていうのが不思議~(と思ったけど共産主義なんだもんそうなるよな、、賛美したくなっちゃうよな、、)時代はパリ・コミューン。1871年3月18日 – 1871年5月28日という短命な時代だったのを世界史で習った気がする。これは予備知識がないと深堀できないと悟ったのであとで勉強し直す。
タイトルの「新バビロン」はヒロインのルイーズちゃんが働く百貨店の名前。名前の新バビロンからも新バビロニア王国とパリ・コミューンの時代の関係を見出そうとしたけど分からない。アッシリアを包囲して陥落させたりとか、、そういう歴史との関わりなのか、、??わかんないけど!!
百貨店というもの自体このパリが発祥らしく第二帝政初期の1852年にはブシコーという夫妻がパリに新しい形態の商業施設「ボン=マルシェ」を開店、それが大成功してパリは近代的なブルジョワ都市として繁栄していた。

Vive la commune...
コミューン万歳。
ポスターにもなっているこの場面はこの作品を象徴するような印象的なシーン。
パリ・コミューンの中でも血の週間と呼ばれる戦闘では3万人もの人々が亡くなり、コミューンは解体したと言われます。

身分差の描き方。

新バビロンの中
華やかな日傘がくるくる回っていたり、扇子のレース模様の繊細さは白黒でもその豪華で貴族的な雰囲気が感じられる。
ブルジョワ階級の人だかりがドレスやレースの取り合いを滑稽にしている、キャバレーでダンスをし美酒と淑女に酔い、一方で労働者階級の人々の暗い生活を対比的に描いている。
かなり窶れた姿で洗濯をする女性や黙々とミシンで服を縫う女性たち、街路で飢えと寒さの中寝泊まりする人々。それでも戦争代を払うのはブルジョワではなく労働者階級であり、彼らはそれを高みの見物をして楽しむだけ。

食べ物で距離が縮まる。
ルイーズがジャンに与えた一切れのパン。
そして1杯のミルク。
両手で大事そうに食べるのがかわいいとか思ってしまう笑

唐突に、力強い。想いが溢れかえって咄嗟に身体が動いたようなそのキスシーンをカメラに写している時間はとても短い。
その間に石畳に映る馬に乗った兵士たちの列の影やラッパを吹く男が映される。戦争は待ってくれない。容赦なく恋人たちを引き離す。そういう現れなのかもしれない。ジャンはルイーズにキスをした後一言も言葉を交わさずに去ってしまう。引き離されるとわかっているからこその心が苦しいのかもしれない。

ガーゴイルや鳥の石像がパリを見下ろしているシーンが教会は何世紀にも渡ってパリにあり続けてきたわけで、頬杖をつくガーゴイルが眺める先は社会が目まぐるしく変化するパリ。もしかしたら中世からの時代の流れに想いを馳せているのかも…。

社会主義になってからの労働者階級の対比。
かなり楽しそうにコミカルな動きで仕事してる。洗濯婦さんたちの豪快な泡の飛ばし方、仕立てさんたちのミシンの速さ、そして彼女達の笑顔。「オーナーのためでなく自分たちのために仕事をする」その喜びを全面に出している。

ルイーズの強い女性像。
死刑宣告の前に「売春婦だったと言え」と言われた直後の激しい殴り方。死を覚悟しても高潔を守った強さがかっこいい。力強く純粋でまっすぐな瞳。大砲を命懸けで守る女性たち。自分たちを撃ち殺してもいいという本気。

雨の表現。
石畳を濡らす雨。光が指していて雨の濡れた質感が美しい。わかりやすい隠喩だけど人(たぶんジャン)の心情の現れ。でも反対に亡骸に降り注ぐ雨は命を懸けて戦った人々に対する労いのような慈雨のような感じにも解釈できる。

ラ・マルセイエーズ🇫🇷
歌はやはり人々を団結させる重要な存在。
この時代が舞台の映画は「レ・ミゼラブル」しか観てないけど、「民衆の歌」のシーンでも歌によって民衆は団結し、人々の感動を誘う。
この作品は、かのドミトリー・ショスタコーヴィチが初めて映画音楽を作ったというだけあり、音楽の使い方はとても効果的。ショスタコのフルオケの演奏でも観たいな〜今回はきっと元のメロディは同じ、その楽譜をアレンジしているのだと思う。でも戦闘シーンの激しい戦火を激しいギターの音が表現したり、はたまた冒頭のコミカルな雰囲気を軽快に引き立てたり、フルートの不穏な音が人々の心の乱れを表していたり、ふたつの楽器だけで音楽の幅広くて素晴らしかった…!!ヴィブラートたっぷりの低めのフルートの音、、私大好きなんですよね。

百貨店にいるカンカンダンサーたちは豪華秀麗な衣装にはっきりとしたメイク。ギラギラと目に宿る光は「民衆を導く自由の女神」のような姿を思わせる。でも多分ブルジョワ階級にとってはいい存在ではないよなだから違う気がする。女神とかそういう、??が、パリの危機を知ると呼応するように力なく項垂れる。
ブルジョワの狂いぶり。
早いカメラワークと相まってより狂ってる。
もはやカオス。

さっきまで隣にいた愛する人が今はもう死んでしまっている、そういう若いカップルのシーンもあってとても残酷。

ルイーズの最後の満面の笑み。なんでこんな笑ってるの、、?ってちょっと思ったけど最後までかっこよい。
ラストシーンの共産主義に寝返ったジャンは本当に かっこいい。これからルイーズの死を背負いながら強く生き抜いていって欲しい…。そんな覚悟も見える、。vive la commune!!!

戦争の見物を終えたブルジョワたちは皆ジャンを祝福するが、彼の目はずっと虚ろ。捕虜となったルイーズを探し求めて行く彼の目には光がない。やっと再開したところは裁判所で、ルイーズは死刑宣告、ジャンは墓を掘ることを命じられる…。

新バビロンの中にあったちょっと怖い顔のマネキンも終盤は火に飲まれていく、バリケードになりそうな大きいもの、重いものを全部広場に集めて、ブルジョワがこぞって取っていたレース地のリボンは止血に使われる。

クジミナちゃんほんとに綺麗だし
記者の子がモブだけどすごい美しい…!!推し。
yuzu
-
「ハムレット」「リア王」の監督の作品(共同監督)ということで観てみた。

なんとギターとフルートによる伴奏付上映!始めて体験した。楽しい!

世界史よくわからんもんで、一体いつの物語…?って思ってたら、1871年のパリコミューンの時代とのこと。

「新バビロン」って名前のデパートで働く売り子を中心に描かれるけど、とにかくエネルギーがすげえ!
特に戦闘開始とともに伴奏のフルートがフランス国家演奏し始めた時がもう胸アツのアツアツだ!ほんと伴奏付き上映で大当たり!
そっからはもうすげえシーンが続く。優雅に丘の上から眺めるブルジョアに対して、バリケードの向こう側でお裁縫してた女性が針を捨て銃を手に取ったり、燃えるマネキン人形の隣で大安売りのかけ声あげたり、壁に「VIVA〜」と書こうとして力尽きた死体が映されたり…。さらにその後の雨に濡れる民衆と処刑もすごき。
✔️『新バビロン』(3.4)『スポーツの女王』(3.5)▶️▶️ 

サイレント映画は、滑らかさ優先、決まりごとの語り口に準じた展開、に慣れた我々には、妙にゴツゴツして、時にドロドロと、常識を越えた流れに引き込んでくれることも多く、直に迫ってきたりもして、新鮮だ。その特集から、二本を観る。
 『新バビロン』。コージンチェフは、マクシム三部作やシェークスピア連作らで、特筆される名前だが、それらに劣らないと有名な前衛的初期作の上映に、前に観て総体としてはあまり感激しなかったのに、また足を運んだのは、高級ブランド感を味わいたい・さもしさ故か。
 そもそもパリコミューンなんぞに何の知識も興味もないので、当時のソ連映画が他国の共産主義の萌芽の歴史に賛美をおくるパターンに眉をしかめるばかりだ。普仏戦争における独(普)の優位に対し、国民感情は反独で高揚し、仏軍はパリを離れ、残った民衆によりコミューンが浸透し、内外ともに強力なものに鍛えられて行く。が、仏独軍はコミューンを追い詰めてく。他の男らもいたが、軍隊に入った素朴な青年と恋仲となる、コミューンの理想に益々同化し、現実には皮肉な笑いにたどり着く、濃い密度の大型店舗「新バビロン」で働いてたヒロイン。彼女は、「主人より個人」のコミューンとその思想に耽溺してく。物量差に押し込められ、彼女を含め多くのコミューンメンバーの射殺と、「ビバ・コミューン」の壁面への書き付けで終わる。
 勿論画面相互と人物らの激しい葛藤や動きや付き出してくるものも詰まってはいる。だが、説明の字幕らを敢えて抑えてるので、理解不十分な侭で、何かに呑み込まれてく。結果支配されたのは、前面のストーリーのベースとして、驚くような造型とそのポテンシャルで、全てを溶かしてしまいそうな、アンニュイな変にギラつきうねる空間の存在だ。朧ろに揺らぎ包む霞か、叩きつけり水量の覆いに、身を浸されそうだ。極端な照明によるコントラストの幅と絞り込み、強力な粒子感。踊り飲み着飾った男女の人工的空間に、まるでスクリーンプロセスを不可能な重ね方をしたような、不可思議な幾層かの煙状が支配する、店内。人はその層を超越して出入りする。後半は、屋外夜間、強く差し込む人工光にテカりながら、立体要素に積まれた路上や、溝の辺に、極限迄強く果てず、打ち付ける大量の雨粒の叩き埋め列落ち群。そのショットがしつこく、状況説明を超えた頻度で主調として挟まれる。
 圧倒的アートか(『ブレードランナー』を上回る造型の圧)。映画としては我々はもっとヤワなものを求めてる、齟齬も生まれる。山あり谷ありの、多様な可能性の余地が映画だ。この強烈さを残しながら、その柔らか通俗な理解可能性を与えたのが、ソ連映画史の最高作の一本『マクシムの帰還』等なのだろう。
………………………………………………
 『スポーツの~』。孫瑜は、40年位前からの、数年置きの中国映画祭での、最大の人気監督、乃至はその1人だった。1930年代の中華民国時代、この国の映画史初期から、『大路』を皮切りに、当時、今でもだが、そのタッチ、空気はまるで異質で、新鮮さが個の側から発散し、駆け巡った。そのトーンの象徴が、ヒロイン黎莉莉で、高名な阮玲玉よりも、我々には印象に残った。そんなコンビ作の一本『~女王』は一際、描写やテーマで一筋縄ではゆかぬ作で、本来の彼女の前向きオンリーさえ裏切り、更に苦渋にうちひしがれるよりも、社会の浮わついた空気にはっきり楔を打ち込もうとしてる。この女優特有の陰りのない、ひたすら明るさと悲劇の象徴的キャラから、変化の巾が与えられ、現実的な矛盾・苦渋に苛まれ、只安らぎを与えるのではなく、社会の復層に反応し、実に多面なニュアンスを増やし続けてく。競技やトレーニング自体から、外形の晴れやかさ・華々しさを離れ、気力から離れた自省を内に問う歩きの長めフォローショットらが、作のメインイメージだ。孫瑜のタッチも、室内フォローや迫りを中心に、これ程かというくらいに、横・縦・上下に長く受渡して結果複雑にカメラが動きまわる。ロケでも、様々アイリス・全体と部分、角度と歓声の反応引き合い、動きを割り繋げるカッティング、コマ落としめ猛速と単独もがきフォームフォロー別撮り入れ、らの多彩細かく弾け続ける編集、の中にしっかり置かれ入れられる。犬と駆け回り、婚約者?や家人の周囲を掻き回すヒロインの強調から、次第に意味合いがずれてく。この作家のお馴染みコメディリリーフ役者らも、他作ほど効果を生まぬ。
 浙江の田舎から、上海大都会へ、あちこち国内飛び回る父の元へ、スポーツ盛んな寄宿舎の高校ということで、移り、先に来てた親友と、その兄のコーチの下、国全体のスポーツの女王=陸上短距離界のトップ名士となってく、かなり裕福で社会的地位もある、陰りなく元気を振り撒く娘。持ち前の体育救国論の実践で身も心も社会と国を高めんと考えてるも、同じ富裕とサッカーヒーローを武器に悦楽嵌まり込みに誘う・憧れの先輩の正体や、同じ仲間の筈が、身体を酷使して死にも至る、成上がり思考でヒロインを妬む下層出の存在も、身に染みて思い知る。国内最大級の大会で、総合優勝目前、アスリートとして棄権はしないが、敢えてゴール前で大失速して見せる。根本的闘いや向上を誓う。