タケオ

ロード・オブ・カオスのタケオのレビュー・感想・評価

ロード・オブ・カオス(2018年製作の映画)
4.6
 「エンペラー」「バーズム」「ダークスローン」と並び、初期ブラック・メタル・シーンを代表する伝説的な存在となったノルウェーのバンド「メイヘム」が、過激なパフォーマンスでブラック・メタル界を席捲し、狂乱の果てにやがて破滅していく姿を描いた「青春映画」の傑作である。ここで「青春映画」という表現を用いたのは、何も気を衒ってのことではない。多感な青年たちの錯乱し、混濁した、どこまでもねじくれた精神を描いたという意味において、本作は極めて真っ当な「青春映画」である。
 もともと本作は、園子温監督の海外デビュー作として企画されていたものだったが、キャスティングが難航したためやむなく断念。代わりとして、『SPUN スパン』(02年)などで知られるジョナス・アカーランドが監督を務めることとなった。園子温版もぜひ鑑賞してみたかったが、もはや今となってはジョナス・アカーランドしか考えられない。アカーランドのチャカチャカとしたMV的な編集はあまり得意ではなかったが、そんな彼特有の編集スタイルが本作では見事にハマっている。随所で顔を覗かせるユーモア感覚も素晴らしい。
 「メイヘム」のメンバーは、放火や殺人など数々の悪行に手を染めたが、それらの行為は全て、自らが「ポーザー(見掛け倒し)」ではないことを証明するためだった。バカバカしく聞こえるかもしれないが、まだ「何者」にもなれていない若者たちにとって、自らが「ポーザー」かそうでないかは極めて重要なのだ。まだ「何者」にもなれていない。でも、お前らみたいな「ポーザー」にはなりたくない。キリスト教という何の役にも立たない「お為ぼかし」に縋りつき、社会に溢れる偽善や欺瞞の波に飲み込まれ、理不尽な権力に盲目的に追従するだけの、腐り切った愚劣な存在になってたまるか‼︎俺たちは「ロード・オブ・カオス(混沌の覇者)」だ‼
 ︎不正と悪徳を憎む思春期ならではの純粋さと、「何者かにならなければならない」というプレッシャーが、彼らを破滅へと導いていく。その姿からは、『卒業』(69年)のベンジャミン(ダスティン・ホフマン)、『さらば青春の光』(79年)のジミー(フィル・ダニエルズ)、『ゴーストワールド』(01年)のイーニッド(ソーラ・バーチ)、『悪の華』(19年)の春日(伊藤健太郎)と中村(玉城ティナ)、「コロンバイン高校銃乱射事件」のエリックとディランとも通ずる、純粋な存在ゆえの「痛み」が確かに垣間見える。
 「痛み」は本作における重要なモチーフの1つである。本作は「メイヘム」のメンバーが『死霊のはらわた』(81年)や『ブレインデッド』(92年)を鑑賞している場面を挟み込むことで、見せ物精神溢れるエクストリームなグロ描写と、彼らが実際に振るってしまったどこまでも陰惨な暴力を対比させている。本作で描かれるあまりにもリアルな暴力描写は、思わず目を逸らしたくなるほど強烈なものばかりである。
 ジョナス・アカーランドは、「メイヘム」のメンバーのことをただ単に「イカれた若者」として断罪するような真似はしていない。彼らの暴走を冷静に見つめつつも、その根底にある「痛み」にそっと寄り添うかのようなタッチが徹底されている。アカーランド自身も、元はブラック・メタルバンド「バソリー」のドラマーだった。思春期ゆえの「痛み」に苛まれる「メイヘム」のメンバーたちに、若き日の自分の姿を見たのかもしれない。僕も本作にハッキリと自分自身の姿を見た。そして号泣した。この「痛み」を知っている人間は、決して少なくはないはずだ。
タケオ

タケオ