yamadakaba

花束みたいな恋をしたのyamadakabaのネタバレレビュー・内容・結末

花束みたいな恋をした(2021年製作の映画)
1.5

このレビューはネタバレを含みます

自分と価値観がほぼ同じ相手と出会って、恋をして、就職して、すれ違って、別れた男女の物語。出会い別れるボーイミーツガール。人の成長が描かれているのだと思う。

菅田将暉と有村架純が、サブカル知識満載な20代前半を好演。
脚本執筆前にふたりの5年間の日記をA4 40枚くらい書き出したと語る坂元裕二。このことからわかるように、2人の日常を描いたストーリーになっている。

好きな作家や映画、お揃いの靴、納得いかないジャンケンのルール、、同じ価値観・感性のふたりは、当然のように付き合うことになり、同棲をはじめる。麦(菅田将暉)の目標は、絹(有村架純)と現状維持で一緒に居続けること。
親の仕送りがなくなることで、現状維持が難しくなった麦は、好きだから生業にしたいと考えていたイラストレーターの道を半ば諦め、就職することに。絹も同様に働く決意をする。
就職したふたりは、徐々にすれ違っていく。仕事を理由に出かける約束は反故にされ、喧嘩になり、やがて喧嘩がなくなり、セックスもしなくなり、会話もなくなる。
友人の結婚式の帰り道、ファミレスで話し合おうとするふたり。出会った頃は同じ考えだったふたりが、決定的に異なってしまったのがファミレスで話す2人の会話。麦は結婚しようと言い、絹は別れようと言う。現状に対してどうすべきか、正反対の考えに至ってしまったふたり。隣の席に座った若いカップル。同じ価値観を持っている。そんな姿に出会ったばかりの自分たちの姿を重ね合わせる。泣き出す絹。そこで別れることを決める2人。
別れたふたりは、後日別のパートナーと一緒にカフェにいる。このシーンは冒頭でも描かれるひとつイヤホンで音楽を聴くことの音楽への冒涜。ふたりの価値観はやっぱり同じ。なんだけれど、一緒になることはない。

ふたりがしていたのは恋じゃなくて、自分の分身みたいな相手といる居心地のよさだったのかもしれない。
麦はおそらく、実家・長岡の稼業がいやで東京に出てきている。絹は価値観の合わない家族の中で居場所がない。はみ出した2人は、ポップカルチャーにハマり、お互い自分みたいな居心地のいい相手を見つけ、一緒にいることになる。ぬるま湯に浸かるようなものかもしれない。ふたりで同じぬるま湯に浸かっている間は楽しい。けれど、自分達とは違う価値観の人と交わらなければならなくなると、上手くいかないことも出てくる。だから就職し、社会に出た2人はうまくいかなくなる。いろんな価値観の大人と出会うことで、居心地の良い温度がちょっとずつ変わるからだろう。麦はステレオタイプの社会人に。絹も興味が湧く仕事へと転職を勝手に決める。

社会人になってからの麦の変化が大きすぎるようにも思えた。サブカル好きで中性的な印象だった麦はたった数年で典型的な社会人へと変わっていた。そもそも、麦の本質は、サブカルどっぷりな人ではないのかもしれない。絹との会話の中で名前の挙がる作家や作品などの固有名詞も、実はそこまでディープではない。ともすれば、とても表面的で、深く浸かっている人ではないのかもしれない。絹も同様だ。だから、ちょっと社会に出るだけで、すぐに変わってしまう。
イヤホンについての蘊蓄が、そんな麦と絹の本質を表している。この話は、自分で考えて辿り着いたものでなく、ファミレスで聞かされたおじさんエンジニアの受け売りなのだ。他の話についても、聞いたことあるような、一歩視点をずらしただけの価値観を表す話が多い。ジャンケン然り、ブラジル然り。
そう考えると、ふたりはなにも変わっていない。

価値観の近しいふたりが、同じ価値観がたくさん集まることによって、相手が魅力的に見える。花がたくさん集まって束になったとき、とても魅力的に見えるような、そんな恋をしたふたりの話なんだろうと思う。
同じものを積み重ねても、もっと綺麗な花になるとか、別のものになるとかにはならなくて、その花それ以上にはならない。
変化するか、違うものと掛け合わされることも、必要なんだ。そんな風に思わされた映画だった。
yamadakaba

yamadakaba