平野レミゼラブル

子供はわかってあげないの平野レミゼラブルのネタバレレビュー・内容・結末

子供はわかってあげない(2020年製作の映画)
4.9

このレビューはネタバレを含みます

【高まる胸騒ぎとミーム継承の尊さでカラダが夏にナリ過激に気ぶる…!「告れっ!!」「告れーっ!!」】
キュン死にするわ~~~~~~~~~~~~~~!!!!!
予告編で「来たよ来たよ~胸騒ぎってやつが!!」と流れてきましたが、マジで終盤凄まじい勢いで胸騒ぎが来まくり、心筋梗塞待ったなしの状態までボルテージ上がってしまったので本当にキュン死にするかと思った……
これは持論なのですが、「あ~俺もこの中に混ざりてェ~!」って思うほどの青春を描くのが一流の青春映画。逆にこの中に自分が混ざると不純物になるため、ひたすら画面の外から「抱けえっ!!」「抱けっ!!」「抱けーっ!!」「抱けーっ!!」と気ぶりじじいと化して叫びまくってしまうほどの青春を描くのが超一流の青春映画。
そして、本作は正に後半僕の胸騒ぎが高まりすぎて見事に気ぶっていたため、超一流の青春映画と認定します。本当すき。涙が止まらずノスタル爺に浸るほどにだいすき……

田島列島先生の原作漫画は読んでなかったため、映画を観終わった後に読みましたがこれも面白い。
しかし、実写版はそんな原作に最大のリスペクトを捧げつつ、『南極料理人』や『キツツキと雨』でオフビートな笑いを孕ませた丁寧な作劇を展開した沖田修一監督らしさをも詰め込み、実写は実写として滅茶苦茶面白い作品に仕立てているのが実にお見事。
作中でヒロインのサクタが「アニヲタとしては何でもかんでも実写化する昨今の風潮を否定したい」と語っているのですが、これは本作が正に漫画の実写化作品であり、なおかつかなり面白い実写映画であるために成り立つ高度なギャグとなっているワケです。

物語の内容は水泳部に所属しているマイペース女子「タルンドルサクタ」こと朔田美波(上白石萌歌)と、有名な書家の出で書道部所属のもじくんこと門司昭平(細川佳央太)の2人が共通の趣味であるアニメによって知り合い、夏休み中にサクタの生き別れの実父を探し出すというもの。もじくんの兄でオネェである明大(千葉雄大)の職業が探偵ということで彼(女)に依頼し、サクタの父が藁谷友充(豊川悦司)という新興宗教の教祖で現在は海辺の田舎で隠遁していると突き止めると、サクタは早速水泳部の合宿を抜け出し家族にも秘密で実父と会うことにするが……という流れになっています。
基本的には前半サクタともじくんの馴れ初めからの青春劇、後半は田舎でのサクタと実父のぎこちない親子関係という構成に分かれますかね。原作では明大が第三の主人公ポジションであり、彼女が教団のお金を持ち逃げした藁谷の調査を行うサイドストーリーも挿入されるのですが、映画では「サクタ×もじ」「娘×実父」の関係性を強調するため思い切ってカット。そのため藁谷が教団を離れた経緯が異なっていたり、明大の出番が少なくなってゲスト出演みたいな形になっていますが、それでも作品のテーマや雰囲気は損なわれず、むしろ登場人物を絞ったことで物語がより引き締まった印象があります。

上記、明大パートのカットが顕著なのですが、全体的な流れは原作と変わらずとも、ちょくちょく大胆に改変している箇所はあります。しかし改変することで歪みが生じることがないばかりか、却って話運びがスムーズになっている脚本が本当に巧いです。
むしろ、原作の何気ない要素を拾って昇華させている部分が多々あって、あとで原作読みながら「映画が滅茶苦茶巧ェ~~~!!」と改めて嘆息してしまったんですから相当ですよ。

物語の構造は連作でありながら基本1話完結作品としても読める原作をなぞったのか、1シーンを長回しでじっくり映していく形なのですが、その長回しの中での間とか然り気ない会話の外しなどオフビートな笑いが絶妙なタイミングで飛び出してくるので全く飽きることがありません。
初対面でありながら、徐々に共通の話題で盛り上がっていくサクタともじくんのやり取りや、ほぼ面識がない状態で突然尋ねていったため親子でありながらぎこちない時を過ごすサクタと藁谷の気まずさなんかは冗長とも思える長回しでなければ再現できない面白さ。前者は屋上から階段を下りながらかなりマニアックな話を繰り広げる2人を、後者はお互いに飲み物の氷やおこしをガリガリと砕いているサマなんかを映しているのが特にユニークでしたね。

また、そんな長回しの中でしっかりロングパスの伏線や、気持ちを昂らせるリフレイン演出の為の印象付け等を仕込んでおり、観賞者の期待を蓄積させていく構造も最高でした。物語終盤に蓄積された期待に怒涛の勢いで応えていってくれたのが胸騒ぎの正体であり、オフビートな中に最高のエモーションを仕込みまくった超一流のエモ花火師・沖田修一の名人芸に惚れ惚れするしかない。

特にもじくんが浜辺に「朔田美波」と書いたら海から本当にサクタが飛び出してきたのに対して、美波がプールサイドに「もじくん」と書いたら屋上に本当にもじくんが現れたリフレインなんて文字通りの「来たよ来たよ~胸騒ぎってやつが!!」でしたからね。あとで原作読んだら美波がプールサイドに文字書いたのは映画オリジナルだったんでビビりました。
ここから美波が冒頭での階段下りながらの会話を逆再生しつつ駆け上がっていき、告白前に思わず爆笑してしまう流れは完全に原作超えしていると言っちゃって良いと思う。
告白前にサクタが笑うのも原作通りなんだけど、原作にあった「もじくんの友達が告白の際に緊張して爆笑してしまって振られた」エピソードをカットして、サクタが真面目な場面であればあるほど爆笑してしまう気質ってことを映画内で殊更に強調していたのも滅茶苦茶良い効果を生んでいました。

これら全てが併さった結果、僕は映画館の劇場で「告れっ!!」「告れっ!!」「告れーっ!!」「告れーっ!!」と(心の中で)絶叫する気ぶりじじいと化しました。本当に過去最高の青春密度であり、ボーイ・ミーツ・ガールの結末としてダントツ1位だよ……
そんな調子で全ての要素の積み重ねがとんでもない興奮に繋がったため、一夏のたわいもないお話としては結構長尺な139分の上映時間に無駄な部分など何一つなかったと断言できます。


爽やか青春ボーイ・ミーツ・ガールの「サクタ×もじ」に対して、親子愛ジュブナイルたる「娘×実父」の関係性もハチャメチャに良いです。原作だと割とすんなり親子で会話を始めて馴染んだり、藁谷が人の頭の中身を読む超能力を持つってこともあっさり受け入れるんですけど、映画では前述通り言葉が詰まったり、藁谷が超能力を持つって語るのを以てサクタが「ヤバイ人」「可哀想な人」認定したりでぎこちない関係性なのが却って自然で良いです。
藁谷も人の頭が読めるとは思えないほどに(不用意に読まないようにしているとは言っているものの)娘の心が読めていない。滞在しても数日くらいの娘の為にテレビを買ってきてしまうなど、盛大に行動力や距離感がバグっているという。
間に藁谷の現在の勤め先である指圧院の孫娘・じんこちゃんにサクタが泳ぎを教えるって過程を入れてようやく正常なコミュニケーションが成り立っていき、そして藁谷がサクタに超能力を、サクタが藁谷に泳ぎを教える関係性に変化していくのも微笑ましい。

そして、この奇妙な親子関係で見えてくる本作のテーマというのが「ミームの継承」。
作中、もじくんが夏休みの書道教室で子供たちに習字を教えているところを見てサクタが感心する一幕がありますが、その時にもじくんは「誰だって教わったことならば人に教えることができる」と語ります。そんなもじくんに倣って、サクタも自分が母親に教わったように、じんこちゃんと藁谷に水泳の極意「死体となって水中に浮かぶ」ことを教えていくのです。
しかし、そんな最中で藁谷は「自分の能力は生まれつきであること」「教団は自分の能力を人に教えるために作ったこと」「しかし人から教わったことではないため、人に教えても誰一人継承には至らなかったこと」「以前より能力が弱まったこと」「これらのことがあって教団からも追い出されてしまったこと」をサクタに告白します。
「教わったことは教えられる」という真理を作中の根底に置いたが故に、生まれ持っての能力者である藁谷の告白はそのまま「誰とも繋がることができない苦悩」として浮かび上がります。
自分を持ち上げた教団からも見放され、アイデンティティである能力すら弱まった藁谷は今にも消え入りそうな存在だったワケで、そのためサクタが「可哀想な人」と評したのは実は間違っていないという。そんな可哀想な人だからこそ藁谷は、突然やってきた娘という「繋がり」を前にはしゃいでしまい、その行動が空回りを続けていたというワケです。
原作では普通にもじくんの脳内を読みながら会話しているなど能力が健在なことがわかるため、ここも教団離脱の理由同様に映画ならではの改変点ですね。なんやかんや彼の帰りを待つ教団員がいたり、能力の継承を諦めて最終的に吹っ切れた原作の藁谷と比べると、映画の藁谷は若干哀愁が強め。ここら辺は映画ではカットされた「ゲイカップルであるが故に子供を残すことができない」明大と古書店の善さんの微かな悲哀を藁谷の方に組み込んでいる気がします。

しかし、そんな藁谷の悲哀を映画はまた別の観点から何度も救っていまして、結局娘は超能力を受け継ぐことが出来なかったけれども、藁谷は死体のように水中で浮かんで泳ぐことが出来るようになった。自分から教えて繋げることは出来なかったとしても、他人から教わって繋がることは出来るとハッキリ示してくれたのが爽やかです。
しかもこの繋がり、実の娘との確かな繋がりだけじゃありませんからね。サクタは母親から泳ぎを教わったということなので、かつて愛した女からも藁谷は受け継ぐことに成功したのです。

そして藁谷の能力は誰にも受け継がれなかったのかというと、それも怪しいと僕は睨んでいまして……その他ならぬ藁谷が愛した女であるサクタの母親に、頭の中を読み取る能力は受け継がれたのではないでしょうか。
というのも、原作ではサクタの凡ミスが目立って、サクタが合宿を抜け出して実父のところに行ったことが母親にバレていたんですが、映画版はそういったミスがないにも関わらず最終的に母親にサクタの行動の全てがバレているんですよ!
まあ、親であるならば娘の嘘なんて簡単に見破られるってオチとも取れますが、どちらにしろ母親がサクタの頭を読めたって事実は変わらないワケで……この辺り「サクタが今の家族関係を壊さないように密かに動いていた」ことを汲み取って優しく抱擁する原作からの親子愛要素にプラスされる形で余計に感動してしまいました。

さらにさらに!サクタともじくんの繋がりであるマニアックな劇中アニメ『魔法左官少女バッファローKOTEKO』を最終的に藁谷も観ることで、もう一つの継承にしているってのも思わず「オオっ!?」となった要素。
作中ではもじくんが『KOTEKO』の監督がオマージュしたというアニメのBOXをサクタに渡す、謂わば「アニメの布教」というヲタクあるある行為を描いていたのですが、これも「ミームの継承」と捉えてくれたのが非常にニクい演出だな~って嬉しくなっちゃったんですよね。でも、この時点ではヲタク同士のマニアックな繋がりに過ぎません。
しかし、最後の最後で藁谷がサクタともじくんが去って寂しくなってしまった自宅で、娘を知ろうと購入した『KOTEKO』のDVD-BOXを観賞することで、親子間の絆というミームにまで発展した感動が凄まじい。これから先、娘と中々会えなくても、娘によって「布教」された繋がりによって藁谷は前向きに生きていけるのです。
「アニメの布教を宗教の元教祖が受ける」、「藁谷が調子に乗って買ってしまったテレビにちゃんとした意味が与えられる」といった形に、何重にも文脈がバッチリ乗っかるのも鮮やかすぎて唸ってしまった。

ちなみに、もじくんからサクタに布教されたアニメについてなんですが、それを観たサクタは律儀に感想文をしたためた上で返却するというヲタク冥利に尽きる行動していまして、この時点でサクタのことが大大大好きになっていました……なんやこのヲタクに優しい美少女の理想形は……惚れるに決まってんじゃん……
僕もFlmarksで薦めた作品が皆さんにClipされて、その後感想がアップされた時がこの世で一番嬉しい時なんで、皆さんも今後ともよろしくお願いしますね。

さらにちなみに、この『魔法左官少女バッファローKOTEKO』、劇中アニメとしては異常なまでにクオリティが高く、劇中アニメ用に別途アニメ監督を起用していたり、声優がやたら豪華だったり(EDクレジットのキャスト見て噴き出した。見るまでそうだとわかんねーよ!!)、富田美憂が主演・OP・EDを兼任しているのがそれっぽかったりで、作り込みがとことん凄い。
内容はスッゲェーシュールなんですが、それでもサクタやもじくんといった一部熱狂するマニアがいるのも納得の説得力を持たせているので、本当神は細部に宿るというか……
というか、これもあと原作読んでビビったんですが、『KOTEKO』の設定が提示されているのって原作じゃ1コマ程度でほとんどないんですよ!!それなのに、映画だとキャラクターが増えているわ、サクタやもじくんが喋っている内容も「作画が間に合ってない回があってそれの録画は滅茶苦茶レア」とか異様にマニアックだわで作品自体を尋常じゃないくらいに補強している。
この劇中アニメのクオリティはYoutubeにも上がっているので是非一度観て欲しいですね……ってこの映像、映画でも観た覚えないんですけど!?どこまで作り込んでいるんだ!?

https://www.youtube.com/watch?v=MbRQyE8K0I0


あと、キャストも全員良くってですね~、特にサクタ役の上白石萌歌ちゃんが可愛いのなんのって……ボーイッシュで健康的な見た目でいながら、ちょっと天然でヲタク仲間として距離を一気に詰めてくる天真爛漫さにキュンキュンしきり。恋心を自覚してからの可愛さは天元突破しており、もう堪らん……
そして、そのお相手役であるもじくん役の細田佳央太くんもイイ…!嫉妬の塊である僕は、普通こういう美味しい想いをする役柄を憎しみの目で見てしまうのですが、その常に誠実で真摯で嫌味が一切ない在り方は「サクタさんにはお前しかいない…!幸せにしろよ…!」と全力でエールを送ってしまうレベル。
その2人に混ざる実父トヨエツも最高。原作では絵柄もあいまって終始割とのほほんとしていたものの、こちらでは父性というか娘への独占欲が変な方向に回って若干の怖さすら滲んでいたのが面白い。娘が目を覚ますと海パン姿のトヨエツが!は一歩間違えれば変質者だが(普通にドン引きされたし、しばらく娘から変質者扱いを受けていたが)、トヨエツのセクシーさでいくらか緩和されていた気がする。もじくんとの腹を割っての酒を酌み交わすサマもひたすら愉快で可愛いおじさまとしか言えなくなった。

あと原作だと見た目が完全に女性だった明大に、敢えて見た目は男性のままに千葉雄大というチョイスの完璧さね!!元々可愛い中性的な顔をしていたものの、ここまで千葉雄大が自然にオネェ系を演じ切れることに驚いたし、何なら普通にときめいた。
他にも斉藤由貴や古舘寛治が織り成す幸せ一家の質感やら、ミヤジやじんこちゃんもみんなみんな平和でのほほんとしていて嫌な部分が一切なくて観ていて本当幸せな気持ちになる人しかいないのが素晴らしくってね……キャスト全員ハマり役と断言しちゃいますよ!!


やっぱりこの原作の持つひたすらにとぼけた空気感と、沖田修一監督の手掛ける事象じゃなくて漂う雰囲気でクスッとさせる手腕が絶妙に絡み合っているだけでも満足度高いのに、その上で「ミーム継承」の部分に沿って原作から的確に場面を取捨選択して昇華させるまでに練り込んだ脚本も重なったら完璧な実写映画としか言えねーですねー。
観た後に年甲斐もなく胸を高鳴らせてキュンキュンしきりだったし、ここまで観賞後に晴れやかになった作品は初めてですよ。
その上で、エンドロール後に映される「文章」も気が利いていて「粋」としか言えないし、今年観た中で実質1位です。本当素敵すぎるので、みんなもどんどん布教してミームを繋げてね。

超絶オススメ!!