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『快楽の園』に投稿された感想・評価

adeam

adeamの感想・評価

1.5
当時まだ二十代半ばだったヒッチコックの監督デビュー作。
2人の踊り子の女とその恋の相手となる男たちの間で繰り広げられる愛憎を描くメロドラマです。
お話としては何とも無難で、制作年代を考慮しても語り継がれる程のものではないと思いますが、数多の撮影手法と演出テクニックを生み出すことになるヒッチコックの処女作として注目すると楽しいところがいくつかありました。
序盤のピントのズレたダンサーの手前に双眼鏡を持った手がフレームインするカットがいきなり目を引きますし、終盤のサスペンスの中に仄かにユーモアを漂わせるセンスも後々まで通じるらしさが表れていた気がしました。
さっ

さっの感想・評価

-
第一作からゲッスいヒッチ。植民地に現地妻を囲ってるただヤりたいだけの夫のカスぶりがすごい。沖合いの孤絶感。笑ったのはパツィを二度も助けるヒーローがただの同僚(→同僚じゃなくて医者らしい)だったのと、脚立を登るオヤジの手がおかみさんのド頭を押さえつけてたこと
☑️『快楽の園』及び『ふしだらな女』『リング』▶️▶️
偉大な作家は、処女作から圧倒的な個性と完成度を示している、というのが以前からの自説である。今は誰もそんなことは云わなくなったが、ルノワール・フォードが割と長い修行の後、頭角を現し一流となったは、それぞれ『牝犬』からのトーキー以後、『男の敵』ら1930年代後半からというのが、定説だった。しかし、それは当初才能を見抜けなかった人らによる俗説で、その後初期作が新たに発見されたのも含め、割と頻繁に観られる様になると、コロッとひっくり返った(力衰えたりとされてた晩年の作品もそうだ。それぞれの遺作『~小劇場』『荒野の女たち』を傑作と呼ばない人たちが今日いるだろうか)。
ヒッチコックもそうだ。この処女作にはヒッチコックの全てが既にして納まりみなぎっている。ショットの正確さは既にして完全に身に付けてる。角度や位置を少しズラせてアクセントを付けてる所はあるが(それに安易に流れる事はなく)、90゜や切返しや縦位置パースペクティブや装置美術の囲み・或いはサイズ切替えと寄り対応といった、全ショットの決定・刻印・さりげなさは強い最速・最良の情報と構築を繋いでる、しかも贅肉付けずのこの上なく明晰も・その知性が嫌らしくない求心力・純度・格で。俯瞰め、視界(ボケや幻覚OL)、小道具や動物挟み、少し間隔ある呼応、身体の上下半身分割対応、異世界対照、サイレント期の画面絞込み、等々も、今日ここまで描ける人がどれくらいいるか。
そして、挑発・招き的なものではない、映画表現自体のエロティックで艶かしい緊張感。それは映画の内的速度を速める。二人の女の着てる物の脱ぎっことそのポイポイ放りの集積をはじめ、全編そうだ。後に、殺人シーンとラブシーンを等価・交換可能のテイスト・魅惑としたこの作家の面目躍如である。そして、ストーリー・状況ではない、中心人物の直感的・生理的嫌悪感と親近感の(思惑を越えて先見的な)発生と、その牽引力が作品を進めてく。その鋭さ・微細さは作品を刃物の状態に磨きあげてゆく。
カソリック宗教性や小さき生ける物への対し方、形式や社会的価値の利用目的の重視、にも現れる、人の仮面性・その隠された真の顔、執拗なしかし下品でないサディズム、開放より堕落の香り強烈な放埒性。ヒッチコックは、豊満より清潔な女、威厳より無力美男、が好みだ。カップルの入れ替えと併さる。勿論コメディリリーフは別で、尊重している。怪物的悪の体現者は、苦悩の姿も他者への(その心へも)傷つけは留まるを知らず、(精神的にも無垢で)無防備な美女へのサディズムも観る側に代わってエスカレートもしてくれる。善の勝利・救いは、無力なその者の努力ではなく、天恵の如く不意にもたらされる。
全ては社会的・道徳的要請ではなく、他愛もないが、愛さずにはいられない映画というものだけに、殉じているのだ。説教・講義より、はるかに深部に甘く突き刺さってくるもの、がある。
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『快楽~』のフィルム素材もあまりよくないが、『ふしだらな女』は更に酷く、8ミリが素材か。ヒッチコック的とは言えずも、映画的処理・達成がここでも充分試みられ、達成されている。N・カワードの演劇ベースは、『逢びき』と同じく初終で似た場面(駅ホーム別れの視点変えと二度の離婚裁判)が繰返され、その間にヒロインの観客に与える精神的な強靭さ・世慣れ度は格段に傷を見せて鍛えられてる。ただ、こちらの方は過去の事実より、それを隠す中での不安・疑心暗鬼が、周囲にも伝播し元よりの確執が決定的になり、居直り・ふて腐れの仮面が実態となってく(純な存在はヒロインを励ます者にあてられ)。
演劇的な厚みを欠く平板・平面的絵柄を、ヒッチコックは、(いきなりの)正面顔のCU、(そこからの)カメラ縦移動、すれ違う縦の図の(どんでん)果てのない伸び、横顔DISズラシ対応、向き合うトゥショットを多用し(垂直ポジション・斜め位置・寄りと退きカット・手前の物ナメの図・仰角も交え)、人の立つ空間を濁りなく閉塞を開く、内容に反する無限可能空間に変えていくのである。ヒロインの不敵な強靭さ増しが、共感or嫌悪の強調を離れ、客観的に示され抜く。映画だけが真に生きてくのである。サイレントなに、漏れ聞き・盗み聞きが鮮やかに活きている。J・スタージェス的スマート・スッキリ感を途中少しだけ感じた。
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3本の中では素材が最も美しく残ってる『リング』は、恋の鞘当てのリング上での(納得ずくの)決着を描いてて、云わば阿吽の呼吸で成っており、様々な横道・余話に滞ってゆき、いろんなタッチ・味も満載だが、それでいて映画的一体感・求心性の貫きがどの瞬間にも感じられる作品で、この作家が後年扱うジャンルを絞った事が残念で(『ハリーの災難』の様な異色の秀作もあるが)、この方向でももっともっと作ってほしかったりもする。遊園地、見世物拳闘小屋、プロのリングと会場、教会の結婚式、半名士としての祝勝会、それぞれが動感・小移動・位置関係・主観視界・(俯瞰め・縦め)全景・切返し・縦と垂直の視線の切結び・フィットへのサイズ寄りと位置ズレ、の多彩無定見め持ち駒でその場を存在させ・いきいき活かし呼吸させ、挑発・移ろい・迷い・やっかみ・対抗・嫌気・執着の視線と感情が立体的に複数同時交錯してゆく、しかも全体は映画としての見事な流れ・うねりの統一体を造っていってる。短いFOやDISや空気・照明感、小道具の感情を高める機能性、キャラの多様で有用性(『あしたのジョー』のちばが造った者ら的)、スマートな的確スピード・インパクトと遊び堂々巡り、のチョイス・処理が間違いない。
3本共、今では流れ滲み出してしまった、映画の姿・方向に、気づかせてくれる。

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