平野レミゼラブル

空白の平野レミゼラブルのネタバレレビュー・内容・結末

空白(2021年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

【この[ ]を埋めるもの】
『孤狼の血LEVEL2』で邦画史にその名を刻む狂気のヤクザと化した鈴木亮平と闘わされて満身創痍となっていたのが記憶に新しい松坂桃李が、今度は娘を喪い暴走するモンスターファーザーと化した古田新太と闘わされる羽目になったヒューマン・サスペンス。最近の邦画界隈のトレンドは、ゴジラよろしくの「松坂桃李vs」シリーズ。松坂桃李にはどんな怪物をぶつけても大丈夫だろうという謎の信頼があると思われる。
監督も僕の贔屓である𠮷田恵輔監督でして、彼は『ヒメアノ~ル』の森田を代表として日常に根差したサイコな怪物を描くのが非常に巧い。そして、怒鳴りまくり、暴れまくり、顔を豹変させまくりの古田新太が予告の時点で恐いとあらば、下半期随一の注目映画にもなるってワケです。さてさて、ワイルドな“孤狼”たる日岡刑事ではなく、“ただのスーパー店長”でしかない青柳を演じる桃李くんは、この怪物を相手に立ち向かうことが出来るのか?




待って……
待ってくれ……
いや、古田新太は期待通り恐かった……
嫌らしい偏向報道の在り方も実に𠮷田監督らしい現実の抉り方だった……
前門の古田新太、後門の大衆の悪意とでも言うべき松坂桃李くんの追い詰め方だった……
だが、まさか門の内部に「もうひとりの怪物」がいて、ソイツが一番桃李くんを追い詰めるなんて思ってもみなかったぞ!?
なんなんだよ、この「善意のモンスター」の極致たる寺島しのぶはよォ!?


本作、古田新太演じる添田充という娘を喪った『空白』を埋めようと責任を徹底的に青柳に転嫁して暴走するモンスターファーザーの存在を予告等で前面的に押し出しており、実際物語の主軸は充です。
充はもう人間的にクズと言って差し支えがない人物として徹底的に描かれており、職場の漁場では部下の龍馬(藤原季節)を大声で罵るパワハラは当たり前、車両通行禁止として係員に止められても「人は来てねェじゃねェか!!」と怒鳴り無理矢理押し通るルール無用っぷり。娘の花音(伊東蒼)と食卓を囲んだ状態でも携帯で平気で当たり散らかし、花音への返答もいちいち威圧するような声色というように親子間でのコミュニケーションすらまともに取れない調子であるため、典型的なモラハラ上司/親ということを冒頭からこれでもか!と示していきます。
そんな自分勝手で高圧的なクソ親父でも、娘が万引きをして逃げた先で交通事故に遭って死んでからは「娘がそんなことをするわけがねェ!」と憤り、娘の無念を晴らそうと奔走するため、根底には愛情があるハズなんですが、正直その比率というのはかなり偏っているという。彼にとって重要なのは「喪った娘」ではなくて「娘を喪って出来てしまった自分の『空白』を埋めること」の方で、どこまでいっても自分本位なのです。

そして、そんな彼の暴走は予告以上に凄まじい。
まず、娘を追いかけて事故に遭わせてしまった青柳には徹底的に詰め寄っていく。青柳が口下手で覇気も薄い気弱な男ということもあって、一度圧をかけてペースを握ったらそこから一気に暴言・暴挙を叩き込んでいきます。
充の嫌らしいところって、相手の弱みにしっかりつけ込んでいるところなんですよね……単に高圧的に責めてくるだけじゃない。それだけだと、相手が開き直って反撃される恐れがあるから、ちゃんとお前が悪いって罪の意識を植え付けてカウンターを防ぎ、ガードを甘くしたところをひたすら殴り続けている。かなり打算的です。

人間、一度罪悪感を植え付けられちゃうと、理不尽を全て受け入れなきゃいけないって贖罪モードになってしまいます。
本来、ラーメン注文して待ち時間にスマホゲームポチってる時に、どっかと隣の席に座って「ノンキなもんだな」って抜かされても、そんなこと言われる筋合いは微塵もない。それでも、自信満々に「お前が悪い」と突きつけてこられると、なんか本当に悪いことをした気分になってしまうんですよ……
どこまでも付きまとうだけじゃなく、こう心の隙間にスッと滑り込ませるような繊細な動きで徐々にダメージを与えていく。その手段があまりに執拗で、観ていて心をやすりで丹念に削られていくような痛みが来ます。

かといって、土下座して謝ったところで「そんなモン誰にだって出来るんだよ!」と宣いながら自身も土下座してみせて、逃げ道すら徹底的に潰しにくるという。
「じゃあどうすれば許してくれるんですか!」という悲痛な叫びに対しては「真実が知りたいだけ」と言ってちょっと救いを見せるのも詰め手として完璧。事故現場での再現を強要することで、具体的な「娘の死」を強引に青柳の「罪」だと結び付けて断罪し、奈落に突き落とすのです。
その上で、目の前で死ぬことは許さず「死ぬなら人の迷惑にならないように死ね」と突き放し、青柳の心は遂に粉々に砕け散ります。
ただでさえ恫喝自体が恐ろしかったのに、追い詰め方までとことん容赦がないため、本当に胸が張り裂けそうで仕方がなかったです。僕は割と涙脆くて劇場で泣く方ですが、しんどすぎて涙が出てきたのは初めて……PTSD発症映画か!?


しかし、この充の行動全てが寺島しのぶ演じる草加部麻子という「もうひとりの怪物」を隠すための撒餌だったんじゃないかと思うほどに彼女の存在感が凄まじいです。
なんせ映画が終わる頃の草加部へのヘイト値、充よりも高くなってますからね……

草加部の何が恐ろしいって、彼女って所謂「自分が悪だと気づいていない最もドス黒い悪」に類する人物だってことなんですよね……
草加部の行動自体は日頃から人のことを想い、積極的に炊き出しなどのボランティア活動にも参加する「善人」のそれです。実際、充に粘着され疲弊していく青柳に心を痛め、何かと彼を励ますので序盤の内は青柳に対する「味方」であると誤認してしまいます。
ただ、持ち前のパワフルさは時に鬱陶しく、善意の押しつけとでも言うべき行為が目立つようになってきてから「おや?」と思えてくる。そして、次第に「善意のモンスター」としての牙を見せ始めてからの嫌悪感が物凄い。

特に顕著なのが、彼女が自発的に始めた偏向報道に対する抗議のビラ配りでして、ボランティア先の若い子をこの活動に誘うんですね。しかし、その日はランチがあるとして断ったその子に対しての言いぐさが「へ~楽しそうね」「まあ、こういうのは強制じゃないからね!」「本当に人のことを思わなきゃできないことだから!」なんですよ。もう暗に糾弾してるようなもんじゃないですか…
この時点で「うわ!無理!!」って感想しかなくなってゲンナリしちゃいました……

その後も善意のモンスターの暴走は続き、青柳の背後から援護射撃を行うようなフレンドリーファイアを続け、充との挟み撃ちによって青柳の精神を自殺寸前まで追い詰めていきます。
そして職場で自殺しようとした青柳を「死んじゃったらどうしようもないじゃない!」と叱りつけながら助け、あろうことかキスをするところでもうドン引き……「おばさんなのに気持ち悪いよね…」じゃあねェんだよ……
しかも、死にかけで色々限界な桃李くんに突き放されたことに「みんな、私が正しいことをしても認めてくれない!」「青柳くんだって私が若くて綺麗なお姉ちゃんだったらそんなこと言わないよね!?」「偽善者だって馬鹿にされる!」と喚き出す醜悪さったるや……
結局のところ、草加部の善意の根底にあるのは、どこまで行っても「善行を積む私を認めて欲しい」という自分自身の『空白』に対する我欲であり、充となんら変わらない存在だと示されます。
そもそも自身の善行を誇るように宣う時点で充に指摘されるように「偽善」であり、そして前述のランチの子に対して「善意に対するやる気」を振りかざして高圧的に振る舞う姿は、自らが糾弾した充と何ら変わらない身勝手さの極地。
スーパーが潰れた後も「私を頼る人はいっぱいいて引く手あまたなのよ~」と力こぶを作りながら誇示する姿は、彼女の『空白』が決して埋まることがないという虚勢であり悲哀なのでしょう。なんやかんや『空白』を少しでも埋めるものが出来て終わる充や青柳と違って、草加部がこれからも『空白』なままであると突き放された最後を迎えるのは、ある意味彼女にとって最大の罰なのかもしれません。
まあランチの子が可哀想すぎるし、本当にヤバイモンスターを野に解き放ってしまったみたいな後味の悪さも残りましたが……


𠮷田監督の凄いところは、充や草加部といった徹底的に青柳を追い詰める存在をカリカチュアした存在として描かず「実際にいるよね…こういう人……」という厭~なリアリティをもって描き切ったことにあります。本当に人生において出会うことを避けたい人種だけど、どうしたって出会っちまう人種だもんな……コイツら……
そんなモンスターどもに応対させられる羽目に陥る青柳の精神状態も尋常じゃなくリアルで、彼が自殺に踏み切るに至る最終的なきっかけってのが、弁当の注文を間違えた弁当屋にクレームの電話をしている内にヒートアップしていって、充のように「ぶっ殺すぞ!!」と恫喝してしまったことってのがもう……
この追い詰められた末の激昂と、自分もモンスターに成り果ててしまったっていう衝撃と、こうなったらもう終わりだっていう諦め。それら全てが床にぶち撒けられたのり弁のように入り交じった「詰み」の感情。
それでも直後に、しっかりのり弁を掃除して、クレームに対する謝罪の電話を涙ながらにする善性を取り戻してるんですよ……この辺りの終わりへ突き進む桃李くんの悲痛な面持ちが巧すぎて、観ていて本当に限界を感じちゃったな……しかも、その後に草加部襲来ですからね……『孤狼の血LEVEL2』の終盤より状況が終わっておる……

というか、マジで本作の青柳の状況詰みすぎていて「加減しろ莫迦!!」以外の感情抱けないんですよ!!!!充の恫喝も酷ければ、マスコミの偏向報道も酷いし、充が最初に憤りをぶつけていた対象の学校も青柳をさり気なくスケープゴートに仕立てていたのもあんまりだし、唯一の味方は獅子身中の虫だし。
でもその中でも特に最悪なのは、充側の人間関係は青柳と正反対で非常に恵まれているとしか言いようがないところですね……

まず、部下の龍馬くん。どんな人物にも毀誉褒貶があるとして描いていた本作においては、聖人と称する他ない好青年です。今ドキのチャラい若者感出してはいますが、あのモラハラ親父に義理立てして最後まで付いていく時点でもう人格者以外の何者でもねーよ!!
ある意味、本作で一番リアリティがない存在な気もしますが、自然と彼が安全圏たる『空白』となるので居てくれて本当に良かった……彼がいなければ最後まで観てられなくなるもの……

充のどこまでいっても自分本位で、生前に娘と向き合っていなかった事実を突きつける元奥さん(田畑智子)も、彼に勿体ないくらいに良い人でしたね……
娘の死と元夫の問題点を客観視しつつ、喪失した苦しみを分かち合える防波堤としての役割が重く、そして最後の喧嘩と和解が心に来る。

花音を最初に轢いてしまい、そのことに耐えられず自殺してしまった女性の母(片岡礼子)は充を改心させるための最重要人物でした。
自殺した娘を「心が弱く責任を果たすことから逃げた臆病な娘」としながらも、それでも「優しい娘」だったと誇り、その上で「今後は娘の罪は私が全て被るので、どうか娘は許して欲しい」という毅然とした愛ある親としての姿には泣かされました。
そして、その高潔な在り方を見た充は己がいかに醜く不毛なことをしているのかと省みることができ、娘の良い所も悪い所もひっくるめて肯定する大切さを学ぶ第一歩となるのです。


本作でも特に巧妙なのが、これだけ胸糞悪い行動しかしてこなかった充が、娘を理解しようと彼女の動きをトレースする部分は結構な笑いどころに仕立てているところにあります。
特に充が花音同様に油絵を始めたところなんて、龍馬との掛け合い含めてしっかり笑えてしまう。

「これは空飛ぶ何の絵ッスか?」
「去年見たイルカみたいな雲だよ」
「へー…メルヘンッスね…あっ、これはわかりますよ!美人に描こうとしたら失敗してブスになったモナリザッスね!!」
「花音だよ」
「……よく見たら美人ッスね」
のやり取りなんて、不謹慎すぎるのに噴き出しちゃったよ!!

しかもこの場面、クライマックスで学校から届けられた花音の絵を眺めるシーンに掛かる重大な伏線にもなっていたのには感服しちゃいましたからね……
充が描いた下手糞な絵の内の一つに「イルカの形をした雲」という題材のものがありました。それは、彼が船で海に出ていた時に見かけ印象に残っていたものを、記憶を頼りに描いたもの。そして生前の花音が描いた絵の中にも、陸から見た「イルカの形をした雲」の絵があったという……
本作は『空白』は『空白』のまま描かれた作品となっています。花音が万引きをして逃げるまでの『空白』は一切描かれず想像に任されますし、そんな花音が何故万引きをしたのかという理由も『空白』のまま。
だからこそ充は花音を理解するために、彼女の好みを探っていきます。しかし、絵は長くは続かず、彼女の好きな少女漫画も理解できず、彼女が盗んだかもしれない化粧道具を見つけてしまった時には向き合うことを恐れて夜分にこっそり処分してしまった。いくら歩み寄ろうとも、父である充は、娘である花音の『空白』がさっぱりわからず、彼自身の『空白』自体も埋めることができない苦しみに囚われていました。
しかし、ここで同じ雲を、全く別の場所で見て、それでも同じように描いていたという「繋がり」を得ることで、その『空白』を初めて埋めるに至るのです。
あまりに優しすぎる『空白』の穴埋めを迎えた時点で流れるエンドロールが完璧で、感動のラストシーンと言って過言ではないでしょう。


……いや、正直なところ、アレだけ暴れ回っていた充が満たされて終わる部分には、ある程度の居心地の悪さってのはありますよ?「それで許されると思うなよ!?」って感覚はどうしても残りますよ!?
だって、それに対する青柳の救いってのが、かつてスーパー青柳を利用してくれた人から「焼き鳥弁当が美味かった。色々大変だろうけど、また頑張って欲しい」と感謝と激励の言葉をかけられて、スカスカになってしまった心の『空白』が少し満たされるに留まりますからね。
確かにこのシーンも良いシーンなんですよ!世の中、悪意だけじゃなくてしっかり善意もあって、誰かに求められている限り生きていく価値は十分あるって希望が感じさせられますからね!ただ、充とクソのような女によってボロクソにされた代償の救いとしては圧倒的に見合っていませんし、それと比べると充は本当に恵まれてんなアイツ……ってモヤモヤが溢れてくるという。
ただ、これもまた知らず知らずのうちに観客の心にもたらされた『空白』というか、この綺麗に完結しながらもどこか満たされない気持ちにさせた時点で𠮷田監督の勝ちな気がします。

結局のところ、世界っていうのは空っぽでしかなく、そしてそこに生きている私たちも耐えず心の『空白』が満たされない渇望に苦しめられている。その『空白』を埋めるために人は他者を求めだすけれども、他者は他者でしかないため簡単に繋がることはできない。
それでも、他者を理解しようと藻掻き、互いの理解を尊重し合うことができたのならば、その『空白』は確かに埋めることが出来るのです。これから先、充や草加部のような理解の埒外にある怪物と出会うことになるとしても、せめて自分自身は善意の下で誰かと気持ち良く繋がることが出来るようにしていきたい。
少なくとも私は、私自身の心の『空白』に対してこのような折り合いをつけようと思います。


超絶オススメ!!




ところで、松坂桃李くんがここんとこ鈴木亮平や古田新太に寺島しのぶといった怪物達と闘わされまくっているのは、「菅田将暉のラジオで遊戯王の話だけして帰った罪」と「遊戯王にしか興味ないような顔して戸田恵梨香と結婚した罪」という二つの重罪を犯したことへの罰だと推測していますが、流石に過剰刑罰だと思うので、遊戯王の次のアニメの主役に抜擢するくらいのご褒美を与えてやってください。