ヨーク

国境の夜想曲のヨークのレビュー・感想・評価

国境の夜想曲(2020年製作の映画)
4.0
俺がこの『国境の夜想曲』を観たのは2月16日なのでもう10日前のことなのだが、今現在(2月26日)にこの感想文を書くとどうしてもロシアとウクライナのことを考えてしまう。
本作はイラク、シリア、レバノン、クルディスタンの国境地帯で戦争や紛争に翻弄される人々のささやかな生活の姿を撮ったドキュメンタリー映画である。ナレーションもなく被写体のセリフもあまりない、ランタイムのほとんどが巨匠ジャンフランコ・ロージの静謐な映像のみで構成されるという間違っても娯楽作品ではない映画だ。政治や文化や宗教そして何よりも戦争と生活、それらが国境線のこちらとあちらでどのようにカメラに映るのか。そういう映画であったように思う。
21世紀は9・11に端を発したアメリカのアフガニスタン介入に始まったと言ってもいいだろう。その数年後にアメリカは大量破壊兵器を保持しているという嫌疑の元イラクにも戦争を吹っかけている。ちなみにアメリカによるアフガニスタン紛争とでも言うべき戦いは昨年の完全撤兵まで途切れずに続いていたので実に20年近く継戦していたわけである。これはアメリカが経験した戦争で最長のものであろう。本作で被写体として描かれる地域は全てが米軍が派遣された場所というわけではないと思うが、21世紀の幕開けを血と砲煙で彩ったアメリカの軍事行動が多大な影響を与えていることは言うまでもない。テロとの戦いという大義の元に始まったその一連の戦いを経て、まだ多くの方の記憶にも新しいであろう悪名高きISISが生まれてその戦禍が中東世界の多くの場所を巻き込んだということは出来事の因果関係としても国境線を接している地域という意味でもそのまんま地続きな出来事なわけだ。そういった21世紀の約5分の1を占める(20世紀が平和だったというわけではないが)戦いの傷痕と、その傷付いた地で生きている人の姿を描いた映画ですね、本作は。
いやぁ、よかったですよ。さすがはジャンフランコ・ロージといったバッチリ決まった絵画のような映像の連発でそれだけでも十分に観る価値があるのだが、それが戦争・国境線というテーマと共に描き出されるときに「こんなに美しいのにとてつもなくやるせない」という気持ちが湧き上がってくるのである。風景も建物も人物もどれも美しく撮られているのに、それらは全部、血と憎しみと悲しみの上にあるものなのだ。
本作を観た人はきっと多くの人が悲痛な心境でスクリーンを眺めたと思うが、ISISに捕らえられていた子供たちの語る言葉や彼らが描いた絵なんてどんな顔して観ればいいんだろうという感じだよ。そこにある距離感だよな。それこそ彼らと国境線を接するような近場でならともかく、俺のようにのほほんと日本で生きている人間はこれをどう観ればいいんだろう、って思うよ。そこで描かれる映像が美しければ美しいほどやりきれない気持ちになる。
でも本作は戦場となった地の悲惨さだけを描く作品ではなく、特に根拠のない楽観性が全編にある映画でもある。それに関しては監督自身が言っていて予告編でも言及されているが本作は「光の映画」である。おそらく全てのシーンで光が映像の中で効果的に使われている、その光というのは自然光であり蛍光灯などの灯りでもあり暗闇の中で光るスマホの画面でもある。人がいる場所には必ず光がある、とまで言っているのかどうかは知らないが少なくとも本作は光に照らされた映像がやたらと印象的な映画だ。まぁ、考えてみたら地球の半分は常に太陽に照らされているわけで、その光というのは人間が勝手に線を引いた国境など優に越えて大地を照らすのである。最初に光あれ、じゃないけど光はそんなもん関係なく全部照らすよね、っていうさ、だから大丈夫ってわけでもないけどそういう身も蓋もない光が射す風景が描かれている映画ではあるんですよね。リュミエール兄弟の名を出すまでもなく映画という表現媒体自体も光ありきのものだしさ。もちろん光が強ければ強いほどにそのコントラストとして闇も印象に残るわけだが。
そういう映画だと俺は思ったよ。該当地域の悲惨な現状も描写されるがそこにある国境線の区別などなく光はただ身も蓋もなくその場を映し出す、と。それは暖かい光でもあり街を焼く炎の光でもあるけどさ。特に俺が印象に残ったのは現地の漁師が湿地帯みたいなとこで小舟で置き網みたいなのを使った漁をするんだけど、その遠景にある街のビル群は砲火で赤く染まっているっていうシーンと、家族を養うために狩猟の手伝いをしている少年が早朝の薄暗くて泥でぬかるんだ道(タル・ベーラが撮りそうな泥だらけの道)で一人立ち尽くしているシーンだった。どちらも生活に根ざした狩猟のシーンだが夜と早朝、戦火と朝陽と対照的になっていて大分印象が違う。だがどちらも光のシーンなんだよな。
そして今ウクライナの国内ではその国境線を巡って太陽の光と戦火の光がどちらもその地を照らしている。これは本当に現在進行形のことなので今は何とも言えない状況なのだが、本作のシビアでもありながら強く生きている人間の姿を観た直後に新たなる戦争(NATOとロシアはコソボ紛争以来ずっと揉めてたけどさ)を見せつけられるとなんつうか大分堪えるよな。ふかーい溜息出ちゃうよ。
でもまぁタイトルにもあるように本作で描かれている「国境」というものはそこまで決定的に全てを断絶するものではなくて、少なくとも陽の光はそんなもん余裕で越境して等しく地を照らすのだ、ということはある種の希望として持っていても良いのだとは思う。対照的にヒトはその国境線を慎重に吟味、意識して戦火の光で地を照らすけどね。なんつうか凄いタイミングで観られた映画ではありましたよ。
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