中学生の頃、自分が嫌いになった。劣等感ばかりがオリの様に心に溜まり、自分を変えようと試みるも、努力する根性がなくて挫折するだけだった。あのとき、そんな自分を包み隠さず誰かに見せられていたら、もっとマシ>>続きを読む
公開当時からヘビロテして観ている作品なんだが、いやでも死を意識せざるをえない年齢になってみると、わたしを天国へ導いてくれる映画だと感じている。最期にほしいのは涙じゃない。盛大な宴だ!
ねばって、罵倒し>>続きを読む
のちのあまたの“探偵(犯罪)映画”の手本になっている作品だが、ボギーの演じたサム・スペードが、ハードボイルドな私立探偵のアイコンになっているのは疑いようも無い。
無口な殺し屋たちと違って、探偵は口が立>>続きを読む
「サムライ」と言えば、ジュリー(沢田研二)の歌を思い浮かべてしまうし、無口な暗殺者と言えば「ジャッカルの日」にとどめを刺すと思うが、
本作のドロンのカッコつけぶりは忘れがたい。バックに流れる曲も何故だ>>続きを読む
フランスが舞台の「黒いチューリップ」とごっちゃになってしまうんだが、あのテーマソングは何故かよく憶えている。「テキサス」より更にはっちゃけたドロン様が見られる。オッタヴィア・ピッコロが出ていたからか、>>続きを読む
“非線形”とか“時系列シャッフル”とか言うらしいが、“叙述トリック的展開でミスリードし、後半に伏線をきれいに回収する手法”の非サスペンス映画の出現は、公開当時、新鮮な驚きを与えてくれた。そのあと、類似>>続きを読む
わたしにとって、故・市川準監督は「つぐみ」や「東京兄妹」「大阪物語」「あしたの私のつくり方」などの少女映画の作り手という印象が強いが、原点が本作だった。この映画の企画が大林宣彦監督の手を離れた事で、富>>続きを読む
藤沢周平の“海坂(藩)もの”の中でも異色の好篇を、原作にほぼ忠実に映像化した作品。先に作られた「山桜」が好ましかったせいもあり、公開直後に観に行っている。
冒頭の語り(藤村志保さん)は田中絹代かと思>>続きを読む
ちょうど2年前の今ごろ、脚本家・橋本忍の映画特集で上映されたものを観た。
歌舞伎では女形の印象が強いが、当時まだ20代の中村扇雀(現・坂田藤十郎)が、ほぼ同年齢の河内屋与兵衛をリアルに体現して演じ上げ>>続きを読む
原作を読んではいないのだが、主人公を女性、しかも竹内結子に改変したのはアイキャッチャー以上の効果を生んでいると思う。原作に準じたテレビドラマ版が悪いとは思わないが、ミステリーファン以外には受けそうにな>>続きを読む
よるドラ『彼女が成仏できない理由』を観ていて、本作が頭に浮かんだ。
例えば、森崎ウィンが河崎を演じたら映画が成立しないところが、映画化の難しいところだったわけだ。
恋愛や友情といった言葉では括れない、>>続きを読む
初見は廉価なDVDだったが、今や配信でもリマスターされた美しい映像で見られるのは嬉しい。
アメリカでは1944年に公開されて、戦争に疲れたアメリカ国民の心を癒したという情報に、敗戦真っ只中の日本人との>>続きを読む
ヴィラン(ブラックマスク?)を含むマッチョな野郎どもがショボイのは、ガーリー・クインとマスキュリンな姉御チームの手前、致し方ないのかもしれない。とにかく、いけ好かない男どもを華麗(?)に粉砕するお姐さ>>続きを読む
大津事件(1891)で危難を被ったニコライ2世(ロマノフ王朝)の凋落が、日露戦争の敗北から始まるという導入部は、日本人が近代史を理解するための良い足がかりにもなり、3時間掛けてこの映画を見るモチベーシ>>続きを読む
SF映画が作られる理由のひとつは、より広範なメッセージを込められるからだが、1951年の時点で、世界にはもうこんな映画が必要だったわけだ。
本作のメッセージは、アメリカで『スタートレック』を生み出し、>>続きを読む
あの「ジャイアンツ(1956)」の10年後に、大テキサスを舞台にこんな映画を作ってしまうのね。“異文化育ちの人物が、迷い込んだ先で色々な騒動を起こす”という定番のシチュエーションで、ただのテキサス開拓>>続きを読む
衣笠貞之助の「地獄門(1953)」を観て、主役で悪役の長谷川一夫に伍して、あの山形勲が善人を演じているのに驚いた覚えがあるが、本作も善悪を入れ替えたキャスティングが目を惹く。
普段、悪だくみをして>>続きを読む
いまだに真偽が判然としない感のある“STAP細胞騒動”に比べても、韓国のこの“ES細胞捏造事件”が、それほどまでに国家・国民を巻き込んだ事態だったことに驚かされる。少なくとも韓国民の内にある“劣情の裏>>続きを読む
劇場公開時に見逃していたが、実力派名優のソル・ギョングはいうまでもなく、実年齢の役柄で堂々と並び立ったヨ・ジングも見事。いまや若手のホープだね。
オープニングからキム・ウォネ(戦車部隊長)を登場させ、>>続きを読む
“同じ電車に乗り合わせる”
通勤・通学に電車を使っていた時期を思い出すと、通勤地獄というほどではなかったが、駅員に押し込まれて極密な時間を日々見知らぬ人々と共有していた。小津安二郎の「早春(1956)>>続きを読む
タイトルバックに♪≪ス・ワンダフル≫が流れる時点で、本作はアステアのための映画だと判る。もちろん皆のお目当てはオードリーだろうけど。
オープニングのドアのシーンで『うれしたのしだい好き(CXの音楽バラ>>続きを読む
長編小説を2時間の映画に収める為、登場人物個々の背景を描写する代わりに、高名か或いはキャラのたった役者をキャスティングする手法は、この手のミステリー映画の常套手段だ。(三谷幸喜のCXドラマ版は、それを>>続きを読む
旧い言い方をすれば“女性映画”になるのだろうが、利休や侘び茶を題材にした作品の殺伐さに比べれば、男女問わず愉しめる映画だ。
まず、茶道の“お点前”に目を奪われるだろうが、舞台となる日本家屋にも着目して>>続きを読む
9.11の直後くらいに「リベラ・メ」という韓国映画が公開されて、ほぼ実写の火災シーンには唸った。アジアのアクション映画は香港から韓国に時流が移ったんだと感じた。
日本でも「海猿シリーズ」のような“パニ>>続きを読む
初見がテレビ放映(もちろん、池田昌子/中村正の吹替え版)だったせいか、長くビリー・ワイルダー作品だと思い込んでいたが、リバイバル上映時にW・ワイラーが監督と知って驚いた。フランス出身のワイラーは、こう>>続きを読む
1940年代。「市民ケーン」から「第三の男」まで、いまなお輝きを失わない数多の名画が作られていたのだと、本作を観て、あらためて思わされた。
バーグマンのニューロティックな演技が悩ましく、ボワイエの二面>>続きを読む
80年代から新感線の公演を追いかけてきたが、2000年代に入ると、スター俳優の客演もあってチケットが獲りづらくなり、この本公演も“ゲキ×シネ”化は必至とみて家族に譲った。それまでにも“ゲキ×シネ”は見>>続きを読む
東京セレソンデラックスの舞台は『歌姫』や『夕』など、評判の良いものは観るようにしていたのだが、2010年の『くちづけ』は、先に観ていた妻に止められてスルーしていた。再演も観ていなかったので、この映画版>>続きを読む
“UFOに遭遇した人々の血が青く変わる”というワンアイデアを活かそうと思うなら、やはり、多くのライターや監督がそれぞれ違う角度からアプローチしたオムニバス型の連続ドラマか映画が相応しい。本作も2部構成>>続きを読む
宮崎駿ファンには申し訳ないのだが、いま再放送中のテレビシリーズを見ているのは広川太一郎や大塚周夫、増岡弘ら声優陣の共演を愉しむためだった。今日の富田耕生翁の訃報で、ちゃんとラストまで見続けようと思った>>続きを読む
市川崑は金田一耕助を“天使のような存在”と表していたが、その点から言うと、本作の金田一さんの立ち位置は通常と違っている。理由は明白で、今回の依頼者が知友である磯川警部だからだ。
いつものように職業探偵>>続きを読む
2014年の劇場公開時にも観たのだが、思い返せば、娘が年の離れた彼氏を両親に紹介しようとするくだりなど、その年の秋に上演された三谷幸喜作・演出の舞台『君となら(再々演版)』の前哨戦という感じもしてくる>>続きを読む
何故モノクロなのかという疑問(もちろん、サスペンスはモノクロにというこだわりもありそうだが)は、後半の展開を見れば氷解する。どこかヒッチコックへの対抗心も感じてしまうが。
これまでキャロル・リンレイは>>続きを読む
基本は裕次郎主演の青春風俗喜劇だが、日活黄金期の多彩なキャスティングと文芸大作的な予算の掛け方で飽きさせない。時代に先んじたホームコメディぽいエンディングも好い。
ヒロインの芦川いづみは、いまも度々特>>続きを読む
トランプ大統領に毒入り小包が送付されたというニュースで、この映画を思い出した。
世界を分断したり、ひとつの民族ごと消し去ろうと目論む異常な為政者さえも、民主的な手段で降ろすことが出来ないような現状では>>続きを読む
テレビ放映が観られないので、買い置きのDVDで見直した。
「ゴッドファーザー」や「コーザ・ノストラ」などの第一次マフィア映画ブームの中で公開された作品だが、当時は、ブロンソンの演技者としての新たな一面>>続きを読む