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とどのつまり
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目次

とどのつまりの作品紹介

とどのつまりのあらすじ

志歩はバイトを辞め、空いた時間をセフレで埋めている。リカは周りから美人と言われることを嫌っている。ヒロキはバーで働き生計を立てている。この3人は役者である。しかし、1人の人間でもある。理想と現実、そして過去。未来。生活に翻弄されながら、悩み、もがき、それでも役者であろうとする3人の物語。

とどのつまりの監督

片山享

原題
製作年
2022年
製作国
日本
上映時間
92分

『とどのつまり』に投稿された感想・評価

役者の芝居がみんな良かった。
いろんな役者の姿が描かれて、迎えるエンド。
それが『とどのつまり』なんて、
洒落てやがるぜ。
あたしは役者になりたいと思ったことは一度もない。ほんの短い人生、他人の書いた台詞を覚えて覚えて生きるなんてまっぴらだ。頭わるいし。

あたしはJS6頃、同クラの派手な女の子と一緒に考え出したストーリーでダブル主演の映画ごっこを毎日毎日した。オリジナルのレパートリーが増えていくとともに気合もエスカレートし、本格的煽情的キャッチフレーズ&手前ミソ激賞文つきポスター、フライヤー、パンフ、前売り鑑賞券、映写プリント(トレーシングペーパーとかに絵を描いただけ)等を二人とも絵が上手いからせっせとこしらえ、観客を集めたことはないが、脇役要員らを仲間に入れてあげたりして真夏のかんかん照りの公園とかで皆で稽古したりするという謎の遊びを、一年近く続けた。楽しいから熱中してただけだ。将来役者になんかなりたいと思わなかったし、映画なんてあたしはどうでもよかった。映画とか役者なんてあたしにはどうでもよかった。ただただ楽しかった。

あたしは写真や鏡で自分を見るのはわりかし嫌いではなかった。動画の中の自分を見たことはあまりなかった。幼い頃はホームビデオ撮影機で父がよくあたしや兄や母の動く姿を撮ってくれたが、その高価な機械が壊れてからは、そういう機会がしばらくなくなった。そしてJKとなって学校祭でクラスの誰かが撮ったものを、ダビングしてもらって家族や友達と見た。久しぶりに見た動画の中のあたしは、ふだんあたしが知っているあたしじゃなかった。背を丸め、デレデレ愛想笑いしてヒョコヒョコせわしなく動き、手ぶりも大げさで、まるでいかがわしい魔術師見習いかメイドのなりそこないか妖怪のたぐいだった。何て気持ち悪いやつなんだろう! 大ショックだった。ふだん周りは、こんな気持ち悪いあたしを見てあたしの相手をしてたんだ! 何こいつ!! 見たくない! 嘆きの一方で、あたしは、世の女優さんや男優さんたちって、人に見られてキャメラに見られて偉いんだぁー、とちょっと思いかけた。写真や鏡(特に美容院の大鏡に映ると人は必ず三倍ぐらい綺麗になる)だけ見てすっかり油断して思い上がってその時まで生きてきたけど、現実の三次元というのはあらゆる動作と佇まいと姿勢と陰まで全部晒す場であって、ゴマカシも見ないふりも通用しないのだった。役者になんかなってたまるかと、まじに役者たちを尊敬したい気がした。(まあ、二十歳越していろいろ努力して動画ブスは脱したつもりだけど。)

あたしは俳優になりたいと思ったことは今まで一瞬もない。

さてね、映画俳優として成功したいけどなかなか芽が出ない三十代の女性二人、男性一人の群像劇みたいな本作を観た。期待通り、好きな感じだった。わりと自然演技で、撮影に落ち着きが。長い時間、引き込まれた。でも、後半になるとつきあいきれず疲れてきて、最後「えっ、こんなので終わり?」……この手の日常性(身近さ)を武器にする自主邦画のアガリである「陶酔・突破」に達しなかった。濱口さんの『passion』の酔わせにまるで及ばないのは仕方ないとしても、矢野さんの『pinto』の同郷の友人との再会シークエンスの超リアルとかないし、猫目さんの『つま先だけが恋をした』が独善性の中でクライマックスに見せたような映像作家の意地もなく、クラブのビートでごまかしたように聞こえた。

演技力はあるのに見かけがパッとしなかったりして全然評価されずクサってバイトやめて貯金切り崩しながらセフレとのつまんない夜々だけを過ごす志歩には「時間と金を捨てることないじゃん。撮られ待ち・選ばれ待ちするより風俗ででも働いて稼いで貯金もつぎこんで自作の映画つくって主演すりゃいいじゃん」とあたしは思う。美人美人言われて大志抱いてるけど大きな仕事貰えずとうとうチョイ脱ぎの要請が来ちゃったリカには「そんな迷いをテーマにしなくていいから、さっさと命懸けてすべてのやれることやれば? いったい目標はどこの国の何ていう女優なの?」とあたしは訊いてあげたい。何となくくすぶりを苦にして福井に里帰りするヒロキには「もっと十倍苦しんでから東尋坊から身投げしたい気持ちで帰郷しな。そのついでに実家の愛とかに触れて引き締まるならいいけど、まずは苦しみ足りないでしょ」とあたしが苦言。つまり、三人とも、設定段階(前半)ではなかなか注視できる人物だったし、それを各人の自然演技が支えてたけど、後半に向けて何ら本気の思考を滲ませてこなくて、あたしに「そもそもなぜ映画俳優になりたいと思ってんの?」とつっこまれちゃう。これは主演三人の演技が悪いのじゃなくて、たぶん脚本が大して何もあたしらに伝える強さを持ってなかったのだと思う。「役者(役者をめざしてる者)だって人間だ。演じてない時間の不格好だったりカジュアルすぎたり不器用だったりする彼女・彼らを見てください。何か、万人につながるものがあるでしょ?」と監督は言いたかったわけだけれど、ぶっちゃけ、そこまでの普遍性は来なかった。先にもしつこく書いたとおり、あたしは俳優になんかなりたいと思ったことがない。彼らの悩みや生活は他人事だ。

この百年?でビルボード1位を取った曲のカップリング曲(かつてはBメン曲といわれてた?)の人気投票をもしも全米の全世代で行ったら、まちがいなく3傑に入る曲がある。ザ・ビーチボーイズの「ドント・ウォーリー・ベイビー」だ。https://youtu.be/q6mrmz8inn8 これの歌詞は、イカれた若者が車の自慢をしてライバルと夜中の公道での違法レースすることになっちゃってカノから「きっと大丈夫よ」と励まされる、というまったくどうでもいいバカみたいな内容なのだけれど、ブライアン・ウィルソンの美しすぎるファルセットのリードヴォーカルとグループの鉄壁コーラス、それに何よりも旋律と編曲のすばらしさで、およそ世界のポップスロック史上最高に普遍的なラヴソングと化している。この曲を聴けば、国籍・人種・職業・性別・年齢にかかわらずすべて人が、自分の大切な人から自分の大切なことを肯定してもらっているとろけるような安心感と多幸感をプレゼントされて実際に陶然となる。つまり、歌詞のくだらない限定性を千倍・万倍の高さで跳び越えて、人類の集合無意識にまでつながる深み・広がりにまで達して大観音像のようにそびえる。一つの芸術作品・芸術行為が「質のよい普遍」に達する最好例だとあたしは思うんだ。もちろん、好みは人それぞれだけどね。そして、精神的な事情はここでは書かないけれど、ブライアン・ウィルソンの歌声という技(基本にして究極)が普遍のための最武器だ。この映画の出演者たちにはそんなのとの比較は荷が重いだろうか。べつに技量が足りないということではない。もっと死ぬ気で脚本が書かれたなら、ひょっとしたら少しは普遍を味方につけられたかも。

好きな場面。最初のワークショップで志歩がイケメンと演じてみせたとこ。すごく上手かった。ただ、それだけ上手い演技力を持ってるということになってる志歩が後半に「くすぶってます。そこで、走ってみました」だけで終わってる。もっと残るものが欲しかった。友人と走った後に友人が酔っぱらって踊る場面は、長すぎた。むしろ、長くやってほしかったのは、中盤のバーでイケメン二人がソファーに座ってるとこ。ここ二番目に好きな場面。もっとここ長回し続けて何かを来させてほしかった。

福井シークエンスの老人三人。みんな雰囲気がよかったのに、言わされてる台詞があまりにも意外性なさすぎて、朝ドラレベルと映画レベルの中間ぐらい。これ残念。さっき東尋坊のこと書いたが、故郷の使い方があまり効いてなくて、その後の男の涙に「え? 何?」とあたしは思っちゃった。屋上で電話とかするリカ役は、本作出演で何も失っていなくて、ちょっとズルイ印象。志歩役が下着姿とかみっともなさを懸命に晒し、男優さんがとにかくも泣いたのと比べて、リカ役は電話で男優にキレてみせるとかもうちょっと “開示” が欲しかった。


ところで、ゴダールが「映画はグリフィスに始まり、キアロスタミで終わった」って言ったらしいけど、たぶん、これの本当の意味を理解してる人なんて(映画評論家や怖いシネフィルらもふくめて)たぶんほとんどいないだろう。トーキー以後の映画俳優の演技には次のような階層がある。

無演技(何も演じられない)<ダイコン演技<上手いのかもしれないけど大げさな演技<上手くて自然な演技(成りきる)<憑依(神がかる)<無演技(何も演じないのに完全にやりきってる=本人が本当の自分をやる)

キアロスタミが『クローズアップ』でやってしまったのは上の最終段階。だから、キアロで映画は終わった。

そしてまた、もう一つの真実として、映画は、サイレントの時代に大部分は終わってしまっている。演技面だけでいえば、こうなる。

全トーキー中の最高演技≦サイレントにおける選び抜かれた最高俳優がそこにいるだけでもういいあの感じ

どういうことかっていうと、リリアン・ギッシュ(やグレタ・ガルボ)だ。だから、サイレント時代にすべての基礎を作ったグリフィスと、トーキーの到達点に行ったキアロで、全映画を語り尽くしたことになるんだ。

だが、そこにあたしたちはどう絡むか?

わざとらしいあたしたち<トーキー以後の映画の最高演技≦サイレント時代の最高の人々がただそこにいることの善<あたしたちがあたしたちの人生や生活において本当のあたしたちでいること

つまり、
ダメなあたし<良い映画<良いあたし

じゃあ、良いあたしたちって何?

あたしたちが映画を観る目的は、あたしたちが本当のあたしたちを生きるために役立てる、それだけだ。ほかにない。でも、抽象的に「本当のあたし」なんて言ったってしょうがない。だからさらに言う。あたしたちが映画を観る目的は、「愛をいかに諦めないかを学ぶ(または考える)ため」だ。これだけ言っても、通じない人には通じない。だからさらにさらに対語的に言う。それの反対が「今だけ・金だけ・自分だけ」だ。そうでない自分をいかに生きるか。あたしたちが誰か他人の日常の必死そうなドラマを真剣に追うことの意味は、極言すればそうなる。そしてそれこそが普遍。

志歩とリカとヒロキは普遍的なものをあたしに差し出すほどには強い人物・濃い人物・確かな人物ではなかった。でも、許してあげる。嫌う理由が何もないからだ。これは大きい。これだけが大きい。演じたマル子、慶子、貴也がいつかもっとスゴイ人たちになっていけば、何となく嬉しい。せっかく出会ったからだ。あまり満足感をくれなかったこういうハンパな良作を通してさえも、あたしは愛の諦めなさを学んでいく。


まったく偉そうにあたしって何なんだろう。。。。(まあ、いいじゃん。)
3.4
9/28「とどのつまり」イベント
池袋シネマ・ロサにて

【登壇者】
森戸マル子、下京慶子、中村更紗、江田來花、澤田和宏、佐々木穂高

冒頭挨拶のみ:片山亨監督

ワークデザインスタジオに通う俳優たちの俳優外のプライベートの時間や生活を描く物語…

未来への悲観や限界を感じる者、今あるチャンスを掴むため自分なりに葛藤する者、バイトをやめ男に依存する者…

人生は人それぞれ

努力して売れる者も居れば、努力しても泣かず飛ばずの人も居るでしょう…

チャンスを掴んだ者がいれば、悩んだ末にチャンスを掴めなかった者も居るでしょう…

俳優さんを通して人生の縮図を学べた気がします。

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