空の瞳とカタツムリの作品情報・感想・評価・動画配信

「空の瞳とカタツムリ」に投稿された感想・評価

夢鹿、十百子、貴也の3人は美大同級生。
夢鹿は古いアトリエでコラージュ創作に没頭、誰彼問わず男と寝る日々 ―― 空ろな内面を埋めるだけ。
十百子は極度の潔癖症で"性"を嫌いつつも、夢鹿を一途に想い続けている。
貴也もまた一途に夢鹿を想い続けていた。 
そんな3人がいつまでも普通の友人関係を続けられる訳が無かった。



いびつで、歯がゆくて、痛々しい青春物語。
思慕と軽蔑、崩壊と解放、生々しい矛盾に不思議な儚さを感じてしまった。
映像美を意識し過ぎるあまり、脚本と演出に無理があるのは許容範囲で。
No.3052

タイトル「空の瞳とカタツムリ」は、

相米慎二監督の遺作「風花 kaza-hana」の、

『タイトル変更案として最終候補まで残ったときのもの』

とのこと。ということは、このタイトルを考えたのは相米監督、ということなのか??

確かにエンドクレジットにも「タイトル 相米慎二」とちゃんと出てた。

それが結局どういう経緯で、このタイトル案は採用されず、風花に決まったのか、わからないが、

私は相米映画の溺愛者なので、彼にちょっとでも関連してる映画は全部見たいのである。

だから、見た。それだけ。

本作の世界観は・・谷崎潤一郎や村上春樹、村上龍の世界・・・っぽいようなところもなきにしもあらず、だが、

この内容とペースで2時間は正直きつい。

脚本は荒井晴彦の娘の荒井美早(みさき)。

主演女優二人とも裸全開。下半身もモザイクなし。だからどうってこともないけれども・・・。

男優陣も体張ってる。三浦貴大は尻こそ出していないが、脱いでいる。

もう一人の青年役、藤原隆介は本作が映画デビューらしいが、いきなり全裸で尻公開である。
虚しさ寂しさ切なさ哀しさ不安。いつのまにか身体の中の何かを失っていた。恋は欠けた何かを満たしてくれるけど、同時に今ある何かを切り裂いてしまう可能性を持った諸刃の剣。

登場人物は全員生々しい痛みを抱えているのだろうけど、夢鹿だけは佇まいや仕草からただの悪い女にしか見えなかった。十百子が「私の神さま」と言うことへの説得力、最後の独白への繋がりが感じられなかったの残念。
世界観は嫌いじゃなかった。
でもどうにも登場人物の気持ちを理解したりも共感もできなかった。
女優ふたりのヌードは美しかった。
ヴレア

ヴレアの感想・評価

3.4
なんかとても重い映画のようでいて、かなりあっさりした映画のようでもあり、なかなか掴み所の無い映画であった。
登場人物達がそれぞれ悩みを抱えたり、お互いに愛し合ったりするんだけども決して幸せにならないというか、カタツムリみたく、交わる事で寿命を擦り減らしているように思えた。
台詞がいちいち小難しく、こんな人リアルで居たら面倒だなぁと思っちゃった。
yoshihiko

yoshihikoの感想・評価

3.3
痛い。。。
痛い作品でした。

LGBTQ的な話かなと思ってたけど、、
そんな簡単ではなかったな。。

人には誰にもぽっかり空いた穴の部分があって、それを埋める何かを探し続ける、、、

そんなメッセージがあったようには思えるが、とにかく痛すぎて辛かった。
やん

やんの感想・評価

-
彼女たちの見えないものにも
思いを馳せたかったけどできなかった

重要な潔癖性のこと
十百子の美・汚の判断基準がとても重要なのにわかりにくい。あの友人の男、大学時代は触れたのかどうか、なんで手なのか、顔は?夢鹿以外はみな汚い?そこの曖昧さを掘り下げたら、彼女が猫を触るまでの流れが見えたのに

あなたは私の神
となるほどの夢鹿の強度がみえない

コトバは
相手に伝えるため
自分に言い聞かせるため
口からこぼれてしまう、、、など
イロイロあるのだと思う
言いながら私自身わからないこともある
でもわからないってことを
わかってもらう必要がある気もする

トモダチをつくる映画
たなか

たなかの感想・評価

2.5
観念的な台詞のオンパレードで見てるのがしんどかった。

撮影監督の石井勲が好きなのだが、今回は低予算映画然としたつまらない画が多かったように思う。監督の斎藤久志は現場でモニターを見ないらしいのでそういう意味では好きに撮れるんじゃないかと思うのだが…矢崎仁司監督の映画では素晴らしいカットの連発なんだけど、矢崎監督も現場では一切モニターを見ないらしい。やはり映画というものはどこまでいっても監督の物なんだろうか、などと思った。

公園のシーンで突風が吹く。インタビューを読むと偶然らしい。あの瞬間のためにあった映画なのかもしれない。

フィルメックスにて。


自分を擦り減らしながらしか、
恋愛できない男女4人
そろそろ青春と呼べる日々も終わる年齢
一歩大人にならないと


終始、胸が締め付けられました
脚本の方が女性で、何だかホッとした気分
ワンコ

ワンコの感想・評価

4.8
逃れることが出来ないもの
カタツムリは雌雄同体で、本来は、一個体で子孫を残す事が可能なのだが、どうしてなのか、相手を求めて交尾をする。それが自身の寿命を縮めてもだ。

何か自分に不足・欠如しているものを、補おうとしているのだろうか。

多くの男性と寝てしまう夢鹿と、潔癖症でヴァージンの十百子の関係は、不足したものを求め合う補完関係なのだろうか。

自分を傷つけ、十百子と愛し合っても回答など見つからない。
夢鹿の言う通り、貴也や男性と行為をしようとしても、十百子の身体も気持ちも、それを拒否する。
自分に無いものを求めあっても、それが補完されることなどなく、自分そのものが、より大きく感じられるようになるだけだ。

追いかけると逃げられる。
追うのを止めると追いかけられる。
いつも自分の側にあると思っていても、その手からこぼれ落ちることもある。
相手に良かれと思っても、相手を深く傷付けることもある。
常に矛盾が付きまとい、そして、いつも心はアンバランスのままなのだ。
そんな、揺らぎが感じられる作品だ。

夢鹿が貴也に言う。
母親と自分は同じ男性に逃げられたと。
それは、父親だと。
貴也の母親にはなれないと言った夢鹿が、実は、父親を追い求めていたのかもしれない。
ふと、海辺のカフカを思い出した。
性的マイノリティーというカテゴリーでもこぼれ落ちる苦悩やタブーはある。
結局、どんなに抗っても、自分自身から逃れるのは難しいのだ。

ジェンダレスな社会とは言うが、逆に、ジェンダレスが新たな枠組みとなって、窮屈になることだってあるはずだ。
カタツムリは雌雄同体だ。
ある意味、ジェンダレスだ。
しかし、人間はカタツムリではない。
ジェンダーからも、自分からも逃れることは容易ではないのだ。
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