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『そして愛に至る』に投稿された感想・評価

ゴダールマラソン番外編。ゴダールの「愛の世紀」と同時期に撮られて、セットボックスになってた、ゴダールのパートナーだった、アンヌ=マリー・ミエヴィルの監督作。アンヌもゴダールも主演。そして演じてる。ゴダールが愛するための人なのか、心なしか優しく見える。

熟年カップルとその他の男女4人による会話劇が中心。冒頭にハイライトの様に、劇中シーンが挿入されている。
会話なのか、対話なのか。言葉の無意味さを語りつつ、言葉は人に命を与えると語る。
欲望、絶望から希望。人生は苦しんで死ぬだけであると言いながら、この対話の中で生きていることを噛み締めている。
世の中にある、美とは全体的なもの部分ではなく、美は至るところにある。完璧な景色は存在しないけど、そこに人生の人生の儚さと美しさ、厳かがある。
雑草をアップで撮ったシーンが複数挿入される。

アンヌが見せる映像と共に、抽象的な会話だが、映像と音楽は素晴らしいが、やはりゴダール同様に台詞が高尚で、一回観ただけじゃ入ってこないな。




以下、気になったシーンの記述。

鞭の練習をするシーン
私たちの行いが存在を証明する
言葉を話すには対話しかない
→言葉の実践
終わりのない道にいる
雑草のカット

言葉は人に命を与える
遠くから見ると魅力的
他人は魅力的
何年も知っているのに未知の人
絶望から希望
人生は苦しんで死ぬだけ
美とは全体的なもの部分ではない
ヴィゴーは生涯現役(SEXしてた)
束縛される関係

ケンカのシーン
君に従う
人生は対決は避けられない夢
別れは出会いと同じ
どんな言葉であれ沈黙よりまし
河

河の感想・評価

3.2
『愛の世紀』の第一部と第二部の撮影の間に撮られた作品らしい。内容はそこまで似ていないように思うけど、存在と人生、言葉や愛など前提になる概念の扱い方は共通するように思った。

実践が存在を証明する。言葉は自己、社会を語ることはできても、自分や関係性の中に堆積してきた言葉達による規定から逃れることができない。その二つの両立、言葉による実践として対話がある。存在の危機のようなものにある夫婦とその妻の友達の3人の話で、妻とその友達は対話によってその状況から抜け出そうとする。
ある対象への欲望はその対象を表す言葉、その言葉によるイメージによって規定されるもので、その対象とそのイメージは一致しない。そのために欲望はいつも失望に終わる。欲望を果たされないものとして、その欲望を抑え込み実践しない、欲望からの解放を望みつつも捨てることができない。それゆえに欲望による希望とそれが満たされないことによる絶望を行き来する人として、ゴダール演じる夫がいる。それに対して、ミエヴィル演じる妻は欲望を捨てていて、その友達は欲望を人間の本質的な行動としてそれに従い続ける。2人の女性はゴダールを中庸として対極的な価値観を持っている。
最初に対話を目指すことを目的にしつつも、その3人の間で何かが共有されることはなく、互いの価値観を提示して確認し合うだけの会話が続く。そして夫と妻の友人はその価値観通りの行動をすることで互いに失望する。その後、夫と妻の会話により、2人が欲望からそれぞれの形で距離をとっている理由が、その2人の間での愛に対する欲望が満たされずに終わったからだということが示される。そして、夫に言葉による行動を促すけど、夫はその価値観ゆえにその言葉を言えない。
タイトル後の鞭を打つ2人の女性に表されるように、その2人の間の価値観を持っていて実践ができない夫がその2人から行動を起こすように鞭打たれる話になっている。そして妻との対話によって態度が変容したように見えた夫は鞭打たれるのではなく導かれるように、対話や愛に向かってくような兆しを残して終わる。そういう話として理解した。
中年、老年期の話なので、映画内で起こる感情を全く掴めなかった。社会がそもそも中年、老年的な段階にあることの比喩にもなっているんだろうとは思ったけど。
映像としても何かが決定的に欠けている感覚があった。どうしてもゴダールと比べることになってしまうけど、物語としての映画のレイヤーや映像と言葉の相互作用みたいなものがないっていうのがあって、そこが個人的に何か足りないって感じたところなのかもしれない。ただ、その言葉しかないってことが作品の問題設定にもなっているように思うので、そう考えたら方法としても一致しているのかもしれない。
muscle

muscleの感想・評価

-
見やすいゴダール。というよりもミエヴィルだからか踊りまくるエモーショナルなカットがひたすら続く。ノリノリで演技しまくりのゴダールが愛おしい。「腹立たしい、それ以上喋ると殺すぞ」「途中で言えなくなる言葉は言わない」「どんな言葉であろうと完全な沈黙よりはいいよ」あたりはいつものゴダール。


特典で記者会見でとんでもない数の記者のアホな質問を次々一行ユーモアで交わしていくゴダールの姿が拝める。めちゃくちゃ頼もしく、かつおもろい。どこの国にも「東京の女の子どうした?」おじさんみたいなんがおる。ハスミンの三島賞会見みたいだった。
会見終わった瞬間に差し出されるサイン本の山を処理していく姿がまたわびしい。

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