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プラダを着た悪魔2の作品紹介

プラダを着た悪魔2のあらすじ

時代を席巻した“働く女性のバイブル”が、華やかにアップグレード! トップファッション誌の“悪魔”のような編集長ミランダと、彼女の元アシスタント・アンディ。別々の道で成長を重ねたふたりが、再びタッグを組むとき、ファッション業界に大旋風が巻き起こる!

プラダを着た悪魔2の監督

デヴィッド・フランケル

原題
The Devil Wears Prada 2
公式サイト
https://www.20thcenturystudios.jp/movies/devil-wears-prada2
製作年
2026年
製作国・地域
アメリカ
上映時間
119分
ジャンル
ドラマ
配給会社
ウォルト・ディズニー・ジャパン

『プラダを着た悪魔2』に投稿された感想・評価

健一
4.0
P2 プラダを着た悪魔たち




続編大好きディズニー&20世紀studio😋

まさか「プラダを着た悪魔」が20年の時を経て帰ってくるなんて!

2006年〜2026年 この20年で。

アン・ハサウェイは。
「レ・ミゼラブル」('12)でアカデミー助演女優賞を受賞。
またアカデミー賞授賞式の司会を務めたり大作映画の『助演』を務めたりと着実にキャリアを積んできた。
しかし自身主演のメガヒット作には恵まれず。

メリル・ストリープは。
「マーガレット・サッチャー」('11)で2度目のアカデミー主演女優賞を受賞。
助演も過去に獲っているので通算3度目の受賞。
その後も何度もノミネートされトータルで
主演17回 助演4回 通算21回アカデミー賞にノミネート‼️
当然 これは歴代最多。こんな記録 誰も破れない😅
近年は配信映画ばかりに出演してたので、劇場でのメリルは久しぶり😁

スタンリー・トゥッチは。
「ラブリー・ボーン」('09)でアカデミー助演男優賞に初ノミネート。
その後 ノミネートも受賞も無し。
名バイプレイヤーらしく多くの作品に出演し続けマイペースにキャリアを積んできたイメージ。

そして
エミリー・ブラントは。
4人の中で1番キャリアアップしたのは文句なしに彼女でしょう!
メガヒット作、大作映画、人気シリーズ物、巨匠監督の作品。
この20年 引っ張りだこ‼️
この夏にはスピルバーグ監督 待望の新作
「ディスクロージャー・デイ」も控えているし。
賞めいた受賞はないが、女優としてのキャリアで言えばエミリーの飛躍ぶりは やはり4人の中でダントツ!

そんな4人の20年ぶりの再共演!
存分に 楽しませて もらおう!

紙(雑誌) から ダウンロード へ。
コンプライアンス厳しい現代(2026年)
ミランダのパワハラぶりは健在なのか😅


さて本作 ⚠️ネタバレあり⚠️


閃光のアン・ハサウェイ 😅

同じく20年ぶりに帰ってきた
「T2 トレインスポッティング」を観た時と同じ感覚。
もう、懐かしさ だけでいっぱい🥹
でも それでいいんじゃない?
それこそが『うん十年ぶりの続編』に求めるものなのでは?

で! つまり それは。

サイコーだったということ😁
存分に楽しませてもらいました。
この20年!
その道を貫いてきた者。
違う業界で飛躍している者。
挫折し、元の鞘(さや)に戻った者。
成長し歳月を重ねてきた4人がキャリアの危機に挑む。

アンディは再び「ランウェイ」に戻り持ち前のガッツで存続の危機に立ち向かう。

違う業種に移ったエミリーは大金持ちのパートナーを見つけウキウキ😍
しかし・・・

ナイジェルは昔も今も『悪魔』を支え続けている。

で! ミランダは・・・
やっぱり『パワハラ』は封印されたようで。
自分でコートをハンガーに掛けてるシーンは
ある意味ショック!😱
色んな面で一番変わったのはミランダなのかも。

この20年で世界は大きく変わりファッション雑誌を手にする女性なんて・・・
もう いない😞
だが、ファッションは永遠。
そんな時代をどう生きて来て、
どう、生きて行くのか・・・

意外とストーリーはしっかりとしていて
納得のいく『20年ぶりの続編』でした!


『君は心が清らか、私の秘蔵っ子だ。』🥺


20年前は『こんな事言われたい』と思っていたと思うが、

今は『こんな事言える若者に出逢いたい』と
願うようなっている。


やっぱり 20年は 長いね!😁


2026年 5月1日 公開初日 7:45〜
TOHOシネマズ池袋screen 9
💺119席
客入り 満席 👏👏👏

晴れやかな気持ちで観に行きたかったのに
まさかの大雨☂️😞
アンド 寒っ! 😨

公開初日、そしてファーストデー(1300円圴一)
しかし、早朝、大雨!🥱☂️
でも満席‼️ 😁✌️
正直ビックリ!みんな待ってたんだね!😭
『プラダを着た悪魔2』が最高に帰ってきた!華やかで、苦くて、美しい。20年後の私たちに突き刺さる“仕事と美意識”の物語【映画レビュー/感想】

https://note.com/tenmame0720/n/nea197811a94a

おはようございます。
天豆(てんまめ)です。

映画『プラダを着た悪魔2』を初日に観てきました!

公開から1週間。

『プラダを着た悪魔2』は、日本でも公開6日間で動員129万9057人、興行収入19億1599万1200円を記録し、早くも前作の最終興収17億円を超える大ヒットとなりました。

SNSでも「最高の続編」「何度も観に行きたい」といった口コミや高い評価が相次ぎ、20年ぶりの続編は、懐かしさだけでなく、今の観客にも確かに届いています。

この記事は、映画『プラダを着た悪魔2』のレビュー・感想です。

前半はネタバレなしで、前作『プラダを着た悪魔』とのつながりや、ミランダ、アンディ、エミリー、ナイジェルというメインキャスト4人の魅力、ファッションや音楽、豪華カメオについて書いています。

後半からはネタバレありで、物語の核心やラストの意味、そして今作が20年後の私たちに突き刺さる理由を深く考察していきます。

映画を観る前の方は前半まで、鑑賞後の方は後半のネタバレ考察まで、ご自身のペースで楽しんでいただけたら嬉しいです。

『プラダを着た悪魔2』レビュー・感想|華やかで、苦くて、美しい“仕事と美意識”の物語

観終わった瞬間、私はしばらく、余韻を味わった。

ニューヨークの街。
ミラノの光。
完璧に計算された衣装。
ミランダの鋭い視線。
アンディの成熟したまなざし。
エミリーの相変わらず切れ味抜群の毒。
そしてナイジェルの、世界がどれだけ変わっても失われない美意識。

ああ、帰ってきた。

心の中で、まずそう思った。

それは、20年前に夢中になった映画の続編を観る喜びだった。

あの音楽が鳴り出す前から、こちらの心はもう少しだけ背伸びしている。
スクリーンに映る街の光、ヒールの音、コートの揺れ、編集部の張りつめた空気。

そのすべてが、かつての記憶を一気に連れてくる。

『プラダを着た悪魔』という映画には、独特の魔法がある。

たとえ何年も観ていなくても、思い出すだけで気分が上がる。
背筋が伸びる。
少しだけいい服を着たくなる。
仕事に向かう気持ちが、ほんの少しだけしゃんとする。

劇場を出て、現実の光に戻ったあとも、まだミラノの反射が目の奥に残っていた。

家に帰れば、いつもの仕事がある。
返信しなければいけないメールがある。
書きかけの記事がある。
明日の予定も、生活も、現実もある。

それでも、胸のどこかだけはまだ、Runwayの廊下を歩いていた。

でも、今作を観終わったあとに残った感情は、ただの懐かしさではなかった。

懐かしい。
華やか。
楽しい。
おしゃれ。
胸が躍る。

もちろん、それは全部ある。

でも、それだけじゃない。

この映画は、20年前に『プラダを着た悪魔』を観た私たちに、もう一度こう問いかけてくる。

あなたは今、何を美しいと思って生きていますか?

あなたは今、何を守りたいと思って働いていますか?

あなたは今、自分の人生のど真ん中で、何を手放し、何を抱きしめようとしていますか?

これは、ただの続編ではない。

これは、20年前に、

仕事って怖い。
でも、なんて華やかで刺激的なんだろう。

と胸をときめかせた私たちが、20年後の今、

好きな仕事を続けることは、こんなにも難しいのか。

と知ったあとに観る映画だ。

前作の悪魔は、ミランダだった。

でも今作の悪魔は、ミランダではない。

時代そのものだ。

私はこの映画を、単なるファッション映画としてではなく、変わりゆく世界の中で、自分の美意識と仕事の誇りをどう守るかを描いた、大人の仕事映画として観た。

そして心から思った。

『プラダを着た悪魔2』は、前作を超える映画ではないかもしれない。

でも、前作の20年後としては、かなり正しい映画だ。

なぜなら、私たち自身もまた、前作を観た頃のままではないからだ。

20年前、『プラダを着た悪魔』は“働く人のバイブル”だった
まず、前作を少しだけ振り返りたい。

2006年に公開された『プラダを着た悪魔』は、ニューヨークの一流ファッション誌「Runway」を舞台にした、最高に軽快で、最高におしゃれで、でも実はかなり鋭いお仕事映画だった。

主人公のアンディは、ジャーナリスト志望の若い女性。

本当は政治や社会問題を扱う硬派な記者になりたいのに、ひょんなことから世界的ファッション誌「Runway」の編集長ミランダ・プリーストリーのアシスタントになる。

アンディはファッションにまったく興味がない。

ブランドも知らない。
服装も垢抜けない。
編集部の空気にもついていけない。

けれど、その世界の頂点に君臨するミランダは、そんな甘さを一切許さない。

彼女は冷酷で、完璧主義で、容赦がない。

コートを放り投げるだけで編集部の空気を凍らせる。
“That’s all.” の一言で、人間の心臓を止めにくる。
電話一本で、誰かの一日を根こそぎ奪う。

でも、ただの意地悪な上司ではない。

そこが、この映画の凄さだった。

ミランダは、仕事の極北にいる人だった。

美に対する圧倒的な理解。
世界のトレンドを読み解く知性。
妥協しない姿勢。
自分にも他人にも容赦なく求めるプロフェッショナリズム。

彼女は怖い。

でも、ただ怖いだけなら、あの映画はここまで残らなかった。

ミランダの怖さの奥には、仕事への凄みがあった。
美しいものを見抜く眼があった。
自分がいる世界の価値を、誰よりも信じている人の孤独があった。

アンディは最初、その世界に反発する。

こんな服に何の意味があるのか。
こんな上司についていく必要があるのか。
こんな場所で自分をすり減らす価値があるのか。

そう思いながらも、やがてナイジェルの手助けを受け、ファッションを身にまとい、ミランダの無理難題に応え、仕事のスピードと精度を身につけ、編集部で認められていく。

あの変身シーンの高揚感。

あの音楽。

あのニューヨーク。

あの服。

観ているだけで、こちらまで背筋が伸びるようだった。

でも、この映画は単なる“垢抜け物語”ではない。

アンディは仕事ができるようになる。

でも同時に、自分が大切にしていたものを少しずつ失いかける。

恋人との時間。
友人との関係。
自分が本当にやりたかった仕事への初心。
そして、自分らしさ。

だから前作の本質は、こうだったと思う。

成功することは美しい。
でも、その成功のために何を差し出すのか。

上へ行くことは楽しい。
でも、その階段を登るたびに、自分は何を置いてきてしまうのか。

あの映画は、華やかなファッション映画の顔をしながら、“仕事で認められる快感”と“仕事に飲み込まれる怖さ”を同時に描いていた。

だからこそ、20年近く経っても古びなかった。

ただおしゃれだったからではない。

私たちの中にある、

認められたい。
変わりたい。
でも自分を失いたくない。

その切実な気持ちを、鮮やかな服と毒のある会話の奥に刻んでいたからだ。

今作は、アンディではなく“Runwayそのもの”が試される物語だ
そして20年後。

『プラダを着た悪魔2』が描くのは、あの華やかな世界のその後だ。

今回、変わったのはアンディだけではない。

紙の雑誌をめぐる空気も、広告の流れも、ブランドの力学も、読者が情報を受け取る速度も、すべてが別物になっていた。

かつて「Runway」は、絶対的な権威だった。

紙の雑誌には力があり、編集長には神のような影響力があり、ブランドも広告もセレブも、その権威の周囲を回っていた。

けれど2026年の世界では、そうはいかない。

SNSがある。
インフルエンサーがいる。
ブランド自身がメディアを持つ。
AIが文章を書き、画像を作り、企画を生み出す。
読者は無料で情報を得ることに慣れている。
広告収入は揺らぎ、紙媒体は存続を問われる。

かつてあれほど眩しかったRunwayは、今や“憧れの職場”であると同時に、“生き残りをかけた組織”になっている。

前作が「アンディがRunwayに飲み込まれるかどうか」の物語だったなら、今作は「Runwayそのものが時代に飲み込まれるかどうか」の物語だ。

ここが、ものすごく面白い。

かつて世界の中心にいたミランダが、世界の変化に揺さぶられる。

これだけで、私はもうたまらなかった。

なぜなら、これはファッション業界だけの話ではないからだ。

出版も、映画も、音楽も、文章も、教育も、発信も、あらゆる仕事が今、同じ問いの前に立たされている。

私たちが大切にしてきた仕事の価値は、今の時代にまだ生き残れるのか。

自分が磨いてきた美意識は、スピードと効率と数字の時代にまだ意味を持つのか。

好きな仕事を続けるために、私たちは何を変え、何を守ればいいのか。

『プラダを着た悪魔2』は、その問いを、恐ろしく華やかな衣装と、軽快な会話と、懐かしいキャラクターたちの再会の中に忍ばせてくる。

これが、ただの懐古続編ではない理由だ。

懐かしい場所に戻ったはずなのに、そこはもう昔と同じ場所ではない。

懐かしい人たちに再会したはずなのに、その人たちもまた、20年分の傷と経験と選択を背負っている。

観客である私たちも同じだ。

あの頃の私たちは、まだ仕事に憧れていた。
今の私たちは、仕事が憧れだけでは続かないことを知っている。

だからこそ、この続編は刺さる。

若い頃の夢が、大人になってからの現実に変わったあとで、もう一度あの世界に戻る映画だからだ。

セルリアンはまだ終わっていなかった
前作を語るうえで、どうしても忘れられない名場面がある。

セルリアン。

アンディが何気なく着ていた青いセーターを見て、ミランダが語るあの場面だ。

あなたは自分でその服を選んだつもりかもしれない。

けれど、その色はRunwayから始まり、デザイナー、ブランド、百貨店、大量生産の服へと流れ、最終的にあなたのクローゼットに届いたものなのだ。

つまり、あなたが無関係だと思っているファッションの世界は、実はあなたの生活の隅々にまで入り込んでいる。

あの場面で、アンディは初めて知る。

服には文脈がある。
色には歴史がある。
選択には構造がある。

あれは単なるファッション講義ではなかった。

“自分だけで選んでいるつもりの人生も、社会や業界や時代の流れと無関係ではない”という残酷なレッスンだった。

私たちは、自分で選んでいると思っている。

この服も。
この仕事も。
この言葉も。
この暮らしも。
この価値観も。

でも実際には、そこには時代の空気がある。
業界の構造がある。
誰かが作った流れがある。
知らないうちに受け取ってしまった美意識がある。

今作でセルリアンが再び意味を持つなら、それは単なるファンサービスではない。

20年前、アンディの無知を突きつけたセルリアンは、20年後、アンディが一度得た知性と、そこから逃れられない記憶を象徴する色になる。

アンディはRunwayを去った。

でも、Runwayで得た感覚は消えていない。

自分の服装がどう読まれるか。
自分の言葉がどう届くか。
仕事で生き残るには、理想だけでなく戦略も必要だということ。
美意識もまた、ひとつの権力であること。

彼女はそれを知ってしまった人だ。

だから今作のアンディは、もう前作のアンディではない。

おしゃれになったのではない。

職業人になったのだ。

そしてこの視点は、2026年の私たちにもそのまま突き刺さる。

私たちもまた、AIやSNSやアルゴリズムの中で、自分の言葉や表現や仕事を選んでいる。

自分で選んでいるつもりでも、いつの間にか流行の言葉を使い、反応されやすい形を選び、数字が取れる見せ方に寄っていくことがある。

たぶん、私自身も例外ではない。

noteを書いていても、どこかで反応を気にしてしまう。

この言葉は届くだろうか。
このタイトルなら読まれるだろうか。
この切り口なら、今の時代に置いていかれずに済むだろうか。

そんなことを考える。

だからこそ問われる。

本当に自分の美意識で選んでいるのか。

それとも、時代が用意した“セルリアン”を、知らないまま着ているだけなのか。

この映画は、その問いをもう一度、華やかに差し出してくる。

華やかな再会の裏で、Runwayは静かに崩れ始めていた
今作の物語は、ただ「ミランダ、アンディ、エミリー、ナイジェルが帰ってきました!」というご褒美同窓会では終わらない。

むしろ、再会の華やかさの裏で、Runwayという世界そのものが、最初からかなり危うい状態に置かれている。

20年後のアンディは、かつての新人アシスタントではない。

彼女はRunwayを去ったあと、自分の信じる道を歩き、報道記者としてキャリアを積んできた。
華やかなファッション誌の世界ではなく、自分の言葉と取材で社会に向き合ってきた人だ。

ところが、そのアンディのいる新聞社もまた、現代メディア不況の波をまともに受ける。

レイオフ。
編集部の縮小。
書く仕事の不安定さ。
昨日まで必要とされていた言葉が、翌日には予算の都合で切られてしまう。

アンディと彼女の仲間のライターたちは、仕事そのものを失ってしまう。

かつてRunwayを離れて“本当にやりたかった仕事”へ進んだはずのアンディが、その仕事の現場からも押し出されてしまう。

この設定が、いきなり苦い。

前作のラストで、アンディは自分の道を選んだ。

でも20年後、その“自分の道”もまた、時代の波にさらされている。

これは痛い。

ものすごく痛い。

なぜなら、私たちも知っているからだ。

「好きな仕事を選ぶ」ことと、
「好きな仕事を続けられる」ことは、まったく別の話だと。

一方、Runwayもまた危機にある。

ミランダは今もRunwayの象徴であり、世界中のファッション界に影響力を持つ存在だ。

けれど、かつてのように編集長が紙の雑誌ひとつで世界を動かせる時代ではもうない。

そんな中、Runwayではミランダが承認した記事をめぐって炎上が起こる。

かつてなら、ミランダの判断は絶対だった。

彼女が良いと言えば、それが正解だった。
彼女が切ると言えば、それは切られた。

でも今は違う。

ひとつの記事が炎上する。
SNSで拡散される。
ブランドの信頼が揺らぐ。
社内の会議が重くなる。
コンプライアンスや広報や経営陣が、ミランダの言葉の周囲に立ちはだかる。

ミランダは、相変わらずミランダだ。

でも、世界のほうが、もはや以前のミランダをそのまま許してはくれない。

そのタイミングで、親会社の会長アーヴ・ラヴィッツと息子ジェイは、Runwayの信頼を立て直すために、かつてRunwayを去ったアンディを特集記事のエディターとして呼び戻す。

これが、ものすごく皮肉だ。

20年前、アンディはRunwayに“迷い込んだ”人だった。

でも20年後、Runwayはアンディのジャーナリストとしての信用を必要としている。

かつてファッションの世界を何も知らなかったアンディが、今度は崩れかけたRunwayを立て直すために呼び戻される。

しかもミランダは、それを素直に歓迎するわけではない。

当然だ。

ミランダにとってアンディは、かつて自分の世界に適応しながらも、最後にはそこを去った人間である。

才能を見抜き、育て、認めた相手でありながら、自分の支配から離れていった人間でもある。

そのアンディが今、自分の雑誌を“救うため”に戻ってくる。

こんなに面白い再会があるだろうか。

しかも、ミランダ自身にも大きな転機が訪れようとしている。

Runwayの親会社の会長アーヴとの間には、長年の信頼関係があり、ミランダはRunwayの国際部門を統括するような、さらに大きな役割を任されようとしている。

かつての編集長から、よりグローバルなブランドの象徴へ。

彼女のキャリアは、まだ終わるどころか、もう一段上へ進もうとしている。

けれど、この映画はそこで甘い夢を見せない。

ミランダの前には、新しい時代の組織論が立ちはだかる。

かつての彼女なら、ひと言で部下を凍らせ、ひと睨みで会議室を支配していた。

けれど今の職場には、HRがあり、コンプライアンスがあり、SNS炎上があり、発言ひとつが即座に切り取られ、拡散される時代がある。

ミランダは弱くなったのではない。

時代が変わったのだ。

そして、その時代の変化は、やがて決定的な事件によってRunwayをさらに追い込む。

あの4人が、最高に帰ってきた!これは懐かしさではなく、20年分の人生をまとった再会だった

この映画の最大の歓びは、やはりあの4人にもう一度会えることだ。

ミランダ。
アンディ。
エミリー。
ナイジェル。

この名前を並べるだけで、少し胸が高鳴る。

でも今作が素晴らしいのは、ただ「懐かしい4人が戻ってきた」だけではないところだ。

彼女たち、彼らは、20年分の人生をちゃんとまとって帰ってきた。

役柄としてもそうだし、俳優としてもそうだ。

メリル・ストリープは、映画史における現存最高峰の女優として、さらに揺るぎない存在になった。

アン・ハサウェイは、『レ・ミゼラブル』でアカデミー賞助演女優賞を受賞し、ただの“可愛いヒロイン”ではなく、痛みも気高さも演じられる大女優になった。

エミリー・ブラントは、前作では意地悪な脇役として強烈な印象を残した若手だったのに、その後『クワイエット・プレイス』『メリー・ポピンズ リターンズ』『オッペンハイマー』などを経て、アカデミー賞にもノミネートされる一線級の女優になった。

スタンリー・トゥッチは、変わらず知性とユーモアと品格をまとい続ける、映画界の宝のような俳優であり続けている。

つまりこれは、キャラクターの再会であると同時に、俳優たちの20年の集大成でもある。

前作を観たとき、私たちはアンディの変化に胸を躍らせた。

でも今作では、4人全員の時間が、画面の奥で静かに光っている。

だからこの再会は強い。

懐かしさだけではない。

20年経ってもなお、それぞれが第一線で輝き続けている俳優たちが、もう一度、同じ世界に戻ってきた。

それだけで、映画にはある種の祝祭感が宿る。

ミランダ・プリーストリーは老いたのではない。世界が変わったのだ

まず何より、メリル・ストリープ。

もう説明の必要がない。

アカデミー賞3度受賞、ノミネートは20回を超える、名実ともに映画史に残る女優。

現存する最高の女優は誰かと問われたら、私はやはり彼女の名前を挙げたくなる。

メリル・ストリープ。

彼女は、出てくるだけで空気を変える。

椅子に座っているだけで、部屋の温度が2度下がる。
視線を動かすだけで、誰かのキャリアが終わりそうな気がする。
沈黙しているだけで、台詞より雄弁に権力を語ってしまう。

ミランダ・プリーストリーという役は、20年前の時点でほとんど完成されていた。

普通なら、続編で戻すのは難しい。

なぜなら、あのミランダはすでに伝説だからだ。

一歩間違えれば、ただのセルフパロディになる。
懐かしい名物キャラクターの再登場で終わってしまう。
観客が待っていた“あの怖さ”をなぞるだけになってしまう。

でも今作のミランダは、ただ前作の“怖い上司”を再現しているわけではない。

彼女は今も強い。

抜け目ない。
厳しい。
仕事への意欲も変わらない。
自分にも部下にも容赦しない。

けれど、世界の方が変わってしまった。

雑誌というビジネスモデルは揺らいでいる。
ブランドとしての価値も問われている。
出版もジャーナリズムも、かつてのようには機能しない。

そして何より、ミランダの一言が、以前のように絶対的な正解として通る時代ではなくなっている。

会議室での彼女の沈黙。
炎上の余波を受けながらも、簡単には動揺を見せない表情。
それでも、ほんの少しだけ揺れているように見える視線。

メリル・ストリープは、そこを見せる。

大げさに老いを演じるのではない。

弱さを見せびらかすわけでもない。

でも、ふとした沈黙の中に、時代に追い詰められる女王の疲れをにじませる。

これが凄い。

前作のミランダは、ほとんど神話だった。

今作のミランダは、神話でありながら、人間でもある。

この解釈が、私はたまらなく好きだった。

ミランダは老いたのではない。

世界が変わったのだ。

そして、その変化の中でなお、自分の美学を手放さない。

ミランダの赤は、悪魔の色であり、権力の色であり、血の色でもある。

白髪と赤のコントラストは、彼女を“過去の人”ではなく、“まだ燃えている人”に見せる。

冷たいのに、血が通っている。

強いのに、孤独。

怖いのに、どこか哀しい。

ああ、これがメリル・ストリープなんだと思った。

ただ怖い人を演じるのではない。

権力を持ちながら、時代の前では完全には勝てない人間の影まで、静かにまとわせてくる。

自分が信じてきた仕事の価値が、時代によって揺らいだとき、それでも戦えるのか。

自分のやってきたことが、もう古いと言われたとき、それでも立っていられるのか。

ミランダはまだ戦っている。

それだけで、この続編には意味がある。

アンディは“変身した新人”ではなく、“経験を背負った職業人”になった
画像
そして、アン・ハサウェイ。

私は前作のアンディが好きだった。

少し野暮ったくて、少し頑固で、でも芯がある。
ファッション業界に完全には馴染めないけれど、だからこそ観客は彼女についていけた。

彼女は私たちの目だった。

あの異様に華やかで、異様に厳しいRunwayという世界を、アンディと一緒に覗き込んでいた。

でも今作のアンディは、もう観客の代理人だけではない。

彼女はこの20年、自分の道を歩いてきた人だ。

前作の最後で、自分の信じる仕事を選んだ。

Runwayの華やかさと厳しさを知ったうえで、そこに残らないことを選んだ。

その決断の先にいるアンディが、今作にはいる。

しかも、その道は決して平坦ではなかった。

彼女はジャーナリストとしてキャリアを積み、言葉と取材で生きてきた。

でも、2026年のメディア不況は、アンディのような人間さえ容赦しない。

アンディは、ただ夢を叶えた人ではない。

夢を叶えたあと、その夢が時代に揺さぶられる現実まで知っている人だ。

ここが、今作のアンディの深さだと思う。

彼女にはプロとしての自信がある。
会社の中でどう立ち回るかも知っている。
理想だけでは仕事が続かないことも知っている。

でも、完全に揺れないわけではない。

ここがいい。

アンディは成熟している。

でも、少し疲れてもいる。
少し疑ってもいる。
でも、まだ何かを信じたい人でもある。

アン・ハサウェイの透明感は、若い頃のきらめきとは少し違うものになっている。

前作の彼女には、若さのまぶしさがあった。

今作の彼女には、経験を積んだ人間の苦味がある。

『レ・ミゼラブル』でアカデミー賞を受賞した彼女は、その後も華やかさだけでなく、傷、葛藤、疲労、再生を演じられる女優になった。

その20年が、アンディの表情に乗っている。

昔のアンディなら、Runwayに戻ることは敗北のように見えたかもしれない。

でも今のアンディは違う。

戻ることが、必ずしも後退ではないことを知っている。

一度離れた場所に、別の力を持って戻ってくることもある。

かつて逃げた場所が、20年後には、自分の経験を試す場所になることもある。

アンディはおしゃれになったのではない。

職業人になった。

そして私は、そのアンディに強く惹かれた。

理想はある。
でも現実も知っている。

きれいごとだけでは食べていけない。
でも、きれいごとを全部捨てたら、自分の仕事を好きでいられなくなる。

その間で揺れながら、それでも自分の道を歩こうとする。

今作のアンディには、その大人の痛みがある。

そして、それでも人としての誠実さを失っていない。

そこが、アンディのいちばん美しいところだと思う。

エミリー・チャールトン、ついに本物の権力を手にする

今作でいちばん“続編としておいしい”のは、エミリー・ブラント演じるエミリーだと思う。

前作のエミリーは、最高だった。

意地悪で、神経質で、早口で、常に何かに怒っていて、でもどこか可笑しくて、哀しくて、憎めない。

あの頃の彼女は、ミランダの第一アシスタントでありながら、常に怯えていた。

走っていた。削られていた。パリ行きを夢見ていた。アンディに嫉妬していた。そして、あの世界に認められたいと必死だった。

正直、あの時のエミリー・ブラントを観たとき、ここまで世界的な大女優になると予想していた人はどれくらいいただろう。

もちろん、強烈だった。

でも、あの役は一歩間違えれば“意地悪な脇役”で終わってもおかしくなかった。

ところが彼女は終わらなかった。

『プラダを着た悪魔』を出世作にして、そこから着実にキャリアを広げ、『クワイエット・プレイス』では恐怖と母性を、『メリー・ポピンズ リターンズ』では華やかさと歌を、『オッペンハイマー』では怒りと哀しみをまとった存在感を見せ、ついにはアカデミー賞にもノミネートされた。

エミリー・ブラントは、あの“エミリー”のまま止まらなかった。

本当に大女優になった。

だからこそ今作で、エミリーが“使われる側”から“影響を与える側”へ移っていることが、役柄としても、俳優としても、ものすごく効いている。

今作のエミリーは、もう“認められたい側”ではない。

Runwayの未来を左右する、ラグジュアリーブランド側の重要人物として立ちはだかる。

これ、構造としてめちゃくちゃ面白い。

かつてミランダの下で消耗していたエミリーが、今度はミランダに対して影響力を持つ。

でも、それは単純な復讐ではない。

彼女は、あの世界に育てられた人間だ。

ミランダの論理を身体に染み込ませ、ファッション業界のルールを学び、毒を飲み込み、それを自分の野心として実装した。

だから今作のエミリーは、最も“サバイブした人”に見える。

優しい人になったわけではない。

相変わらずメチャクチャで、あけすけで、たぶん空気の湿度にすら文句を言う 笑

でも、前作よりずっと大きくなっている。

エミリー・ブラントのコメディセンスは、本当に素晴らしい。

一瞬で場を持っていく。毒舌のタイミングが完璧。怒っているのに可笑しい。可笑しいのに、どこか切ない。

そして今作では、その可笑しさの奥に、権力を手にした人間の余裕と危うさがある。

若い頃に感じていたエミリーの意地悪さが、20年後には少し違って見える。

彼女もまた、必死だったのだ。

あの世界で生き残るために。自分の席を奪われないために。誰かに軽く扱われないために。自分が価値のある人間だと証明するために。

若い頃は、ただイヤな人に見えた人が、年齢を重ねると、同じ構造の中で傷ついていた人に見えてくることがある。

それもまた、この続編の豊かさだ。

ナイジェルがいる限り、この世界の美意識は死なない

そして、スタンリー・トゥッチのナイジェル。

私はナイジェルが大好きだ。

前作でアンディを変身させた、あの“妖精の名付け親”のような存在。

でも彼は、ただ優しい人ではなかった。

彼はファッションを愛している。
美しいものを見抜く目を持っている。
そして、この業界の残酷さも知っている。

だから彼の優しさには、いつも少し苦味があった。

スタンリー・トゥッチという俳優もまた、この20年でさらに味わいを増した人だ。

彼は派手に叫ぶ俳優ではない。

でも、画面にいるだけで場が締まる。

知性がある。
品がある。
ユーモアがある。
少し皮肉で、でも人間へのまなざしが温かい。

『ラブリーボーン』でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされたときの不気味さも、『ジュリー&ジュリア』での包容力も、『スーパーノヴァ』での静かな哀しみも、彼の演技にはいつも“人間の奥行き”がある。

そのスタンリー・トゥッチが、再びナイジェルとして戻ってくる。

これだけで嬉しい。

今作のナイジェルは、業界全体が変わっても、今も同じ場所で黙々と頑張っている。

この設定だけで、私は泣きそうになる。

何もかもがオンラインになり、デジタルになり、メディアもファッションも変わってしまった。

それでもナイジェルは、まだそこにいる。

美しいものを見る目を失っていない。

ここが重要だと思う。

ミランダは権力に仕えているように見える。
エミリーは野心に仕えているように見える。
アンディは誠実さと現実の間で揺れている。

その中でナイジェルは、「質」に仕えている。

美しいものを美しいと見抜くこと。

雑なものを雑だと見抜くこと。

流行ではなく、品格を見ること。

これは簡単なようで、今の時代にはものすごく難しい。

SNSの速度。
バズの圧力。
数字の誘惑。
AIによる効率化。
コストカット。
安い量産。
“それっぽいもの”が一瞬で作れてしまう時代。

そういうものが押し寄せてくる中で、

「でも、それは本当に美しいのか」

と問い続ける人がいる。

ナイジェルは、その人だ。

彼がいる限り、この世界の美意識は死なない。

若い頃は、アンディの変身に胸が躍った。

でも今は、ナイジェルのように、世界が変わっても自分の眼を失わずに働き続ける人に、心を打たれる。

この世界には、ミランダのような女王だけでなく、ナイジェルのような職人が必要なのだ。

華やかなショーの裏で、静かに質を守る人。

その人たちがいるから、美しい世界はまだ壊れずに残っている。

服が変わるということは、生き方が変わるということ

『プラダを着た悪魔2』の大きな魅力は、やはりファッションだ。

でも今作の服は、ただの見せ物ではない。

きれいな服を着せて、観客を喜ばせるだけの衣装ではない。

むしろ、服そのものが、人物たちの20年分の人生を語っている。

前作のアンディは、服によってRunwayの世界に入っていった。

あの変身シーンの高揚感は、今でも忘れられない。

でも今作のアンディは、もう「変身させられる新人」ではない。

彼女は、服を知らなかった人ではなく、服の意味を一度知って、それでも自分の道を選んだ人だ。

だから今作のアンディの装いには、派手な変身の快感よりも、経験を重ねた人の距離感がある。

クワイエット・ラグジュアリー。

この言葉がとてもよく似合う。

大きく主張しすぎない。

でも、安くは見えない。

力んでいない。

でも、雑でもない。

ジャーナリストとして世界を歩き、自分の目で見て、自分の言葉で生きてきた大人の女性の服だ。

Coachのバッグ、Phoebe Philoの白、Gabriela Hearstのドレス、Ralph Lauren Purple Labelのジャケット、Jean Paul Gaultierのヴィンテージスーツ、Rabanneのきらめき。

どれも、ただブランドを着ているようには見えなかった。

「ファッション業界の人間」になりきるのではなく、ファッションの文脈を知ったうえで、自分の仕事に引き寄せて着ている。

そこがアンディらしい。

たとえばCoachのバッグが象徴的だった。

完璧なラグジュアリーで武装しきるのではなく、働く人の現実に少し近い。

資料を入れる。

原稿を持つ。

移動する。

取材する。

美しいけれど、ちゃんと仕事の道具にも見える。

アンディはもう、Runwayの世界に憧れて背伸びしているだけの人ではない。

あの世界の美しさも怖さも知ったうえで、自分の足場を持っている。

だから彼女の服には、成熟がある。

一方のミランダは、衣装そのものが権力だ。

ミランダ・プリーストリーの服は、ただ美しいのではない。

人を黙らせる。

部屋に入った瞬間、その場の空気を支配する。

前作のミランダは、氷のようだった。

白髪、サングラス、完璧なコート、冷たい色調。

近づいたら切られそうな鋭さがあった。

でも今作のミランダには、そこに赤が加わる。

赤は、悪魔の色でもある。

権力の色でもある。

そして、血の色でもある。

まだ燃えている。

まだ戦っている。

まだ自分の美学を譲るつもりはない。

その意思が、服に宿っている。

Lanvinのコート、Gabriela Hearstのスカート、Gucciの靴。

Dries Van NotenやBalenciagaを思わせる、静かで強いシルエット。

どれも、ただ流行に乗った服ではない。

ミランダの服には、流行よりも「格」がある。

トレンドを追いかける人ではなく、トレンドを裁く側の人間の服だ。

しかも今作のミランダは、前作とまったく同じ場所にはいない。

雑誌の権威は揺らぎ、メディアの形も変わり、Runwayを取り巻く空気も変わっている。

それでも彼女は、なお美しく立っている。

だから今作のミランダの服には、単なる威圧だけではない、時間をくぐってきた人間の迫力がある。

「私はまだここにいる」

そう言っているように見える。

そしてエミリー。

今作のエミリーの服は、たぶん4人の中でいちばん“出世”を語っている。

前作のエミリーは、ミランダの下で走り回る人だった。

常に焦っていて、怒っていて、削られていて、でも必死にファッションの世界にしがみついていた。

でも20年後の彼女は、Diorのシニア・エグゼクティブになっている。

これは大きい。

もう使われる側ではない。

広告を出す側。

Runwayの存続に影響を与えられる側。

つまり、権力を持つ側に移ったのだ。

だからエミリーの服は、前作の「必死さ」から、今作では「勝ち取った地位」へ変わっている。

Diorのロゴ。

シャープなサングラス。

コルセット的なレイヤード。

エッジのあるスタイリング。

どこか攻撃的で、どこか過剰で、でも完璧に計算されている。

エミリーは、優しくなったわけではない。

むしろ、より鋭くなっている。

でもその鋭さは、昔のような焦りだけではない。

自分がここまで来たことを、服で証明している。

「私はもう、誰かのアシスタントではない」

「私はこの世界で生き残った」

「私は見られる側ではなく、見る側に回った」

そういう服だ。

そしてナイジェル。

ナイジェルの服は、派手な主役の服ではない。

でも、彼が画面にいるだけで、世界の品格が保たれる。

彼のスタイルには、職人の美意識がある。

モノクロームのスーツ。

チェックのテーラリング。

Turnbull & Asserのシャツ、Tom Fordのサングラス、Berlutiのブリーフケース、David Yurmanのジュエリー。

派手に叫ばない。

でも、すべてが整っている。

ナイジェルの服は、権力を誇示する服ではない。

「私は美しいものを見てきた」

「私は雑なものを見抜く」

「私はこの世界の裏側で、質を守ってきた」

そういう静かな自負の服だ。

ミランダが女王なら、ナイジェルは職人だ。

アンディが成熟なら、エミリーは野心だ。

そしてナイジェルは、品格である。

この4人の服が、それぞれの20年を語っている。

アンディの服は、成熟を語る。

ミランダの服は、権力と美学を語る。

エミリーの服は、野心と出世を語る。

ナイジェルの服は、品格と職人性を語る。

だから『プラダを着た悪魔2』では、服は台詞だ。

いや、台詞以上に雄弁だ。

人は何を着るかで、何者かになろうとする。

同時に、何を着ないかで、何者ではないかを示す。

20年前のアンディは、服によって世界に入っていった。

20年後のアンディは、服によって世界との距離を測っている。

ミランダは、服によって自分の美学を保ち続けている。

エミリーは、服によって勝ち取った場所を示している。

ナイジェルは、服によって「美しいものを見る目は、まだ死んでいない」と静かに語っている。

この映画において、ファッションは装飾ではない。

人生の履歴書だ。

その人が何を失い、何を得て、何を守ろうとしているのか。

服が、それを全部語っている。

だからこの映画を観ると、少しだけ自分のクローゼットを見直したくなる。

高い服を買いたい、という話ではない。

明日、自分は何を着て、どんな気持ちで仕事に向かうのか。

自分は何を美しいと思い、どんな姿勢で人前に立つのか。

服が変わるということは、生き方が変わるということ。

そして、服を選ぶということは、自分の人生の立ち位置を、もう一度選び直すことなのだと思う。

音楽が鳴った瞬間、あの世界の扉が開く
そして、この映画を語るうえで、音楽の力も外せない。

『プラダを着た悪魔』という映画には、音楽が鳴った瞬間に、こちらの背筋まで伸ばしてくるような魔法がある。

前作もそうだった。

曲が流れた瞬間に、ニューヨークの朝、ハイヒールの音、鏡の前で服を選ぶ時間、編集部のスピード、あの世界の高揚感が一気に戻ってくる。

今作でも、その音楽の使い方が本当にうまい。

ただ懐かしい曲を置いているだけではない。

「ああ、帰ってきた」と思わせながら、同時に「でも、もう同じ時代ではない」と感じさせる。

このバランスが、とても『プラダを着た悪魔2』らしい。

特に、レディー・ガガの存在はあまりにもピッタリだった。

ガガは、ただのカメオではない。

彼女は、ファッション、音楽、演技、自己演出、ポップカルチャーをすべて自分の身体で横断してきた人だ。

着ることを表現に変えた人。
見られることを芸術に変えた人。
自分自身を、ひとつのメディアにしてしまった人。

だからこそ、『プラダを着た悪魔2』の世界にガガがいることには、ものすごく意味がある。

2006年のファッション権力が、雑誌編集長やブランドやランウェイにあったのだとしたら、2026年のファッション権力は、“自分自身をどう見せるか”を知っている人にも宿っている。

ガガは、その象徴だ。

そしてもうひとつ、どうしても触れたいのが、マドンナの「Vogue」だ。

あの曲は、決して古びない。

いや、本当にすごい。

何十年経っても、あのイントロが鳴った瞬間に、空気が変わる。

背筋が伸びる。
顔を上げたくなる。
自分の人生のどこかに、まだ少しだけランウェイが残っている気がしてくる 笑

「Vogue」という曲は、ただの懐メロではない。

ファッションが、ポーズが、視線が、自己表現が、人を変えるということを、今もなお一瞬で思い出させてくれる曲だ。

時代は変わる。

雑誌も変わる。

働き方も変わる。

でも、美しいものを見たときに心が動く感覚だけは、そう簡単には古びない。

音楽がそれを証明していた。

服だけではない。

街だけでもない。

音楽もまた、この映画のファッションだった。

デヴィッド・フランケルとアライン・ブロッシュ・マッケンナは、“懐かしさ”だけで続編を作らなかった
そして、ここで改めて拍手を送りたいのが、監督のデヴィッド・フランケルと、脚本のアライン・ブロッシュ・マッケンナだ。

この続編が成立している最大の理由は、彼らが前作をただ再現しなかったことにあると思う。

普通なら、もっと簡単な道を選べたはずだ。

ミランダに怖い台詞を言わせる。
アンディに華やかな服を着せる。
エミリーに毒舌を吐かせる。
ナイジェルに優しい名言を言わせる。
ニューヨークを走らせる。
Runway編集部を見せる。

そして観客に、

「懐かしいでしょう?」

と言えば、それなりに成立してしまう。

でも、それだけならこの映画は、ただの高級な同窓会で終わっていた。

彼らが偉いのは、この世界を20年前のまま冷凍保存しなかったことだ。

ちゃんと現在の空気にさらしている。

雑誌不況。
SNS。
AI。
ブランド主導の時代。
女性のキャリア。
年齢を重ねても働き続けること。
権力を持った人間が、それでも時代に追い詰められること。
好きな仕事が、好きという気持ちだけでは守れなくなること。

そういう2026年の苦さを、きちんと物語の中に入れている。

もちろん、前作ほど一本の線が美しく通った映画ではないかもしれない。

前作は、アンディとミランダの関係を軸に、ものすごくシャープに進んでいく。

今作はもっと複雑だ。

扱うものが多い。
人も多い。
テーマも多い。
時に少し散らかって見える。

でも、その散らかり方さえ、私は2026年らしいと思った。

今のメディアも、ファッションも、仕事も、人生も、もはや一本の線では語れない。

雑誌、SNS、ブランド、AI、インフルエンサー、ジャーナリズム、企業買収、個人の発信。

あらゆるものが絡み合っている。

その時代に『プラダを着た悪魔』をもう一度作るなら、むしろ少し散らかるくらいで正しい。

今作の悪魔は、ひとりの上司ではない。

時代そのものだからだ。

私は完璧な続編よりも、こういう“今を生きている続編”の方が好きだ。

過去の栄光に寄りかかるのではなく、今の時代に傷つきながら、それでも前作の魂を守ろうとしている。

その姿勢そのものが、『プラダを着た悪魔2』という映画のテーマと重なっている。

変わること。

守ること。

手放すこと。

それでも、美意識を失わないこと。

この映画の作り手たちは、その問いを登場人物だけでなく、作品そのものにも背負わせていた。

だから私は、この続編をただの懐かしい映画とは呼びたくない。

これは、20年前の名作を、2026年の空気の中でどう生かすかに挑んだ映画だ。

そしてその挑戦は、かなり誠実で、かなり美しい。

ニューヨークとミラノ。仕事と美と裏切りの街
舞台もまた素晴らしい。

ニューヨークは、やはり仕事と野心の街だ。

前作のニューヨークには、若者が自分の居場所を探す高揚感があった。

アンディがこの街の速度についていこうとする感覚。
Runway編集部の硬質な空気。
朝の慌ただしさ。
ヒールの音。
コートが宙を舞うスピード。

すべてが“仕事に飲み込まれていく街”として機能していた。

今作のニューヨークは、少し違う。

懐かしさはある。

でも同時に、現在のメディア企業としての空気がある。

出版、広告、デジタル、ブランド、SNS。

華やかさの中に、経営の圧がある。

かつてのRunway編集部は“憧れの場所”だった。

今作のRunwayは、“存続をかけた場所”だ。

そしてミラノ。

これがまた最高に効いている。

ミラノは、美と権力と裏切りが交差する街だ。

ニューヨークが仕事と野心の街なら、ミラノは伝統とラグジュアリーと駆け引きの街。

歴史ある建築。
ギャラリー。
ホテル。
ショールーム。
ファッションショー。

美しい場所ほど、裏側では冷たい交渉が進む。

アン・ハサウェイが語っていた、ミランのガッレリアでメリル・ストリープがミランダとして頂点を極めるシーン。

そこに彼女が思わず見学に行き、

「メリル史上最高に美しいです」

と言ってしまったというエピソードだけで、もう観たくなる。

世界一美しい場所で、メリル・ストリープが、ミランダ・プリーストリーとして、完璧に存在する。

映画館の大画面で観る理由なんて、それだけで十分かもしれない。

美しい場所で、美しい人が、美しい服を着て、残酷な決断をする。

それが『プラダを着た悪魔』の世界だ。

そして今作は、その美しさの裏側にある経営、権力、老い、継承、裏切りまで見せてくる。

華やかなのに、苦い。

そこがいい。

少しだけ個人的な話をすると、私は来月、妻と結婚25周年のお祝いでイタリアに行く予定だ。

ローマ、フィレンツェ、ベネチア、バチカンを巡る予定で、実は今回、ミラノは旅程から外していた。

でも、この映画を観たあとでは、ちょっと後悔している 笑

あのガッレリアの光、壮麗な建築、ファッションショーの熱、ミランダが歩くだけで街全体がランウェイになるような圧倒的な空気。

スクリーンの中で、私はすっかりミラノを旅してしまった。

だから今回は、映画でミラノを旅行できてよかったと思うことにする。

そして次にイタリアへ行く機会があれば、ミラノにも必ず行きたい。

映画には、まだ行ったことのない街を、心の中の「いつか行く場所」に変えてしまう力がある。

『プラダを着た悪魔2』のミラノは、まさにそんな街だった。

豪華カメオは見世物ではない。現代カルチャーの相関図だ
そして今作は、カメオ陣もとんでもなく豪華だ。

レディー・ガガ。
マーク・ジェイコブス。
ドナテラ・ヴェルサーチェ。
ドルチェ&ガッバーナ。
ブルネロ・クチネリ一家。
ナオミ・キャンベル。
ハイディ・クルム。
カロリナ・クルコヴァ。
シアラ。
アシュリー・グラハム。
ウィニー・ハーロウ。
アノック・ヤイ。
アメリア・グレイ。
ロー・ローチ。
エドワード・エニンフル。
ヴァネッサ・フリードマン。
カラ・スウィッシャー。
ジア・トレンティーノ。

もう、名前を並べるだけで強い。

ファッション界、音楽界、メディア界、スポーツ界、文筆界、ジャーナリズム。

まさに現代カルチャーの大名刺交換会である。

でも、このカメオ陣は単なる顔見せではないと思う。

それぞれが、今の時代の記号になっている。

レディー・ガガは、自己演出とポップカルチャーの象徴だ。

ドナテラ・ヴェルサーチェは、ブランドが人格を持つ時代の象徴。

ナオミ・キャンベルやハイディ・クルムは、スーパーモデル神話の残光。

アシュリー・グラハムやウィニー・ハーロウ、アノック・ヤイは、美の多様化の象徴。

ロー・ローチは、スタイリストがスターになる時代の象徴。

かつてのファッション権力は、編集長と雑誌が握っていた。

でも今は違う。

ブランドも、モデルも、スタイリストも、ジャーナリストも、ポッドキャスターも、SNSスターも、みんな自分のメディア性を持っている。

つまり今作のカメオは、単なる豪華名簿ではない。

「雑誌編集長が世界を動かしていた時代」から、「あらゆる人が自分のメディア性を持つ時代」への変化を可視化している。

ミランダの周りには、まだこれだけの世界が集まる。

でも、その世界はもう雑誌だけでは支配できない。

この皮肉が、今作のカメオの面白さだと思う。

2006年のRunwayは、頂点に編集長がいるピラミッドだった。

2026年のファッション界は、無数のスター、ブランド、発信者、批評家、スタイリスト、インフルエンサーが絡み合うネットワークになっている。

だから今作が少し散漫に見えるとしたら、それはある意味で正しい。

今の世界そのものが、散漫で、速くて、まぶしくて、落ち着かないからだ。

ここから先はネタバレです。物語の核心、驚きの展開、そしてフィナーレの意味にも触れていきます
まだ映画をご覧になっていない方は、ぜひ一度スクリーンでこの華やかな世界を浴びてから、戻ってきてください。

この映画は、できれば劇場で観てほしい。

メリル・ストリープの沈黙。
アン・ハサウェイの成熟。
エミリー・ブラントの毒。
スタンリー・トゥッチの温かさ。
ニューヨークの速度。
ミラノの光。
衣装の質感。
観客の笑い声。

それらは、家の画面でも楽しめるかもしれない。

でも、最初の一回はやっぱり劇場がいい。

観客が沸くとわかっている映画なら、その観客の中に加わった方が絶対に楽しい。

ここから先は、かなり濃いネタバレ考察になります。

アーヴの死によってRunwayの空気が一変すること。
ジェイの効率主義によって、ミランダ以上に恐ろしい“時代そのもの”が悪魔として立ち上がること。
ミラノで起こるアンディとエミリーの共闘、そして裏切り。
サーシャ・バーンズによるどんでん返し。
ナイジェルが表舞台に立つことの意味。
そして、アンディ、ミランダ、ナイジェルがニューヨークの夜景を前に、それぞれ別の部屋で働くラストショットの美しさ。

ここからが、この続編の本当の深みだと思いました。

ただ、Filmarksの文字数制限を超えてしまったので、後半のネタバレ考察、フィナーレの意味、そして「20年後の私たちにとって、この映画がなぜ刺さるのか」まで、noteでじっくり書きました。

観たあとに読むと、たぶんもう一度この映画の余韻に戻れると思います。

後半ネタバレ考察はこちらです。※リンクを長押ししてご覧ください。
https://note.com/tenmame0720/n/nea197811a94a
kuu
3.9
『プラダを着た悪魔2』
原題または英題 The Devil Wears Prada 2
製作年 2026年。上映時間 119分。
映倫区分 G 製作国 アメリカ

アメリカの小説家ローレン・ワイズバーガーの同名ベストセラーを原作とする2006年の大ヒット映画「プラダを着た悪魔」の20年ぶりとなる続編。

20年前、『ランウェイ(RUNWAY)』と云う雑誌が流行のすべてを支配し、誰もがそのルールに従わざるを得なかった。
あの一方的なファッション業界のあり方に、どこか憧れを抱きながら加担していた人は多かったはずです。
今作品が描き出すんは、その絶対的な権威がデジタルの波に飲み込まれ、失われつつある時代の終わりの美学と云える。

​正直、前作ほどの心臓を抉るようなキレや、毒っ気のトーンは下がってたかな。
たしかに物語全体の完成度は高いものの、展開が前作のパターンをなぞっているようにも感じられたし、新鮮味に欠けるという点は否めません。
多分20年の歳月は記憶と妄想、そして憧憬なんかごちゃ混ぜにしてしまってたかもしれないし、期待がデカかったからかな。
けど、スクリーンにメリル・ストリープ、アン・ハサウェイ、エミリー・ブラントらオリジナルメンバーが再び集結した事実は、小生にとっても、待ち望んでた方にも20年後の最高のご褒美に違いない。

また、作中でミランダが投げかける皮肉な台詞の多くが、実はメリル自身の即興によるものやという舞台裏のトリビアも、『プラ着』フリークには堪らないスパイスとなっています。
衰退する紙媒体やデジタル全盛の時代を背景に、ミランダとアンディが再びタッグを組む展開は、現代的なアップデートとしては成功していると感じます。

​また、芸術道の端っこに関わってる小生としては、前作同様に豪華なファッションには注目やったし、ミラノでのロケ、ナオミ・キャンベルらのカメオ出演が華やかさを添えてんのは気持ちバクあげでした。

撮影では、前作と同じスタバのカップを再現するために小道具係が当時のロゴを復刻させたというこだわりの逸話も隠されています。何より、以前よりも自立して力をつけたアンディと、少し角が取れて丸くなったミランダの新たな関係性が、単なる懐古的な同窓会映画以上の深みを生んでおり、個人的にはとても楽しめました。

※ファッションについて書きますが停止ボタンを押せない鑑賞でしたし間違っていたらすいません。

​ミランダは、かつての派手な装いを卒業して、究極のシンプルを追求するクワイエット・ラグジュアリーへと進化してた。
ザ・ロウの構築的なロングコートやエルメスの特注セットアップに身を包み、ヴァレクストラのブリーフケースを携る。
特に、廃刊の危機を告げられた編集会議で、彼女が最高級ロロ・ピアーナのカシミアを纏い、デジタルの敗北を冷徹に否定するシーンは、流行を超越した絶対的な権威を感じさせてくれました。
ちなみに、この会議シーンの撮影はニューヨークの実在する出版大手のオフィスを貸し切って行われ、現場の緊張感をリアルに反映したといいます。

一方、アンディはシャネルのアーカイブにヴィンテージデニムを合わせるなどなど、ハイ&ローを自在に操るスタイルを確立してた。
ミラノの夜会にルイ・ヴィトンの彫刻的な深紅のドレスで現れ、全盛期のミランダさえも圧倒するシーンは、彼女が服に振り回される助手からスタイルを操るプロへ変貌したことを象徴していた。

ディオールの幹部となったエミリーも、サンローランのシャープなジャケットと12cmのヒールで、冷徹なビジネスウーマンとしての牙を隠しません。

個人的に最も驚かされたのは、作中における三人の香りの選択。
映画鑑賞でなぜそれが分かるんかと云うと、小道具のクローズアップや台詞での言及、香りを纏う動作をスローモーションで捉えるなど、本来見えないはずの香りを映像表現として際立たせ、登場人物の進化を伝える演出が徹底されているからにほかなりません。
その香りは、彼女たちの成熟と現在の地位を雄弁に物語っています。

ミランダはかつての権威的なフローラルを卒業し、クリードのロイヤル ウードを愛用。
ウードの重厚感とスパイシーな気品が、彼女の装いに絶対的な結界を張っています。

自立した知性を象徴するアンディの香りは、ル ラボのサンタル 33。
中性的で自由なサンダルウッドの香りは、彼女のハイ&ローなスタイルと完璧に調和してる。

そしてエミリーが選んだのは、トム フォードのブラック オーキッド。
官能的で圧倒的な力強さは、彼女の野心そのものを体現しています。

​不思議なんは三者とも男性が纏ってもおかしくない香水たち。
クリードのロイヤル ウードは男性が纏うことでその真価が最も発揮されるまさに王者のための香りやし、ル ラボのサンタル 33もまた男性が纏うことでその真価が発揮される香りと云っても過言じゃない。
そして、トム フォードのブラック オーキッドは、実際トム・フォード自身も愛用してる洗練されていてセクシーさがあるよう男性に映えるダークな甘さがある。

​作中、彼女たちが纏う香りは視覚的・聴覚的な演出として明確に示されていた。
ミランダの冷徹なデスクにヴァレクストラのバッグと並んでクリードのボトルが鎮座するカット。

アンディがオフィスに入った際、ウードの香りが変わりましたね!って一言添えるシーン。
これは、二人の関係が察する側と命じる側から、五感で対等に語り合えるパートナーへ変化したことを象徴する重要な演出にちがいない。

アンディの香りについても、ミラノの夜会ですれ違うエディターたちが、このサンダルウッドの香りはだれ?と囁き合うシーンがあったし、かつて石鹸のような匂いと揶揄されていた彼女が、自身のアイデンティティを香りで定義できるようになったことを示している(多分)。

そしてエミリーは、サンローランのジャケットを羽織る前に、鏡の前でトム フォードを一吹きしてる。
霧のように広がる粒子がスローモーションで捉えられ、彼女の戦うためのスイッチが入る瞬間が映像美としての表現なんやろな。

三人が並び立つシーンでは、これらの異なる香りが重なり合い、単なるファッションを超えたプロフェッショナルとしての重層的な存在感を漂わせてた。

野郎としては、ナイジェルについてもスルーてきないかな。
今作品でもスタンリー・トゥッチ演じる彼の存在は良心であり、エレガントな知恵袋として健在やった。
そして、その彼が纏うのは、流行ではなくプロとしての鎧。

サヴィル・ロウ仕立ての完璧なスリーピース。
アンダーソン&シェパードを彷彿とさせる柔らかなシルエットに、シャルベの光沢あるシャツを合わせ、まさに手仕事の尊厳を体現し、ディテールは大ぶりなペイズリー柄のシルクタイや、ミリ単位で整えられたポケットチーフ。デジタル全盛の時代に、あえてクラシックな遊びを忘れないのが彼流。
前作ではミランダの影として、彼女の無理難題を美学へと昇華させてきた彼やけど、今作品では、単なる裏方を超えたブランドの守護神のような風格を漂わせていました。

​そんなナイジェルが纏っているは、おそらくペンハリガン(Penhaligon's)のサルトリアルかなぁと。
イギリスの高級テーラーが立ち並ぶサヴィル・ロウの仕立て屋をイメージしたこの香りは、スチームアイロンの金属的な熱気と、上質な生地、そしてパウダリーな蜜蝋の香りが混じり合ってる。
まさに、一生をファッションと仕立ての美学に捧げてきた彼にふさわしい選択。

​作中、アンディが再び『ランウェイ』のオフィスに足を踏み入れた際、真っ先に彼と視線を交わし、その瞬間に漂う懐かしくも妥協のない教養の香りに安心するシーンが目に浮かぶ。
彼がアンディに向かって放つ、毒気はあれど愛情に満ちた20年経ってもまだ、その着こなしで私を驚かせてくれるのかい?という台詞。
これこそが待ち望んでいたナイジェルの帰還。

​ミランダ、アンディ、エミリー。
この強烈な三人がぶつかり合う中で、ナイジェルが放つ一歩引いた場所からの圧倒的なセンスが、今作品のファッション偏差値をさらに数段引き上げていたのは間違いナシ。

​結局、今作品が小生に突きつけたのは、たとえ絶対的な教典(雑誌)が消えたとしても、あんたには自分を語る『スタイル』が残っているか?っていう、ひどく静かで熱い問いかけだったように思う。

​前作で、小生はミランダが投げ捨てるコートの行方に一喜一憂していたけれど、今作品で目を釘付けにしたのは、彼女たちの指先が選ぶカシミアの質感であり、目に見えないはずの香水の粒子が語るプロの矜持やった。
20年という歳月は、鋭すぎる毒気を熟成させて知性へと変え、虚飾を削ぎ落としてクワイエット・ラグジュアリーちゅう本質へと彼女たちを導いたんやろな。

​紙媒体が色褪せ、誰もが発信者になれるデジタル全盛の今やからこそ、あえて多くを語らず、纏う香りと一瞬の視線だけで、私は、私だと証明してみせる彼女たちの姿は、最高にクールで、何より美しいと感じました。 

​今作品は単なる同窓会映画じゃなく、明日を生き抜くための新しい戦闘服の着こなしを教えてくれる、しいては時代がどれほど移ろおうとも、本物のプロフェッショナリズムは決して流行(トレンド)では終わらない。
そんな確信を胸に抱かせてくれる、まさに20年待った甲斐ある善き119分でした。



ニューヨークの一流ファッション誌「ランウェイ」のカリスマ編集長として、ファッション業界の頂点に君臨するミランダ。かつてそのアシスタントに採用され、厳しく完璧主義な彼女のもとで奮闘する日々を過ごしたアンドレアは、現在は報道記者として活躍していた。そんなある日、ミランダとその右腕ナイジェルが危機に直面していることを知ったアンドレアは、特集エディターとして「ランウェイ」編集部に舞い戻る。さらに、アシスタント時代の同僚エミリーとも再会するが、彼女はラグジュアリーブランドの幹部として「ランウェイ」存続の鍵を握る存在となっていた。それぞれの夢と野望がぶつかり合うなか、事態は思わぬ方向へと展開していく。


キャストにはミランダ役のメリル・ストリープ、アンドレア役のアン・ハサウェイ、エミリー役のエミリー・ブラント、ナイジェル役のスタンリー・トゥッチら前作のメンバーが再結集。前作に引き続きデビッド・フランケルが監督、アライン・ブロッシュ・マッケンナが脚本を手がけた。

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