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ママと神さまとシルヴィ・バルタンの作品紹介

ママと神さまとシルヴィ・バルタンのあらすじ

1963年、パリ。6人兄弟の末っ子として誕生したロランは、生まれつき内反足だと診断される。医師からは一人で歩くことができないと宣告されるも、母エステルだけは決して希望を捨てなかった。「みんなと同じように歩き、素晴らしい人生を送らせてあげる」ーー。 そう誓った母は、家族を巻き込み、神に祈りを捧げ、息子が歩けるようになる日を信じて奔走する。そんな日々のなか、アパートの一室で過ごすロランの心を鮮やかに救ったのは家族が愛したスター、シルヴィ・バルタンの歌声だった。 時に強烈なまでの母の愛と、憧れの歌手が導いたいくつもの奇跡とはー。

ママと神さまとシルヴィ・バルタンの監督

ケン・スコット

原題
Ma mère, Dieu et Sylvie Vartan/Once Upon My Mother
公式サイト
https://klockworx.com/mamakami_movie
製作年
2025年
製作国・地域
フランスカナダ
上映時間
102分
ジャンル
ドラマ
配給会社
クロックワークス

『ママと神さまとシルヴィ・バルタン』に投稿された感想・評価

kuu
3.7
『ママと神さまとシルヴィ・バルタン』
原題または英題 Ma mère, Dieu et Sylvie Vartan
製作年 2025年。上映時間 103分
PG12 製作国 フランス・カナダ合作

内反足を抱える少年が、パワフルな母の愛と大好きなシルビー・バルタンの歌の力で奇跡へと導かれていく姿を実話をもとに描き、フランスでロングランヒットを記録したヒューマンドラマ。

実話に基づいた確かな手触りを持ちながら、スクリーンに広がるのは、単なる苦難の克服を超えた、魂の解放の記録でした。
監督ケナ・スコットが自身のルーツとも共鳴させながらこの物語に込めたんは、過酷な現実に立ち向かうための盾と翼の贈り物でした。

​物語の核となるんは、母エステルの圧倒的な肯定感。
彼女は息子ロランの内反足という現実を、悲劇としてやなく、神さまとシルヴィ・バルタンがいれば克服できる試練として定義し直します。
今作品において、タイトルにもある神とシルヴィ・バルタンは、単なる信仰や娯楽を超えた強力なメタファーとして機能してんのやろと。
神が運命を受け入れるための静かな盾やとするならば、シルヴィ・バルタンは閉ざされた日常から外の世界へと連れ出す翼。
不自由な足でリハビリに励むロランにとって、彼女の歌声は自由への渇望そのものであり、読み書きを学ぶための教科書でもありました。
この推しが教育や救済に直結するという描写は、現代にも通じる普遍的な希望を感じさせてくれます。

​しかし、今作品のテーマは単なる美談に留まらなく、母の無条件の愛は、ロマンを歩かせる原動力となる一方で、時として息子を自分だけの世界に閉じ込める見えない檻にもなり得る。
作中、彼が歩けるようになることは、医学的な完治を意味するだけでなく、母親の強い支配から脱却し、自らの足でアイデンティティの確立へと踏み出すという重要なメタファーにこれまたなってるんじゃないかと。

​1960年代パリの鮮やかな色彩や、シルヴィ・バルタンの煌びやかな楽曲に彩られながらも、根底にあるのは親離れ・子離れという普遍的で、少しの痛みを伴う成長の物語でもありました。奇跡ってのは、誰かに与えられるだけのものやなく、注がれた愛を糧にして、最後は自分の足で一歩を踏み出した時に完結するモンなんやと今作品は優しく教えてくれました。
観終わった後、耳に残るシルヴィの歌声が、明日を生きるための軽やかなステップを促してくれるような清々しい傑作です。

​内反足という枷を負いながらも、内面に豊かな宇宙を育んだ少年の瞳と、その可能性を狂信的なまでに信じ抜いたエステル。
レア・ドリュッケールが見せる、慈愛とエゴイズムが複雑に混ざり合った母は、観る者の心に深い余韻を残しました。
奇跡は神が起こすモンじゃなく、愛という名の伴走を経て、自らの一歩を刻んだ瞬間に立ち現れるもの。
銀幕を吹き抜ける爽やかな風のような感動が、いつまでも記憶に寄り添い続けました。

​一見すると、この物語には危うさが漂ってはいます。
息子の障害という切実な問題に対し、神さまとシルヴィ・バルタンがいれば大丈夫と断言する母親の姿は、あまりに無鉄砲で非現実的に映る。
現代の視点から見りゃ、その向き合い方は根拠のない精神論や強引なポジティブさに見え、最初、彼女の奔放な振る舞いに戸惑いを感じましたが、しかし、物語が進むにつれて、そのひたむきな強引さこそが、絶望から家族を救い出す唯一の武器であったことに気づかされました。
厳しいリハビリや周囲の冷ややかな視線という冷酷な現実に抗うには、常識の枠を超えた圧倒的な明るさが必要やったに違いありません。

​シルヴィ・バルタンの華やかな歌声が、少年の痛みを希望へと塗り替えていく様子は、単なる気休めを超えた信じる力の強さを物語っていましたし、映画が終わる頃には、当初感じていた彼女の危うさは、何があっても子供の未来を信じ抜くちゅう、究極に純粋な母性への敬愛へと変わってました。
現実は決して甘くはない、けれど明るい灯を絶やさないことが現実を変える力になる。
今作品は、そんな泥臭くも美しい奇跡を信じさせてくれる、魂への柔らかな応援歌のような映画でした。

あらすじ・キャスト
1963年、パリ。6人兄弟の末っ子であるロランは生まれつきの内反足で、ひとりで歩くことはできないと医師から宣告されてしまう。しかしポジティブな母エステルは決して希望を捨てず、家族や周囲の人々を巻き込みながら治療法を求めて奔走する。長く孤独な治療の間、ロランの心を鮮やかに救ってくれたのは、絶大な人気を誇る歌手シルビー・バルタンの歌声だった。

パワフルな母エステルを「シンク・オア・スイム イチかバチか俺たちの夢」などのレイラ・ベクティ、大人になった息子ロランをコメディ俳優のジョナタン・コエンが演じ、「バルバラ セーヌの黒いバラ」のジャンヌ・バリバール、「ラブ・セカンド・サイト はじまりは初恋のおわりから」のジョセフィーヌ・ジャピが共演。さらに、主人公ロランの“生涯のアイドル”であるシルビー・バルタンが本人役で登場し、歌声も披露する。監督・脚本は「人生、ブラボー!」「クローゼットに閉じこめられた僕の奇想天外な旅」のケン・スコット。
良い作品だった。
母親と子供の戦いと、その後の子供の人生と母親との関わり合いを描く作品。

仕事が忙しくて1週間以上映画館に行けなくて辛抱ならなくなり、今日こそは何か、という時にコレと目が合って。
正確には先週ぐらいからこの作品の存在は知っていて、何とかコレ観たい、と。

『マンダロリアン』も観たいのだけど、この期に及んでDisney+でシーズン1から観始めてしまったので、もう少し温存したいと思って、満を持して、、、仕事を放り出して。

とはいえ、この作品を詳しく知っているわけではなく、何となくアンテナに引っかかる何かを感じて。

事実に基づく作品で、自身の自叙伝的な原作を元に作られた作品。

“内反足”。
足の骨が曲がってしまう先天的な身体的な障害。
この主人公の場合は、右足の足首の骨が曲がってしまっていて、医者にはこの先の人生で器具の助け無しには歩くことは不可能だと太鼓判を押され続ける。

そこを、その医学的常識に真っ向から立ち向かい、覆さんと決して諦めない覇道の母親。

その覇道の母親とそれを見守る父親と、5人の兄弟、家族の元で、ハンデと家族、人生と向き合っていく物語。

何が“シルヴィバルタン”なのかと思ったら。というか、途中からまさかの“ご本人”、驚く。

そして、“シルヴィバルタン”って名前聞いたことあるけど誰だっけと思ってたら、この曲の人だった。
聞いた瞬間に『ウォーターボーイズ』を思い出したけど、この曲らを知らない人もあまりいないんじゃないか。それぐらい世界的に有名楽曲と歌手だった。

その“シルヴィバルタン”が彼と、彼の家族に立ち向かう勇気を授け、彼に読み書きや、その後の人生を教え、、、やがて、まさかの“シルヴィバルタン”へ、、、スゴい話。

この圧倒的な覇道のママ。
医学的な説明や、その後の彼への義務教育、つまりは医学の定説や国の制度にすら歯向かい、それに準じてたらこの子は歩けないと一歩も引かない姿勢。

このご時世だったらあわやモンスターペアレント枠とも思える覇道。
しかし、その諦めない姿勢が本当に“奇跡”を起こし、覆していく。

しかし、それが、“奇跡”である一方で覇道のママの存在感を青天井で大きくしていく。その結果、彼の人生そのものが覇道ママありきにもなっていく。

このジレンマ。
息子の何もかもを把握し、何かあればママが動いていて、自立してからも何かと口を出し、見方によれば彼の人生を支配しているとも思える関係値。

この覇道のママがいなければ確実に今の彼はないが、かと言っていつまでも覇道のママが自分の人生に居座るのかというというジレンマ。

この絶妙な親子関係に焦点を当てる。
唯一無二の絶大な存在感を放つ絶対的な保護者であり、過保護で狂信的で破天荒な母親。

これが良いとか悪いとかではなく、ここに起きる奇跡もあり、何ら特別なことはない日常的な家族としてのぶつかり合いもあり。

母親にとっても子供たちは人生の全てであり、子供たちも親無くして子供たらしめない。

不治の病が家族の絆で治った、みたいな感動の秘話に終始してそこだけの奇跡の物語ではないところがこの作品の良いところ。

そりゃ奇跡が起ころうとも母親が厚かましくあれこれ干渉してうざったくなる時だってあるし、母親は障害があろうがなかろうが子供に対して惜しみない無条件の愛もある。

「親のありがたみはいなくなった時にわかる」みたいなことを誰かが言ってた気がするけど、この物語も徐々に年を経て関係値や環境も変わっていく中で、その“うざったさ”と“ありがたみ”を同時に共有し合うような。

家族として、親子として。
真剣に、手加減無しに、余すことなく、一心不乱に、目を逸らさずに病と向き合い母親と向き合い、共に生きた家族の物語。

内反足の息子側が「もう、そこまでせんでもええよ」ぐらいの感じになろうとも、絶対に曲げない母親の覇道。

だからこそ、この2人にしかわからない距離感とかやりとり。
たまに他人の親子が大声でやり合ってるのを見かけて不快な気持ちになることもあるけど、ひょっとしたらアレもこの作品みたいなその親子にしかわからない距離感のやり取りなのかもしれないな、とか思った。

それにしても“シルヴィバルタン”みたいな存在が自分の人生にこうも関わってくることもないだろうけど。

内反足という障害が、ある意味でこのママを呼び覚ましたのかもしれず、“シルヴィバルタン”を呼び寄せたのかもしれない。

感情的な覇道ママと、なんやかんやその血に抗えない感じになる主人公。
そして、最後に“神は同時に存在できないから、、、”みたいなセリフがとても印象的だった。

一周回って、とても力強さ、家族の存在の大きさと絆を感じる作品だった。

※24年3月、映画オススメブログ、始めました。
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『matchypotterと映画の秘宝』
https://matchypotter.com/
作品単発のレビューはここでやっているので、こちらは企画記事メインに挑戦したいと思います。
皆さん、時間がある時にでも見に来てください。
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F:2968
M:407
3.6
実話に基づく作品です

内反足で産まれた男の子、母親は自然に治り歩けるようになると信じ、献身的な愛情を持って接するもなかなか治らず...
そんな沈み絶望的な日々に光を与え支えてくれたのが当時絶大な人気を誇ったシルヴィ・バルタンの歌だった

母親の溺愛する息子への想いが、優しくもあり、痛くもあり、時にして煩わしくウザく感じたりもしました

子離れ出来ずにいた、昨年亡くなった母親の事を想い出してしまいました
特に男子って奴は、母親の想いに照れ臭く、イラッと感じるところがあるんですよネ...馬鹿ですネ

そんな中、迎えるラストは、温かく胸に沁みるフィナーレでした

実のシルヴィ・バルタンの登場は嬉しいサプライズでした🎵

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