遺愛を配信している動画配信サービス

『遺愛』の
動画配信サービス情報をご紹介!視聴する方法はある?

遺愛
動画配信は2026年5月時点の情報です。最新の配信状況は各サイトにてご確認ください。
本ページには動画配信サービスのプロモーションが含まれています。
目次

遺愛が配信されているサービス一覧

『遺愛』が配信されているサービスは見つかりませんでした。
代わりに『遺愛』を上映している映画館が見つかりました。
上映館
 - 46館
U-NEXTに入会して対象映画館のチケットをお得に入手する方法

U-NEXTに入会すると上映作品を映画館でお得に観れます。
TOHOシネマズ、イオンシネマ、109シネマズなど多くの映画館が対象になっています。

  • 無料トライアル登録特典
    31日間無料の初回登録で600ポイントがもらえます。
  • 映画チケット引き換えクーポン
    1枚1,500ポイントで映画チケットを発行できます。無料登録後に900ポイントを追加すれば、実質900円で映画を観ることができます。
  • 月額プラン会員特典
    次月以降は毎月1,200ポイントがもらえ、300ポイント追加で毎月1本映画を観ることができます。

遺愛が配信されていないサービス一覧

Prime Video
U-NEXT
DMM TV
FOD
TELASA
Lemino
ABEMA
Hulu
Netflix
WOWOWオンデマンド
アニメタイムズ
Roadstead
J:COM STREAM
TSUTAYA DISCAS

遺愛の作品紹介

遺愛のあらすじ

実家で母の介護を続けていた藤井佳奈(山下リオ)が、ある日、妹・杏里(小川あん)のもとを訪ねてくる。佳奈は血色が悪くやつれた様子で、自分たちの母が“もう母ではない、何かになってしまった”ことを告げる。 父の死を機に実家に戻り、献身的に母の介護を続けていた佳奈。だが彼女は、話しかけてもほとんど無反応で、食べ物をこぼし、部屋を散らかし、ときに突然噛みついてくる母に対して次第に苛立ちを募らせ、疲弊していく。 そんななか、佳奈の周囲で不幸な出来事が立て続けに起こり、彼女はその原因が母――今はもう母ではない“何か”――による呪いだと考えるようになる。そしてその呪いの次の標的は、一家と懇意の精神科医・熊谷(マキタスポーツ)、さらに次は勇太の番なのだと。 果たして、佳奈が言うように本当に呪いが存在し、家族に危険が迫っているのか。それとも、介護に疲れ心身ともに限界に達した彼女が生み出した偽りの真実なのか。佳奈と共に母の暮らす実家へと向かった杏里は、そこで驚くべき光景を目にする。

遺愛の監督

酒井善三

原題
公式サイト
https://tx-iai-movie.jp/
製作年
2026年
製作国・地域
日本
上映時間
90分
ジャンル
ホラー
配給会社
ライツキューブ

『遺愛』に投稿された感想・評価

kuu
3.8
『遺愛』
製作年 2026年。上映時間 90分。
映倫区分 G 製作国 日本

家族という密室の中で、静かに、しかし確実に日常の輪郭が溶け落ちていく恐怖。

酒井善三監督と大森時生プロデューサーが仕掛ける『遺愛』は、いわゆるジャンプスケアに頼る幾多あるJホラーとは、明らかに一線を画してる。
待っているのは、五感をじわじわと侵食するよな、逃げ場のない関係性の恐怖そのもので、今作品は、ワンシチュエーションに近い閉塞感の中で、現代社会が目を背けがちなタブーをエンタメの枠組みで炙り出している。
まぁ、それが凶と出るか吉と出るかは観る者次第と云えます。

今作品テレビ東京の深夜枠で放った『このテープもってないですか?』とかのDNAが、劇場映画というフォーマットへ移植されている点、モキュメンタリー的な不穏さを現実の地続きとして描き出す手腕は、今作品でも健在で、記号化されたJホラーの枠組みを解体し、むしろ黒沢清監督の『CURE』を何となくながら彷彿とさせるようなサイコ・サスペンスへと展開させている。
90分という無駄のないタイトな上映時間に凝縮した構成力は、今作品において特筆に値するかな。

この歪な世界観を支えるキャストの熱演もまた、作品の強度を何倍にも引き上げている。主演の山下リオが演じる、献身の果てに精神の均衡を崩していく佳奈の姿は、緊張感がありました。
単なるイカれた人ではなく、最初はどこにでもいる優しい娘として登場するからこそ、そのグラデーションのような変貌が恐ろしかった。
彼女の訴えに戸惑う妹・杏里を演じる小川あん の、作中の現実に同調するような佇まいも実に善かった。
さらに、一家と懇意にする精神科医・熊谷役のマキタスポーツが、怪作にスパイスを添えていたし、個人的には好きではないが、彼の持つ独特の日常感が、作中の非日常的な異常事態をより一層際立たせる触媒として機能していることは確かでした。

今作品を少し掘り下げると、佳奈の陥る状態はまさにパラノイア(偏執病)における系統狂気の構築プロセスそのものです。
パラノイアの本質は、知能や論理的思考力が保たれたまま、特定の妄想だけが異常に強固なシステムとして脳内に完成してしまう点にある。
劇中での佳奈は、決して支離滅裂な言葉を叫ぶわけではない。
むしろ、身の回りで起きる些細な不運――例えば、引き出しの鍵の位置が変わっているやとか、母の体調が急に悪化した何ていった断片的な事実を、驚くほど緻密な論理で一つの巨大な悪意の陰謀へと結びつけていく。
これってのは、現実にも起こる、意味への過剰同化に他ならない。
不条理で過酷な現実、母の認知症の進行や孤立をそのまま受け入れることは脳にとって耐え難いストレスやから、あえて誰かが自分たちを呪っている、陥れようとしているちゅう明確な敵を設定する。
そうすることで、混沌とした世界に、敵と戦う自分ちゅう歪んだ秩序と生存理由を創り出し、自我の完全な崩壊を防ごうとする哀しい防衛機制が克明に描かれている。

ここで補助線を引くなら、パラノイア(偏執病)、酔っぱらい、薬物幻覚の決定的な違いは、意識の鮮明さと、症状の正体にある。
酔っぱらいが酒によって意識がマヒ、混濁し、理性が失われ、千鳥足や呂律が回らへんって運動機能の低下を中心とする状態であり、薬物による幻覚が脳の知覚の狂いによって、意識の鮮明さに関わらず目の前にない虫が見えたりする幻視や、声が聞こえたりする幻聴のために五感に支配される状態であるのに対し、パラノイアの意識は完全にシラフ鮮明。
幻覚は見えないが、自分は狙われてるって強固な思い込み、妄想を極めて論理的に組み立てて信じ込む。
簡潔に書くならば、
意識と身体がマヒするのが酔っぱらい、
五感が狂うのが薬物幻覚、
佳奈のように、思考そのものが狂うのがパラノイアの本質に他ならない。

この心理的パラノイアを急速に加速させる燃料となっとんのが、社会学的なアプローチ、すなわち現代日本の家族論のバグと、ヤングケアラーや老老介護にも通じる過酷な密室介護問題といえる。
近代家族は、外部の冷たい社会から個人を守る温かいシェルターとナンチャラ学問は定義してきよった。
しかし今作品が暴くんは、そのシェルターがひとたび閉鎖回路になりゃ、外からの救いの手が届かない絶対的監獄へと反転するちゅい恐ろしい実態。
父の死という唯一の結節点を失った瞬間、佳奈と母の二者関係は社会から完全にロストする。
ドイツの社会学者ウリリヒ・ベックってオッサンがこう云ってる、
『現代は、昔の縛りから自由になった反面、すべての問題が自己責任になる時代』やと。
今の介護はこの言葉通り、国や福祉が支えるという建前がある一方で、現実の現場は今なお古い価値観に縛られてる。
親孝行や家族の絆というきれいごとが個人に犠牲を強いる空気を作り、他人に頼ることは身内の恥という世間体が強力なプレッシャーとなってる。
その結果、せっかくの制度を使えず孤立し、最終的には介護で行き詰まったのは自分のせいという自己責任論に追い詰められていくのが、現代の介護のリアルな姿のひとつじゃないかな。

佳奈を追い詰めるんは、物理的な重労働だけではなく、自分がこの人を看取らなけりゃ、この家族の歴史すべてが無に帰すちゅう、内面化された自己責任論の呪縛で、ワンオペ育児ならぬ、ワンオペ介護の極限状態の中で、他者を信じるコストが高騰しすぎた結果、彼女は、外部=すべて敵という極端な社会的不信、ソーシャル・ディストラストへと陥っていく。

こないな、密室の介護、狂気と現実の境界、そして家族という呪縛に肉薄するアプローチは、近年の海外のスリラー映画とも深く共鳴していんじゃないかな。
例えば、認知症の老母の変貌を家全体の物理的な侵食として描いた『レリック -遺物-』(2020年)は、介護者が直面するかつて愛した人が別の異形へと変わっていく絶望的な孤立感をホラーに昇華させており、今作品の閉塞感と完全に一致する。
また、アルツハイマーの母親を追うモキュメンタリー『悪魔の存在を証明した男』(2014年)が描いた、医学的現実とオカルト的妄想が混沌と溶け合うプロセスの緻密さは、大森時生プロデューサーらが仕掛けるフェイクの不穏さや佳奈の系統狂気の構造と地続きにある。
さらに、認知症の父親の視点から世界の崩壊をアカデミックに捉えた『ファーザー』(2020年)のような心理的迷宮を、今作品は介護者側の視点から冷徹にひっくり返して見せている。

あえてネガティブな側面を突くならば、あまりにも重苦しく、救いのないディスカッションドラマが続くため、エンタメとしての爽快感や、明快なカタルシスを求める層には少々しんどいかも。
全編に漂う、湿り気のある不穏な空気感は万人受けするものではなく、上映終了後もしばらく心に澱のようなモヤモヤが残り続けたし、でも、それこそが製作者たちの狙い通りなんやろうな。

『遺愛』というタイトルが示す通り、遺された愛ってのは、時として当事者を縛り付ける最も残酷な足枷になり得る。
単にお化けが怖いという次元を超え、洋画の最先端スリラーともリンクするよな、いつでも誰もが狂い得るシステムを現代日本の地獄絵図として描き切った今作品の熱量は、間違いなく平均点以上の確かなインパクトを脳裏に刻み込んでくれた作品でした。

あらすじ・キャスト。
父の死を機に実家に戻り、認知症の母の介護を始めた佳奈。母との時間を取り戻すかのように献身的に介護にあたるが、母の不可解な言動は徐々に常軌を逸したものになっていき、周囲で起こる異変にも違和感を覚える。やがて、母の内側に何かが入り込んでいるような感覚にとらわれた佳奈は、この世のものとは思えない“何か”の存在に狂わされていく。

主人公・佳奈を山下リオが演じるほか、佳奈からの訴えを聞いて実家に駆け付ける妹・杏里役を「石がある」「彼方のうた」など主演作が相次ぐ小川あん、佳奈や杏里の家族とある出来事をきっかけに親交を持った精神科医・熊谷役をマキタスポーツが演じる。
ぶみ
3.5
世界は呪いで溢れている。

酒井善三監督、山下リオ主演による恐怖映画。
母の介護を始めた主人公に巻き起こる不可解な出来事を描く。
主人公となる藤井佳奈を山下、妹の松永杏里を小川あん、一家と懇意にしている精神科医の熊谷太一をマキタスポーツが演じているほか、藤井京子、瀬戸さおり、関口アナン、市野叶、小島叶誉等が登場。
物語は、紅葉が美しい庭を眺める老婆が映し出されたかと思いきや、火のついたコンロの前で倒れている男性が一瞬映し出された後、葬儀の収骨のシーンとなるため、矢継ぎ早に情報が繰り出されるオープニングとなっている。
実は、倒れて亡くなっていたのは、佳奈の父であり、一人残された母親を介護するため、佳奈が実家に入ることに。
そんな佳奈が憔悴しきった様子で妹の杏里を訪ねると、サッカーの練習で出かけている杏里の子どもの勇太が危ないので、早く帰らせるようにと言ってみたり、母が呪われているのは私のせいだ、としてみたりと、明らかに平常ではなく、何かが実家で起きていることがわかることとなり、以降、佳奈が母の介護をしている様を回想として描きながら展開。
実際、その介護のシーンでは、母は話しかけても無反応、食べ物をこぼし、部屋も散らかし、攻撃的となっているのに加えて、何かが見えているようなそぶりも見せと、認知症っぽい症状かなと思わせており、そんな母を介護していて苛立ったり、疲れがたまっていく佳奈の様子は、リアリティ溢れるもので、もはや他人事ではない。
そんな佳奈の周りで、様々な不幸な出来事が起こるようになり、現実なのか、はたまた疲れやストレスからくる妄想なのか曖昧模糊となっていたのは、まさに呪いではと思わせる演出で、楽しめた次第。
クルマ好きの視点からすると、途中にある葬儀のシーンで置かれていた霊柩車が、メルセデス・ベンツの4代目Eクラスをベースとした真っ白なモデルであったこと、また、杏里が乗っていたのが、三菱・デリカミニの最新型であったのは見逃せないポイント。
某番組で、酒井監督が、これはホラーではなく恐怖映画だとしていたように、ジャンプスケアを始めとした所謂ホラー的な演出は皆無であるものの、一体何が起きているのかわからないゾワゾワ感が常に迫り来る作風は、まさに恐怖映画だったとともに、カリフラワー入りのカレーは食べたくないと思う一作。

だって寝たら、夢見ちゃうでしょ。
​この映画は、母親を介護する娘の物語。
主人公の藤井佳奈は、亡くなった父と入れ替わりで実家に戻ったが、
重度の認知症を患う母親の在宅介護に追われ、次第に精神的に疲弊していく。
(-_-;)
ある日を境に、彼女の周囲で奇妙な怪異や不可解な出来事が起こり始める。そして佳奈は気づいてしまった。

( ゚д゚)ハッ!

「この人、もう私のお母さんじゃないよね?お母さんの中に、何か別の存在が取り憑いてるよね?」

妹に相談するが、どうも話が噛み合わない。
介護疲れによる自身の幻覚なのか、それとも母親が本当に邪悪な何かに呪われているのか。
現実と虚構の境界線が次第に曖昧となり、、、というお話。

​まず、主演の山下リオの怪演が目を見張った。
当初は健気に前向きに介護に取り組む主人公だったが、
意思疎通できぬ母に苛立ちを見せるようになり、
徐々に狂気へと変容し、人が変わったようにおかしくなっていく。
山下リオのギャップある主人公の変遷の演技は圧倒的だった。
なんか、だんだん山下リオが小池栄子に見えてきた(笑)
(゚A゚;)ゴクリ

今作は信頼できない語り手の手法をとっており、鑑賞者は佳奈の視点を通して物語を追うが、
その彼女自体がおかしくなっていく為、
「どこまでが現実で、どこからが彼女の脳内の歪みなのか」の線引きが曖昧になっていく事で、
極上のサスペンス要素を醸成させていた。

音や急な画面転換で驚かせる安易なジャンプスケアには頼らず、
終始じわじわと首を絞められるような、Jホラーの正統派な恐怖が漂っていた。
幽霊や悪魔の姿を明確に映す類いの物ではなく、
「よく分からないものが、よく分からないままそこにいる」という、
目に見えない不穏な空気そのものを描き出す演出が光る。

劇中の介護描写は生々しく、最近観た映画で言うと「ファーザー」を連想した。
「ファーザー」が認知症当事者の混濁した世界の視点を描いたのに対し、
今作は介護者側の混濁した世界の視点の話。
介護に疲れた者は、愛しているのに憎むという、介護者の相反する感情を容赦なく抉り出していく。
この辺りの介護あるあるは「90メートル」の高校生主人公にもあった描写だったが、
今作の場合は、それがオカルト的な物と強く結びついてくる展開なのだ。
「遺愛」というタイトルにもあるように、愛が遺るゆえの執着や未練が、
いつしか憎悪と表裏一体になる心理過程が、実にリアルだった。

また、今作はオカルトホラーの恐怖も描きつつ、精神医学的な恐怖としても解釈できる内容だった。
主人公が陥る偏執病(パラノイア)や妄想症、あるいは妄想性パーソナリティ障害のグラデーションとして、怪異を捉えることができ、
社会派ドラマとしても非常に深く考察できる多層的なエンタメに仕上がっていた。

ただし!
(ΦωΦ)フフフ…

​この怪異や恐怖の根源が、悪魔憑きによるものか、はたまた、ただの認知症なのか、
結局最後までは見せようとしない。
主人公周りの怪異は介護疲れの妄想なのか、それとも本当に母が呪われているのか。
これらの謎が、物語のフックとして興味関心を沸き起こらせ、話の推進力を担っていると同時に、
最後まで観客への丸投げ状態が続くため、ストレスが浄化されず、物語の軸がブレている印象もあった。

現実と虚構の線引きの曖昧さは魅力でもある反面、どこが物語の着地点なのかが、見えにくくなっていた。
全てが妄想とも、全てが超常現象とも取れる描写が繰り返されるため、
ストーリーのメリハリや、スッキリとしたカタルシスは得られにくい。

「よく分からないものが、よく分からないまま終わる」という、不条理ホラーの美学はあるものの、
観客にとっては「置いてけぼり感」が強く残る。
この点については「祝山」と似たような消化不良感があった。
伏線の回収や世界のルール説明が極端に排されているので、
考察好きにはそれで良くとも、娯楽映画としてはやや不親切だ。

親子の愛を「呪い」や「未練の執着」としてのみ、終始一貫して描いているため、救いや救済の光が一切ない。
結論として残るのは「愛は呪いかもしれない」という、歯切れの悪いメッセージだけだ。
それがあまりに徹底されすぎていて、鑑賞中に精神的な息苦しさを強く感じてしまった。

映画の結末も含め、全体を包む後味が悪いトーンは、万人に勧められるものではない。
介護という現実に存在する重い題材に、オカルト・サイコホラーを掛け合わせた結果、
鑑賞後に深い鬱屈感だけが残るため、観る人を選ぶタイプのホラー作品だった。

良かった演者
山下リオ
藤井京子
小川あん
マキタスポーツ

『遺愛』に似ている作品

関連記事

【発表】初日満足度ランキング!1位は映画『急に具合が悪くなる』