われわれは信じていたの作品情報・感想・評価

「われわれは信じていた」に投稿された感想・評価

シチリア祭り番外編

ロッセリーニの『イタリア万歳 Viva l'Italia』(1961)を見て、これも見直さなければと、積読状態だったイタリア版DVDをセット。イタリア統一150周年記念作品。

物語は4話構成で、1828年のチレント蜂起の直後から始まり、1962年のアスプロモンテの変までを描く。

第一話は「選択 Le scelte 」

チレント蜂起の直後、ブロボン朝の警察に処刑された共和主義者たち(Filadelfi)の夢を追うことを決意した3人の若者がいた。農民の息子サルヴァトーレと、裕福なドメニコとアンジェロだ。ドメニコとアンジェロの2人は、ミラノの貴族でイタリア独立運動を支援していたクリスティーナ・ディ・ベルジョイオーソのサロンに通う。

このクリスティーナを演じるフランチェスカ・イナウディは『トリノ、24時からの恋人たち』(2004)でデビューしたときのことを覚えているけど、この映画でも最高の存在感を示してくれている。

クリスティーナの支援を得て、アンジェロとサルヴァトーレは青年イタリア党のマッツィーニのもとへ向かう。演じるのはトニー・セルヴィッロ。雰囲気はちょっと違うが、理想に燃え狂信的な革命家の依代となって説得力がある。

アンジェロとサルヴァトーレは、青年イタリア党を強烈に弾圧したカルロ・アルベルトの暗殺を計画するが未遂に終わり、クリスティーナからも苦い別れを告げられたアンジェロは、故郷に帰って平凡な暮らしを築き始めていたサルヴァトーレを、暗殺計画を裏切ったとして殺害してしまう。

第2話は「ドメニコ」

1849年の2月から6月までのあいだ成立したローマ共和国に参加するが、フランス軍に奪い返される。ドメニコ(ここからはルイージ・ロ・カッショが演じて秀逸)は、この共和国に参加し逮捕されて、モンテフスコのブルボン朝の刑務所に収監される。刑務所では皆が同じ場所に入れられ、政治犯たちは王政派と共和派とに対立し、無学の者らがそれを見守るという状況。リソルジメントの理念のぶつかり合いだ。ここでドメニコは、のちに統一イタリア議会の代議士となるシジスモンド・カストロメディアーノ(1811 – 1895)と知り合う。

第3話「アンジェロ」
アンジェロとフェリーチェ・オルシーニ(1819 - 1858)との出会い。ナポレオン3世暗殺未遂事件(1958)。そしてギロチン台へ。アンジェロの処刑を遠くに見守るドメニコの姿。

第4話「ネイションの夜明け」

それから数年後のイタリアは統一されていた。ドメニコは、ガリバルディの第2次遠征(1962)に参加しようとして、故郷のチレントに立ち寄る。自分が革命家であったことで、彼の家はすっかり落ちぶれてしまい、妹は家政婦として働きに出て、母親はもう10年ちかく口を聞いていないことを、神父になった弟から聞く。そんな家を後して、さらに南下してカラブリアに向かうドメニコは、若い義勇兵サヴェーリオと知り合うのだが、彼が同士のアンジェロに殺されたサルヴァトーレの息子であり、そのために故郷を捨てなければならなかった話を聞いて蒼白となる。

美しく感動的なのは、そんなふたりが、ローマの解放を目指すガリバルディの第二次遠征隊と合流するシーン。焚き火を囲み、余興で盛り上がると、丘の上にガリバルディが姿をみせる。立ち上がるガリバルディを讃える歌声。美しすぎて、おもわず涙してしまう。なぜなら、そこはアスプロモンテ。行軍を続ける赤シャツ隊を、統一イタリアの正規軍は待ち伏せを受け、浴びせられる銃弾のなかで散り散りとなる。

ドメニコとサヴェーリオたちは、なんとか逃げようとするのだが、まわりをピエモンテの正規軍に囲まれ、降伏するしかない。全員が身分を調べられ、脱走兵はただちに銃殺だという指令がくだる。なんとサヴォーリオは脱走兵だったのだ。ドメニコの叫び声の中、その場で銃殺刑が執行される。

このシーン、ヴィスコンティの『山猫』では銃声しか聞かれなかった。それをマリオ・マルトーネは、非情なリアリズムで描き出す。ガリバルディとともに、イタリアによるイタリアの独立を夢見た者たちの思いが肉体もろとも、同じイタリアの手によって打ち砕かれる瞬間だ。

ラストシーンは、トリノのイタリア議会。そこを訪ねたドメニコのモノローグは、イタリア統一の戦いのなかで取り残されたものたちを思い出しながら、こう締めくくる。「われら、なんと甘美な響き、われらは信じていた」....