何となく『es』ってスタンフォード監獄実験の同名映画から付けられてるのかと思っていたけれど、小林武史がフロイト系の本を読み漁ってて超自我超自我言ってるのね。 この映画を元にしたツアーブックがリチャード・トンプソンの引用から始まってたり、信藤三雄デザインだったり、Everything but the girlへの目配せだったりディレクションの方面が全然違う。そういう渋谷系とも形容される初期マネージングは「センスのいい女子高生」に向けて開かれていて、たとえばその辺の空気感は『稲中』の三橋美智也とミスチルを間違えてバカにされる前野たちの姿がよく伝えている(こういう固有名に基づく文化ヒエラルキーの生産ってすごく渋谷系"的"だ)。だから"あえて"小林よしのりを元ネタにして「みんな病んでる」「みんな演じてる」と歌うことを「演じて」見せたりする。ほかにも「虚像を背負ってツイスト&シャウト」(『Dance Dance Dance』)、『雨のち晴れ』のサンプリングによるなんちゃって偽サラリーマンなんかがそうだし、そもそも髭男がオマージュしまくってる『CROSS ROAD』ですら『ticket to ride』を口ずさみながら消費世界で真冬のひまわりに思いを馳せる曲だし、『innocent world』にしても乱反射する時空間の中で自己を喪失していく曲でしかない(現在の完全にスタジアムロックとして消費されながらコアファンに向けてメタ・メタメッセージの「しるし」と「sign」を送り続けている『HOME』以降の姿の方が、不健全を「演じることを演じている」ねじきれかかった展開で面白いと感じてしまうのだけれど)。 当時のそうした桜井の姿を小林よしのりは、小沢健二と並べ立てながら、小沢には「"あえて"ニヒリズムを突破してくるけなげさがある」と評し、桜井に「価値観が混沌としている時だからこそ、いろいろ惑わされながらも、やっぱり快楽に向かって自分を走らせるしかないんだという言い方に感動する」と直接言い放っている。 もちろんこの後に桜井はU2よりもOKコンピュータに傾倒した(してみせた)『深海』で「行き詰まり」を演出してみせ、病気を経たゼロ年代以降イラク戦争を通過して「日常の発見」へ注力していく(この流れはJ"ポップ"の名付け親であるFM802からブレイクした彼らが、J"リーグ"と接近し、よりJ"ブンガク"的なテーマと親和性を示していく過程にこそ注目すべきだと思う)。一方よしのりはというと、運動を経て『戦争論』へ至る中で正面から大文字の歴史(ぜったいに体験することの出来ない物語)と向き合っていく。