マティス

鑑定士と顔のない依頼人のマティスのネタバレレビュー・内容・結末

鑑定士と顔のない依頼人(2013年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

偽物だらけの世の中で、真実の愛を見つける物語

 
 この映画は、傲慢な老人が幸福の絶頂から奈落の底へ突き落される話なのでしょうか。私はちょっと違うと思うのです。紆余曲折はあったけど、最後はヴァージルが幸福を掴むハッピーエンドの物語だと思うのです。つまり、彼が待つあのレストランに、クレアが現れると思うのです。偽物だらけの世の中で、真実の愛を見つける物語ですね。

 傲慢な老人が打ちのめされる話だと思う方は、同じ思考のベクトルの中に、ヴァージルが絵を失った場面を、不本意な隷属を強いられてきた女達が呪縛を解き放たれたように感じるかも知れません。私は違うように思います。クレアを秘密の部屋に案内した場面で、ヴァージルは、肖像画の女性たちに愛されてきた、と言うのですが、それは彼の独りよがりな思い込みではないように思うのです。

 ただその絵の画家が誰かということでしか評価できない凡庸で馬鹿な金持ちよりも、その絵の真の価値を理解するものに肖像画の女性たちも所有されることを望んでいたのではないでしょうか。
 確かにヴァージルは、傲慢で奇矯な男ですが、真の美を知っている彼が、安易な妥協をせずに生涯独身を貫いてきたことに、ある種の清々しさを感じずにはいられません。

 さて、この映画を読み解くカギですが、トルナトーレ監督はこの作品に重要なメタファーを潜ませたと思います。オートマタと小人です。
 オートマタの謎とされたのは、誰かがこのからくり人形に質問をすると、必ず正解を答えたということです。この謎に対する取りあえずの結論は、オートマタの足元に小箱があって、その中に小人が潜んでいて質問に答えていたというものです。

 そこで、クレアの屋敷の前にあるパブにいる小人の女性です。彼女は異常な記憶力と計算力を持っていました。ヴァージルは、クレアが失踪した後その小人にクレアのことを聞いて、外出できないはずのクレアが何十何回外出したと正確に答えられてしまってショックを受けるのですが、実はこのエピソードも、小人が正しい答えを回答するというオートマタの伝説の補強になっていると思うのです。

 そして、エンディングです。クレアが消えてしまったヴァージルは、傷心のあまり憔悴しきって僅かな手がかりを頼りにプラハのあのお店に行きます。おそらくお店があるかどうかも半信半疑だったと思います。でもお店はありました。お店に入っていきます。お店の中は歯車や時計がそこかしこに回っていて、からくり屋敷みたいです。ちょうどお店の一番奥の真ん中の席が空いています。ヴァージルはとぼとぼ歩いて行って、座ります。ウェイターが注文を聞きに来ます。「お一人ですか?」少し考えて、ヴァージルは答えます。「いや、連れを待っている」

 実は、ヴァージルはクレアが来るなんて確信はなかったと思います。来て欲しいという願望だけがあったのでしょう。でもヴァージルが、「連れを待っている」と言ったことで、クレアが来ることが真実になったのです。

 そうです、オートマタと小人の組み合わせです。つまり、あの歯車がいっぱい回っているお店がオートマタを表していて、一番奥の席にちょこんと座ったヴァージルが、小箱に入った小人というわけです。そして小人であるヴァージルが話した言葉が真実であるという仕掛けに導かれて、クレアがその店に来るようになったというのが、私の謎解きです。

 「たとえ何が起きようとあなたを愛しているわ」というクレアの言葉。「いかなる贋作の中にも本物が潜む」というヴァージルの言葉。この言葉をどう受け止めるかで解釈が違ってくるのでしょうね。

 トルナトーレ監督の作品を通じて感じるのは、女性に対する尊敬の気持ちです。この作品も同じだと思うのです。
マティス

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