河豚川ポンズ

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明けの河豚川ポンズのネタバレレビュー・内容・結末

3.8

このレビューはネタバレを含みます

結局新しいものを何も生まなかった映画。
J・J・エイブラムスには同情するところはあるけど、それでも3部作通して話の筋がブレブレすぎだよ…


ファースト・オーダーによってレジスタンスが敗走してから1年後。
かつて銀河皇帝として君臨していたシスの暗黒卿、パルパティーン(イアン・マクダーミド)が生きていたことが判明する。
その真偽を確かめるべく、未開宙域にある惑星エクセゴルへと向かったカイロ・レン(アダム・ドライバー)はパルパティーンと対峙する。
パルパティーンは死んだと思われていた約30年間も暗躍し続けており、カイロ・レンに新たな帝国"ファイナル・オーダー"を任せることで同盟を組むことを提案する。
そしてその引き換えとして、カイロ・レンにレイ(デイジー・リドリー)を捕獲して連れてくることを要求するのだった。
一方、そのレイはレイア・オーガナ(キャリー・フィッシャー)の下でジェダイの修業を続けていた。
しかしフィン(ジョン・ボイエガ)とポー・ダメロン(オスカー・アイザック)からの情報でパルパティーンが生きていることを知ると、レイはジェダイの古い書物にエクセゴルへと導くウェイ・ファインダーというものがあることを思い出す。
その情報を掴むため、レイたちは惑星パサーナの協力者の元を訪れるのだった。


もう結論から言うと、自分はこの「スカイウォーカーの夜明け」が新三部作、ひいてはシリーズの中で一番ダメだと思う。
1本目の「フォースの覚醒」はある種の導入というか、スターウォーズシリーズ未見の人にとっての玄関口であり、既存のファンへ新時代のスターウォーズの表明でもあった。
実態は既存のファンの存在を意識しすぎた余りに、「新たなる希望」の焼き直しと言えるような保守的な作りになってしまった。
それでも、現代の最新CG技術と新たなキャラクターたちによって紡がれるであろうこれからの物語には、まだまだたくさんの期待が持てた。
そこからライアン・ジョンソン監督による「最後のジェダイ」が大きくシリーズに議論を呼び起こす。
ルークのヒロイックな性格はまるで別人のように変わってしまい、キャラクターたちの行動原理も意味不明で、特に新キャラのローズはあまり必要性が感じられなかった。
確かに脚本の粗が目立つことは否めないが、それでも批判されても世紀の駄作のように酷評されるほどではなかったと思う。
レイの出自が誰でもない者だとすることで、血筋と選ばれた者だけがヒーローになれた時代から、想いと行動次第で誰もがヒーローになれるというメッセージを強く打ち出した。
ディズニーの商業主義のために風呂敷を拡げやすくしたのかもしれないが、今までのシリーズから新たな別のストーリーを生み出していこうという強い意志は感じられた。
全ては最後がどう締めくくられるかでこのシリーズは決まると思っていた。

そうして迎えたこの「スカイウォーカーの夜明け」は、まさかの「最後のジェダイ」全否定。
スノークの後ろにはパルパティーンが暗躍し、ルークの性格はヒロイックでヨーダのようなポジションになり、ローズの登場時間は大幅に減り、そして何者でもなかったはずのレイがパルパティーンの孫だったということになった。
パルパティーンが暗躍は無くは無いかなとか思ってたけど、ここまで元気いっぱいに出てこられるとさすがにそれは違うだろと思う。
せめて怨霊というか、フォースゴーストとなってカイロ・レンを動かしてたとかじゃないのか。
あんなに元気なら、「ジェダイの帰還」のラストは一体何だったのか。
誰もが立ち上がって戦うことが出来るというメッセージは立ち消えて、結局いつものスカイウォーカーの血族に纏わる戦いに収まってしまった。
そしてラストはちゃっかり自分の出自をスカイウォーカーに上書き。
「最後のジェダイ」を踏襲するなら、ヒーローがパルパティーンの孫だって良いじゃない、それすらもスカイウォーカーに帰結させていくのか。
そんな状態で一般の民間船集結シーンを見せられたって、もう響くものも響かないわ。
極めつけはレイとカイロ・レンの取って付けたような最後のキス。
今までテレビ電話ならぬフォース念話でバチバチに口喧嘩しかしてなかったのに、いったいどこにそんなラブロマンスの要素があったんだ。
MCUでのケヴィン・ファイギのような、3部作を通して話や主題を一貫させる役割というのはこうも大事なのかと逆説的に証明されてしまった。
本当に、二次創作のリレー小説を読んでる気分だったよ。
「最後のジェダイ」が炎上しまくってファンに焼かれないようにJ・J・エイブラムスはかなり気を使って作ったのかもしれないが、そういう火を放つ連中に媚びたところで結局旧3部作以外は認める気なんてサラサラないのだから無意味でしかなかった。
「誰かに好まれる映画」ではなく「とにかく炎上しない映画」に落ち着いてしまった。
まあ炎上しない映画をオーダーされて、それを一定の完成度でちゃんと作って3部作に仕上げるあたり、やはりJ・J・エイブラムスはすごい監督だなとは思うけど。

ここまでめちゃくちゃになってくると、3部作通して素晴らしい演技をしてきたアダム・ドライバーが不憫に思えてくる。
というかカイロ・レン周りのストーリーはわりかしよく出来てるのに、それをうまく見せる術や時間がないのか、あまり良さが伝わらない。
もうカイロ・レン主人公で脚本をリライトして3部作ごと再構成してくれないかな。