あまのかぐや

アイヒマン・ショー/歴史を写した男たちのあまのかぐやのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

ナチスによるユダヤ人大量虐殺の戦犯の一人、ルドルフ・アイヒマンがイスラエルで裁かれることになった。歴史上もっとも重要な裁判となることは疑いなく、その裁判の様子を撮影し報道するテレビマンたちの努力の物語です。

テレビ番組なんてものは昔から(今はちょっとずれてきましたが)多くの人が気楽に手にすることができるエンターテインメントの中心媒体。もっと娯楽要素に寄った「お仕事マン」的な、軽い作品だと思い、週末の夜に気軽に手に取ってしまいました。

しかし予想に反して、かなりヘビーで、ドキュメンタリータッチな社会派かつ現代史ドラマ。

ナチス政権のしでかしたことって、そんなに昔のことではないのだな、というのがまず素直に感じたこと。

そしてそんなに昔ではありませんが、報道や情報の伝播は当時と比較して現代は夢のように進化しているのだな、と。

裁判の様子を世界にしらしめるといって衛星中継するわけでもなく、もちろん動画投稿するでもなく、大事にフィルムに焼いて世界各国主要都市に空輸する手配をするシーンを観て痛感しました。

現代では、世界の裏側の事件や出来事、悲劇も祝祭も映像となり、一気に世界中に配信される。さらには一般の人間が撮った動画もYouTubeやら動画投稿に乗せて世界中に一気に広めることが可能な世の中になりました。

しかし、過去には、そう遠くない過去には、全く世界が知らないまま、埋もれていった大きな悲劇や争い、きっとあったのだろうな、とも思いました。

だからこそナマの裁判、ナマの生還者の声を報道することの意味は大きい。

当時の、ガガーリンの宇宙探査やキューバ危機などの世界的ニュースとの「世間の関心」の比較も描かれていました。一般の視聴者が見たいものは、現在リアルタイムで起こっている事件や、輝かしい未来の希望あるニュースだけかもしれない。過去の遺物や、老いた被害者や戦犯の裁判を、長い時間裂いて見せることに何の意味がある?と言い出す関係者も、もちろんいる。

文系教科ってさ、この先、必要なの?なんて言ってる人。
歴史を学ぶこと、歴史を知ることの大切さ、そしてどのような形であれ未来に残すことの必要性を知るべきだな、と。

映画の中、裁判の中での、証人たちの証言は言葉だけでもかなり辛いものでした。さらには「辛い」なんて感情を越えた収容所の映像に至っては、正視できないようなものもありました。

それでも、これは世界に知らさなければならない。
ホロコーストやアウシュビッツがあったことを、世界が知らないままだなんてこと、あってはならない。
だから、生き残り、収容所から生還した人たちの血を吐くような告発の声を届けなければならない、
さもないと、世界はこの先も何も知らないまま、またこのような過ちをこのような悲劇を繰り返してしまうかもしれない、と。

あえて作り物ではない映像を、この映画に入れたことで、「残したい」「伝えたい」と切に願った彼ら真摯な過去のテレビマンたちの思いが、却って強烈につたわってくるように思えました。

彼らの仕事は、確固たる形が残る、当時としても偉業を成し遂げたました。けど、彼らは自分たちがそのとき思った以上に70年後の未来の精神に大きな警句を鳴らしていることを知っているだろうか。

最後まで表情を変えないアイヒマンに絶望を感じたけど、脅されたり何度も屈しそうになったけど、裁判が報道されたことで、それまで寡黙で不機嫌だった宿の女将さんが初めて監督に心を開いたシーンで 、そう思いました。彼女もまた辛い過去を抱えて口を閉ざした時代の生き証人だったの…。かれらの仕事が、歴史の傷をいってに負ったまま生きる当時のユダヤ人たちに大きな光を与えたのだと、監督自身もリアルタイムに知ることができて良かった。
あまのかぐや

あまのかぐや