リトウィク・ガタクは1925年のダッカに産まれる。父チャンドラは地方行政長官であり、詩人・劇作家でもあった。リトウィクと双子の妹プラテーティは9人いた兄弟の末っ子だった。幼い頃ベンガル飢饉によって東ベンガルからの何万人もの難民と共にカルカッタに移り住む。また1947年には印パ分離独立を経験しており、これらの経験が後の作品に影響を与えると言われている。1948年に初めての劇作『Kalo sayar (The Dark Lake)』を執筆し、51年にはインド人民演劇協会(IPTA)に参加する。ブレヒトやゴーゴリをベンガル語に訳したり舞台に立ったり演出したりしていたらしい。映画には50年「Chhinnamul (The Uprooted)」に俳優兼監督助手として参加しているが、初監督作は52年の「Nagorik (The Citizen)」まで待つことになる。商業映画デビューは58年の監督二作目「Ajantrik (The Unmechanical)」であり、本作品はキャリアで最も有名な監督四作目である。後の「Komal Gandhar (A Soft Note on a Sharp Scale)」(1961)と「黄金の河」(1962)と併せて"印パ分離独立"三部作と呼ばれているらしい。