大地のうたの作品情報・感想・評価

「大地のうた」に投稿された感想・評価

大地のうた 1955年 インド
監督:サタジット・レイ
原作:ビフティブシャーン・バナールジ
出演:サブール・バナールジ、ウマ・ダス・グプタ ほか
音楽:ラヴィ・シャンカール

地元の図書館の上映会にて鑑賞。
これは、主人公の少年オプーが本格的に主人公として動き出すのは本作以降の続編ではないだろうか。

私が女で、ちょうどドゥルーガとオプーくらい年の離れた娘と息子がいるせいなのか
これは、寒村に嫁いできた女達の現実を描いているように見えた。

ドゥルーガの友達もまた十代の幼さで嫁いでいく。

逆に、嫁がずに家の居候として孤独に死んでいく老伯母の姿。

娘のドゥルーガは、果樹園から果物を盗んだり、友達の首飾りを盗んだりしている。

しかし、盗んだ果物は老いた伯母に差し出し、盗んだ首飾りは隠したまま身につけたり売ったりはしない。

オプーとも仲が良いが、幼いオプーをかばう母から理不尽に叱られることや、自由が効かない貧困な状況に、一番抵抗しているのがドゥルーガなのだ。

ドゥルーガの母はいつもヒステリックに怒っている。

言うことを聞かず、盗癖の止まらないドゥルーガの髪をつかみ引きずり回しさえする。

しかし、彼女の盗癖の元が自分の家の貧しさであることも重々承知していて
夫の不甲斐なさを嘆きはしても、ドゥルーガをよその母親の前では決して責めたりしないし
自分も人様に施しを求めるようなことはしない。

しかし、母のその忍耐強さを知っているからこそ
ドゥルーガも母に媚びず、誰にも頼らずに生きる道を探しているようにも見える。

オプーを連れて蒸気機関車を見に行くのも「ここではないどこかへ」行きたいという気持ちからの行動なのだろうか。


「ドゥルーガ」という名前、ヒンズーの破壊の神シヴァ神の妻パールヴァティの別名でもある。

パールヴァティは色々な名前を持っていて
殺戮と恐怖の女神「カーリー」もパールヴァティの別名。

「ドゥルーガ」という名前の時には、「寄せ付けぬ者」という称号が付される。

村のお祭りの時に招待された劇団が演じていたのも、シヴァ神とその妻女神サティーとその父親との確執の物語。
女神サティーはシヴァ神の前妻だが
お芝居のシーンは、そのサティーが夫と父親の板挟みを嘆き
焼身自殺をして転生しパールヴァティとなって再び愛するシヴァ神と結ばれる神話の一場面。

あの芝居のシーンで、すでにドゥルーガの運命を表現していたのだろうか。

インドの風習では、この神話が元になって、夫が死んだら妻も一緒に焼身自殺をすべきだというのが残っていたのだという。
現代では当然禁止されているが、この作品の時代背景は1920年頃。
もしかしたらそんな風習も田舎ではまだ根強かったかもしれない。

しかし、最近でも妻の持参金が足りないといって姑が嫁を焼き殺す事件なども起こっている。

この風習のことを「サティー」と呼ぶのだそう。

劇中劇もちょうどその「サティー」が行われる直前のシーンを演じていた。

果たして、ドゥルーガは、あの貧しい家庭から嫁いだとしても、持参金を持っていけたのだろうか?

ドゥルーガの母でさえ恐らくは持参金代わりに持ってきたであろう上等の銀食器を生活のために売りに出さなければならない生活。

美しいベンガル地域の自然や厳しい生活の情景より何より
そんな「女たちの生き方」が「当たり前」ということに
ずっと抵抗し続けたドゥルーガとその母の物語だったように思う。


廃墟になった家に音もなく棲み着く大蛇。

蛇もインドではNaga(ナーガ)という神の化身であり
破壊の神シヴァと共に描かれることが多い。

また蛇は何度も脱皮して成長することから「生まれ変わり」「生命力」の象徴でもあるという。

あの蛇はドゥルーガの生まれ変わりなのだろうか。




・追記
詳しい人に聞きたい事があります。

夕立が来てその中でドゥルーガが雨を浴びるシーンの前に、ドゥルガが初めてビンディ (眉間の赤い点)を施す場面があります。
あのビンディ 、ある一定の年齢になったら女性(宗派によっては男性も)がやるのだというのは知ってますが、敢えてあの夕立の前にビンディするシーンを入れた意図は何だったのだろう?
ドゥルーガの父はプージャ(祈祷)の資格も持つ人という設定だからそういう儀式があれば厳格そうだけど、その辺は父が出稼ぎ中で、思春期のドゥルーガゆえ、って所で、親に内緒でビンディをやって、雨で流したのかも、だけど。

例えば、ドゥルーガが初潮を迎え、子供を産める身体=大人の女になった、という表現(経血を洗い流すための夕立の中のずぶ濡れ)だったのか?
とか考えてしまうのですが…

おそらくビンディのタイミングって、インドのヒンズーの風習としてはありふれた行為なのだと思うのですが
調べても見つからないのです…

それともドゥルーガが正しきヒンズーの意識に目覚め、今までのグレてた人生を雨で流し、まじめに生きよう!という、彼女の決意の表れ(ぁぁそれなのに…)という演出だったのでしょうか?


誰かご存知の方がいらっしゃるでしょうか…
不勉強で申し訳ないです。
ワゴンセールから発掘
今でこそ簡単に観ることができるインド映画・・・その多くは、娯楽としての華やかさが感じれます
しかし本作には、その対極?にある、もう一つのインドを見た気がしました

幼い姉弟を通して描かれる村の日常
でも、この二人以外の興味深い”取り巻き“にもひかれるものがあります
居所定まらない父親
字幕では”おばさん“と呼ばれる居候の老女
いつもピリピリ、気の張った母親
そしてたくましく生きる子供たち
・・・でも真の主人公は、やはり”貧しさ“なんでしょうかねぇ

”大地“・・・それは人々の営みであり、自然であり、社会であり、家族なのですね






ふと感じました
この映画の主人公とは?
McQ

McQの感想・評価

4.0
ジャン・ルノワール監督の「河」では助監督を務めていたインドの巨匠サタジット・レイ監督デビュー作品。黒澤明をも虜にしたという〝オプー三部作〟の第一部「大地のうた」である。(主人公の少年の名前がオプー)

とあるインドの寒村にその家族が暮らしていた。盗み癖のある姉ドゥルガと、その〝戦利品〟に喜ぶ叔母。その姉と叔母に厳しく当たりつける母。家に戻らない父。雨に凍える姉。行き場を失い森を彷徨う叔母、、幼き少年オプーの目がそれらを捉えていたが、オプーにとっては遊び相手である姉ドゥルガさえいれば何も悩む事は無かったのだろう。そんな日常の中で二人が草原の先に見た汽車の光景は何より輝いて見えたに違いない。

蜘蛛の巣にまみれた〝アレ〟をオプーが池に投げ捨てるシーンがベストショット!、、そして全てを物語るかのように登場するのが◯◯である、、

娯楽など二の次で生きる(食べていく)事に精一杯。踊るインド映画などここにはない!
サタジットレイ監督作品もインドのクラシック映画も恥ずかしながら何気に初。オプー3部作の1作目で、インドの貧しい家庭の悲劇的日常を描いた55年のモノクロベンガル映画。
犬や猫や牛、そして人間の生と死を捉える。撮影は静止画のカメラマンらしく、動く写真かのように美しいショットの数々。
出稼ぎに行ってるあいだに家族が死ぬというシチュエーションは実際にかなり多い。茶碗から蜘蛛と共に出てくる手飾りや、家に帰る蛇など、ドゥルガの悪行と共に新たなる生命をも感じさせる素晴らしいラストカット。
なによりもオプーが愛らしい。
製作年からもわかるように映像は古いものだが表現方法は巧みでその場の美しさがよく伝わってくる。サタジットレイはあらゆる場面で天才だったがこの作品では先述した点が際立っている。
TICTACz

TICTACzの感想・評価

5.0

このレビューはネタバレを含みます

追悼というのはいつの時代も変わらぬものですな。兄弟愛がかえって辛い。
pier

pierの感想・評価

4.2
オプー3部作の1本目。
意外と日本的な感覚に近い。
人間の生死はゆったりと流れる大河の一部のように、始まりも終わりもない。
感情を露にする場面を、敢えてシタールを使って表現するところが印象的。
tonemuff

tonemuffの感想・評価

4.0
ラヴィシャンカールのサントラにベンガルの田園風景、貧しくも逞しいインドの人々の暮らし。
2時間ずっと鳥肌たちまくりでした。
ぽのけ

ぽのけの感想・評価

3.6
叔母さん以外は素人役者なんてびっくり 知れば知るほど深い映画 モノクロなのに鮮やか
xxxxxxx

xxxxxxxの感想・評価

4.0

このレビューはネタバレを含みます

過去鑑賞
記憶あってるかな?雨が降り出すシーンがとても印象に残ってる気がします。
手元にある残りの二作品も続き観なければ。
>|