2016年6月19日、沖縄県那覇市。米軍属女性暴行殺人事件の被害者を追悼する県民大会で、稲嶺進名護市長は言った。「我々は、また命を救う“風かたか”になれなかった」。「風(かじ)かたか」とは…
>>続きを読む1969年。理想に燃えながら新聞社で週刊誌編集記者として働く沢田(妻夫木聡)。彼は激動する“今”と葛藤しながら、日々活動家たちを追いかけていた。 それから2年、取材を続ける沢田は、先輩記者…
>>続きを読む男は、ガジュマルをこよなく愛した。「どんな嵐にも倒れない。沖縄の生き方そのもの」だと。那覇市を、かつてたった11ヶ月だけ率いた、その男が好んで使った言葉がある。それは「不屈」。 1945…
>>続きを読む全ては革命のため、だった ― 1972年に起こった「川口大三郎事件」を契機にエスカレートしていった内ゲバの真相を、当事者たちの証言パートと鴻上尚史演出の劇パートを交えて立体的に描く、悔恨と…
>>続きを読む「しっかり勉強するんだよ」と母親に背中を押され、6歳にしてチベットから亡命し、チベット亡命政府が運営するチベット子供村で暮らす少年・オロ。「なぜ母は僕を旅立たせたのだろうか」と考え、自力で…
>>続きを読む“空の表玄関”を称する成田国際空港の周囲では、機動隊による厳重な検問が現在もつづけられている。大型機が離発着を繰り返すA滑走路南端では、闘争遺跡“岩山要塞”が不気味な姿をさらしている。二本…
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