吉積めぐみ、21歳。1969年春、新宿のフーテン仲間のオバケに誘われて、“若松プロダクション”の扉をたたいた。当時、若者を熱狂させる映画を作りだしていた“若松プロダクション”。そこはピンク…
>>続きを読む三島由紀夫は文筆業の傍ら、民族派の若者たちを組織化し、有事の際に自衛隊と共に決起すべく訓練に励んでいた。しかし、警察権力の前に自衛隊は出動の機会すら得られない日々が続く。そして、いら立ちを…
>>続きを読む全ては革命のため、だった ― 1972年に起こった「川口大三郎事件」を契機にエスカレートしていった内ゲバの真相を、当事者たちの証言パートと鴻上尚史演出の劇パートを交えて立体的に描く、悔恨と…
>>続きを読む1967年10月8日。佐藤栄作内閣総理大臣(当時)の南ベトナム訪問阻止を図った「三派全学連」を主体とする第一次羽田闘争は、その後過激化する学生運動の端緒となる事件だった。はじめてヘルメット…
>>続きを読む慶応3年。薩長連合を成立させた土佐の坂本竜馬は、その革新的な思想のために、幕府派と倒幕派の双方から命を狙われていた。竜馬は身の保全を図るため、京都・河原町の隠れ家に身を隠す。だが、そこにも…
>>続きを読む1968年に大学の不正運営などに反対した学生が団結して始まった全国的な学生運動、特に最も武闘派 と言われた東大全共闘に、言葉とペンを武器にする文学者・三島由紀夫は単身で乗り込んだ―。伝説と…
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