現地長崎県でもあまり知られていない「石木ダム」計画。現地、川原(こうばる)の人々はこの大きな力にあらがって約半世紀もの間、たたかい続けて来た。かつて同じ地域に暮らしていた人々の一部は説得され、補償金をもらって地域から去って行った。今、残っているのは 13世帯 54 人あまり。虚空蔵(こくうぞう)岳を望む川原は今では非常に貴重になった美しい里山。四季折々に変化する自然の中でダム反対の活動は川原の人々の生活の中に溶け込んでしまった。夜中に異音がすれば飛び起きて確認に行き、暑かろうが寒かろうが毎朝工事予定地の前でバリケードを作り座り込む。それもこれもただただ普通に暮らしたいという思いだけ。ダムは利水・治水が目的だというがその根拠はすでに専門家によって大きなクエスチョンマークを突きつけられている。この映画は単にダムに反対する映画ではなく、私たちに普通に暮らすとは、ダム計画の当事者とは誰だろうか、というような素朴な疑問を優しく差し出してくる、一緒に考えましょう、と。
2016年6月19日、沖縄県那覇市。米軍属女性暴行殺人事件の被害者を追悼する県民大会で、稲嶺進名護市長は言った。「我々は、また命を救う“風かたか”になれなかった」。「風(かじ)かたか」とは…
>>続きを読む僕が生まれる前、1984年に香港が1997年に中国に返還される事が決まった。2014年、香港にはいまだに民主主義はない。自分たちで香港の代表を選ぶ「真の普通選挙」を求めて若者が街を占拠した…
>>続きを読むヨルダン川⻄岸地区のマサーフェル・ヤッタで⽣まれ育ったパレスチナ⼈の⻘年バーセルは、イスラエル軍の占領が進み、村⼈たちの家々が壊されていく故郷の様⼦を幼い頃からカメラに記録し、世界に発信し…
>>続きを読む牙をむき出した権力に、自由は傷だらけになって立ち向かう。 2019年、香港で民主化を求める大規模デモが起きた。10代の少年、若者たち、飛び交う催涙弾、ゴム弾、火炎瓶……。この最前線を中心に…
>>続きを読む戦後75年目の残留。生き別れた者が伝える、日本という国の今。「私を日本人と認めてほしい!」-フィリピン残留日本人 。「私は日本人。でも言葉がわからないの!」-中国残留孤児。太平洋戦争以前、…
>>続きを読む男は、ガジュマルをこよなく愛した。「どんな嵐にも倒れない。沖縄の生き方そのもの」だと。那覇市を、かつてたった11ヶ月だけ率いた、その男が好んで使った言葉がある。それは「不屈」。 1945…
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>>続きを読む2015年4月、約9000人の犠牲者を出したネパール大地震。写真家・石川梵は震災直後、ジャーナリストとして初めて現地へ入り、ヒマラヤ奥地の震源地・ラプラック村にたどり着いた。壊滅した村で石…
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