岩波ホールの「ジョージア映画祭」にて鑑賞。チラシのあらすじは次のよう。
<1992年、コーカサスの峻険な山々に囲まれた村で、デデの挙式が行われようとしていた。しかし彼女は夫となる男の親友と愛しあっていた。村の定めた結婚に抗い、彼女は愛を貫くことを決心する。雄大な自然のなか、因習と闘う女性を描く感動の物語。>
でも主人公の名前はディナで、この人がデデ? 愛称かな?と思いながら観ていて、終映後パンフ代わりに売っていた「資料」を買って読むと<デデはスヴァン語で母を意味する>とあって、ちょっと困惑。だって話の半分以上は内容のほとんどはスヴァネティ地方の伝統と因習による女性の悲劇だったから。
監督の祖母の実人生に基づいていて、しかも映画内のドラマは創作ではなく事例によるらしい。女性がモノとして扱われ、ムラの中で重きを置かれるのは人間の尊厳ではなく、掟であり、メンツ。だから掟を破り、メンツをつぶす者には極めて不寛容。
本作にも出てくる誘拐婚は、同じくジョージア映画の『花咲くころ』で観たし、児童婚はパキスタン映画の『娘よ』やイラン映画の『ソニータ』でも観た。この映画が示しているようなことは、今なお、多くの地域で続いているのだろうと思う。
愛なしで作られた夫婦の支え、拠り所が「デデの愛」ということなのかもしれないけれど、愛のない夫婦の子どもって…と考えると「デデの愛」でめでたし、という話では決してないのだと思う。
●物語(50%×4.0):2.00
・原題は「デデ」と母そのもので、母の強さに男が甘える社会構造みたいなイメージが思い浮かぶ。
●演技、演出(30%×3.5):1.05
・普通に良かった気が…。
●画、音、音楽(20%×4.5):0.90
・ジョージア映画は大自然の美しさがウリかも。