機動戦士ガンダムの1の情報・感想・評価

エピソード01
ガンダム大地に立つ!!
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あらすじ
宇宙世紀0079——スペースコロニー“サイド3”はジオン公国を名乗り、地球連邦に独立戦争を挑んできた。人類の半数以上を死に至らしめた戦争は、今や膠着状態に陥っていた。そんな状況下で連邦側のコロニー“サイド7”に怪しい動きを察知したジオン公国軍のシャア・アズナブル少佐は、モビルスーツ“ザク”3機を偵察に差しむける。連邦軍はそこで“ガンダム”を中心とする新鋭モビルスーツの開発と運用テストを行っていたのだ。興奮した新兵のジーンは軍功を焦って暴走し、独断で砲撃を開始した。サイド7の少年アムロ・レイは、他の民間人ともども戦火に巻き込まれてしまうが、そこで父の開発するガンダムのマニュアルを偶然拾う。隣人のフラウ・ボゥの家族たちが一瞬で死に至ったのを見たアムロは、ガンダムの操縦席に乗りこんで起動する!ガンダムでザクに立ち向かったアムロは、まったくの素人ながらビーム・サーベルで2機のザクを破壊することに成功。だが、シャアはムサイ艦からミサイルを発射し、サイド7を破壊し続けるのであった。
コメント52件
ゆけもと

ゆけもと

アムロを起こす時のフラウボゥの声の掛け方が妙にリアルで良い。
akai

akai

このコメントはネタバレを含みます

#私もよくよく運のない男だな #作戦が終わっての帰り道で あんな獲物に出会うなどとは #向こうの運が良かったのかな #シャア少佐だって 戦場の戦いで勝って出世したんだ #こ これが ジオンの ザクか #しっかりしろ 君は強い女の子じゃないか #こいつ 動くぞ #なんて攻撃の仕方だ 誰がコクピットにいる #認めたくないものだな #自分自身の 若さ故の過ちというものを
夏藤涼太

夏藤涼太

ガンダムのアニメとしての革命や凄さについては、主にロボットや戦争の描き方から既に論じられ尽くしていると思うのだが(その点については後で述べる)… 個人的に、改めて凄いと思うのはその「キャラ造形」である。 少年少女向けの漫画・アニメのキャラなんて、わかりやすく「こういうキャラ」と一言で性格を言い表せられるようにキャラ設定するものだが(それどころか、今や実写のドラマでも漫画化が進んで"人間"から"キャラ"に成り果ててしまったが)…… ガンダムのキャラって、ちゃんと全員がキャラ立ちしてるのに、じゃあどういうキャラかと問われると、説明が非常に難しいのである。アムロの性格を一言で伝えることは自分にはできない。強いて言うならカイだけは「皮肉屋」と言えるかもしれないが…主要キャラのほとんどが、性格を言い表せられない。 (アムロでよく言われるのは「内向的なオタク」だけど、正直アムロは内向的とは思えない。シンジくらいなら内向的だと言えるけど…) でも、実際の人間は一言で言えるような単純な性格ではなく、複雑なものである。富野由悠季はただ、それをアニメのキャラクターに反映しただけのことだろう。 つまりガンダムのキャラ造形の特徴は〝リアリズムの徹底〟にある。 これは凄いことであり、しかも、大人向けの実写映画ではなく、少年少女に向けたTVアニメでそれをやったというのが、まぁ富野由悠季すげーっとなる。 〝子供騙し〟ではなく、子供に本気で現実(リアリズム)を見せていく。それは人物描写や戦争描写だけでなく、SFやミリタリーの領域からロボットにリアリズムを導入したことももちろん同種の例である。 「子供向けと言われていたアニメ」に「子供騙しではない(結果的に大人の鑑賞に堪えうる)リアリズムを導入」する…それが富野由悠季の作劇だろう。 それはガンダム以前の、『海のトリトン』での勧善懲悪の破壊、『ザンボット3』での人間爆弾、そしてガンダム後の『イデオン』での子供の首などもまた、同じ方向性――リアリズムの導入――である。 戦争をしていたらやがて非人道的な兵器や戦略を用いるようになるのは必然だし、当然、本当の戦争では大人だけでなく子供も無残に死ぬし、そして本当の戦争には、善も悪もないのである。 それは皆わかっていた。でも、子供向けの作品――アニメではやらなかった。 「アニメは子供のモノ」として、アニメでは「子供騙し」を徹底するのがそれまでのアニメ業界だったからだ。 しかし富野由悠季はその常識を破壊した。それはやはり富野由悠季が、元々アニメ好きどころかアニメ作家を目指していたのですらなく、本来は(実写)映画監督になりたかったというのが、影響しているのだろう。 で、何の映画の影響なのかと考えると、やはり一つ思いつくのはフランス映画――特にヌーヴェルヴァーグの――だろう。 富野由悠季自身は「ゴダールは嫌い(ゴダールはあまり見ていない)」とか「ヌーヴェルヴァーグの全体の動き自体があんまり好きじゃない」と発言しており、アニメという大衆娯楽の面においては「アメリカのハリウッド映画のような高い娯楽(エンタメ)性」を目指しているという。 確かに大衆娯楽のハリウッド映画と、芸術性の高いヌーヴェルヴァーグ(フランス映画)は真逆のようだが… しかし富野由悠季が本当にハリウッド映画を目指していたのなら、(たとえロボット周りのリアリズムやミリタリズムはそのままだったとしても)ガンダムは勧善懲悪のストーリーとなり、アムロも典型的な心身共にマッチョなヒーローになったはずである。 しかし、実際には違う。ガンダムのテーマで描かれたのは、ヌーヴェルヴァーグ、あるいはその支流とも言うべきアメリカンニューシネマ的な、非勧善懲悪的なリアリズムだったし、主人公も今までのアニメの主人公像を破壊するような〝叱られて拗ねては任務を放り出し、逃げ出してしまうような、内向性やナイーブさのある根暗な少年〟だった。 それは、それまでの「ヒューマニズム」に溢れる「大人」を描くフランス映画を破壊するような、「犯罪」や「青春」や「性愛」を描くヌーヴェルヴァーグ的な主人公を思わせる (ヌーヴェルヴァーグというと撮影技法の核心ばかり触れられがちだが、実際にはストーリーやテーマ、リアリズムの面でも多分に革命を持ち込んでいる。それはアメリカの「フィルムノワール」的なものでもある) ガンダムは子供向けのアニメでありながら、戦争描写のミリタリズのハードさだけでなく、アダルトな性愛描写も豊富だ。それは決して〝少年漫画的なサービスシーン〟でも手塚治虫的な〝フェチシズム〟でもなく(いやその両方とも別個で描かれてはいるのだが)、もっとリアルな、人間が普遍的に持つエロチシズムとか「情事」であるし、庵野秀明が 「どうも僕にはアニメに出てくる人間が、「セル」にしか見えないんですよ、すごくうすっぺらい。(略)「セル」って凄く稚拙な表現手段に見えるんです。その薄っぺらい表現で、僕は初めて富野さんのアニメを見てセックスを連想したんです。(略)それは高畑さんのアニメでも、宮崎さんのアニメでも、感じないことなんですよ。セックスを連想させてくれるのは、富野さんのアニメだけなんですよ」(『逆襲のシャア友の会』) と熱弁を振るうほどの性愛描写は、やはりフランス映画的だろうし、何より、ララァやフォウやクェスやギギなどのガンダムヒロインは、典型的な「ファムファタール」である。 だいたいゴダールやヌーヴェルヴァーグにしても、「『勝手にしやがれ』は十年に一回ぐらいは必ず見るくらい好き」と言って「心に残る珠玉の映画10本」に挙げているし、ゴダール映画に出てくるジーン・セバーグやジャンヌ・モロー、ジャン=ポール・ベルモンドが好きだと公言しているし、アラン・レネを(自身の年齢と比較して)目標と言っているし、ルイ・マルについても絶賛しているし、そもそも映画監督を目指していた時代の大学の卒論はミケランジェロ・アントニオーニについてであり、この辺の映画から影響を受けていないわけがないのだ。 また「ヌーヴェルヴァーグが好きではない理由」について富野由悠季は、新潟国際アニメーション映画祭でのインタビューで 「監督、つまり作家のエゴが見える部分があって、それがさっき言ったエンターテインメント論で考えたときに、個人主義になりすぎている」 からと答えており、エンタメ(大衆娯楽)性と両立させた上でのリアリズムや非勧善懲悪性などは否定していない。 もっとも、『逆襲のシャア』なんかは完全に富野由悠季のエゴ丸出しの個人主義的な作品なのだが… (一方その「個人主義的」なところに庵野秀明は感銘を受けて、逆シャア以上に個人主義的なエヴァを作ってメガヒットを飛ばしたのだが) ヌーヴェルヴァーグやアメリカンニューシネマとは、つまり「新しい波(ニューウェーブ)」のことで、富野由悠季はまさに、アニメ界の「新しい波(ニューウェーブ)」であったことは間違いない。 それは「子供向けとして「子供騙し」を徹底していたアニメ」に「子供騙しではない(結果的に大人の鑑賞に堪えうる)リアリズムを導入した」ことだ。 前述した、初めての実質的監督作『海のトリトン』での(原作を無視した)勧善懲悪の破壊、また実質的に初めてのオリジナル監督作『ザンボット3』での人間爆弾など…… 「子供向けとして「子供騙し」を徹底していたアニメ」に「子供騙しではない(結果的に大人の鑑賞に堪えうる)リアリズムを導入する」という作風はガンダムに限らず、富野由悠季の作風そのものと言ってよい。 なお、いわゆる「第1次アニメブーム」はガンダム以前の『宇宙戦艦ヤマト』が巻き起こしたもので、ここで初めて「(当時のアニメの対象である)子供以外の人々がアニメに熱中し、社会現象的なファン活動が行われた」と今でこそ思われているが、これは誤りで、実はこの現象の第1人者は、富野由悠季によるアニメ版『海のトリトン』である。 『海のトリトン』は当時のテレビアニメのメインターゲットだった児童層に留まらず、ティーンの、特に女性層に支持を広げていき、半年間の放映後にはファンクラブが全国的に、それも自然発生的に立ち上がるという前代未聞の現象を引き起こしている。これに対し評論家のササキバラ・ゴウは、「第1次アニメブーム」と比較して「アニメの思春期」と呼び、後のアニメブームのさきがけだったと論じている。 このように児童向けアニメがティーンや女性までをも熱中させた理由は、言うまでもなく、富野由悠季によるリアリズムの導入という「本気の作劇」に他ならない。 しかし、なおそれでも『機動戦士ガンダム』がそれまでの富野由悠季作品と比較してエポックだったのは、それまでの作品(『海のトリトン』や『ザンボット3』等)が 「〝アニメ(=子供向けのある種低俗な巨大ロボットアニメ)〟かと思ったら、〝リアル(=現実の世界と同じ世界)だった」 というスタイルであったのに対し、ガンダムでは最初から 「これはアニメ(フィクション)ではなくリアル(現実)である」 というスタイルで始まっていることだ。 ガンダムは他のロボットアニメ・子供向けアニメと違って、第1話…いや、冒頭1分からして「リアル」だった。 富野由悠季作品によく言われることとして、「話が難しい」「説明がなさすぎてわかりにくい」「会話がかみ合っていない」などの批判があるが、これも、物語的に整理されていないところを意図的に残すことによってリアリティを獲得するという演出手法に過ぎない。 現実の世界の――戦争中に政治家やパイロットの――会話を切り取った際、当然、それを観ている観客向けの説明なんてものはなされない。観客向けの説明台詞がある時点で、そのアニメの世界は「フィクション」だと観客は認識せざるを得ない。 しかし逆に、それらの説明台詞やあるいは情報の整理がなされていない映像を見せられると、まるで現実の世界のどこかを切り取った(もちろんナレーションも入れていない未編集の)ドキュメンタリー映像を見ているような錯覚に陥るのだ。 それこそ、主人公のアムロの英雄譚でさえも、「子を産み、育て、そして死んでいった」と語られるように、劇中で描かれるのは宇宙世紀という歴史の一場面に過ぎない、というスタンスで語られるのが、ガンダムの世界であった。 こうした語り口の演出に加え、前述したリアルな人間としてのキャラクターを描写するなどのリアリズムの導入によって、視聴者にとってのガンダムの世界は、〝ただのアニメ上のフィクション〟ではなく、〝どこか(視聴者の心の中)にあるもう1つの(仮想)現実〟となったのだ。 (もっともこの演出をやり過ぎた結果、テレビ版『Gのレコンギスタ』では「富野にしても意味不明すぎて難解」とファンからも叩かれてしまったのだが…。なおその説明不足は映画リメイク版では修正されている) そしてこのガンダムにおける「リアル(現実)」を象徴しているのはやはり、「宇宙世紀」という架空の歴史だろう。 前述の通り、ガンダムのアニメでは、用語や出来事、登場人物の経歴などは丁寧に、詳細に説明されることはなく、宇宙世紀だって、具体的な年表なんてものは存在していなかった。 しかしだからこそ、ファンは、さりげない会話や演出から情報を読み取り、類推し、自分なりにガンダムの世界――宇宙世紀の歴史――を埋めていった。 そしてこの〝(架空の)歴史へのコミット〟は(おそらくは富野由悠季も意図してせずに)、架空だったはずの宇宙世紀を〝自分が参画している本当の歴史〟だと錯覚させる効果をもたらした。 (それはもちろんその世代にとって、戦争や学生運動のような「大きな物語」が衰退しており、自身の近代男子的な成熟や自己実現のために「大きな物語の代替物=自分が参画できる歴史」を求めていたために、より加速したと言える) だからこそ、ガンダムで青春を過ごした世代――団塊ジュニア世代にとっては、「宇宙世紀」は〝本当の歴史〟だった。 団塊世代にとって「戦争」といえばもちろん「(第二次世界大戦ではなく)太平洋戦争」だったが、(一部の)団塊ジュニア世代にとって「戦争」といえば、「一年戦争」だったのし、 団塊世代の男達が「幕末に生まれていれば坂本龍馬のように生きたかった」と冗談を口にするのに対し、団塊ジュニアの男達は「宇宙世紀に生まれていればシャアのように生きたかった」と冗談を口にしたのだ。 (ちなみにこうしてガンダムが巻き起こした「第2次アニメブーム」以前の「第1次アニメブーム」を起こした『宇宙戦艦ヤマト』では〝ロマンティシズム〟を描くことによって、敗戦の記憶によって損なわれた団塊世代男子の心を慰める構造になっており、富野由悠季的なリアリズムとは真逆のアプローチになっている) そして実際に、ガンダム世界の歴史――宇宙世紀は、現実の世界の歴史に接続された。 富野由悠季がガンダム世界――宇宙世紀内で描いた「ニュータイプ」の出現――人類の革新――は、そのまま、80年代日本の、「新人類」という、消費社会下に生まれた新しいメディアとサブカルチャーを目一杯楽しむことができる新しい感性をもった新世代の出現――人類の革新――と重ね合わされたのだ。 「新人類」という世代論の用語は、現在でこそ、経済学者・栗本慎一郎による造語だと一般的に認識されているが、実際に「新人類」を「新しいタイプの若者」の意味で最初に使ったのは、記録に残っている範囲ではパルコ出版の『アクロス(月刊ACROSS)』1983年6月号の特集記事「今、新人類(ニュータイプ)たちが時代を先導する」だ。 そしてジャーナリストの松谷創一郎が、この月刊アクロスの記事を企画・執筆した同誌元編集者に直接聞いたところ、「新人類」と名づけたのはその本人で、参考にしたのはSF作品や『機動戦士ガンダム』に出てくる「ニュータイプ」だったという。「新人類」に「ニュータイプ」とルビが打ってあったのはそのためだったのだ(Yahoo!ニュース「流行語が終焉を迎える瞬間──「触れるとキケン!」化した「こじらせ女子」」(2016/3/31)) 翌1984年、『アクロス』は浅田彰と戸川純を代表させて「新人類」を語り直すし、また『朝日ジャーナル』で筑紫哲也が10代から20代の若者との対談を行う企画「新人類の旗手たち」が連載されたことから、「新人類」という世代論は徐々に広まっていったのだが、当初、肯定的にも否定的にもは使われていたはずが、やがて、1980年代半ばに入社してきた当時の新入社員に対する「一風変わった若者」というネガティブな意味合いが捉えられるようになる。 さらに、1983年とは、中森明夫が『漫画ブリッコ』1983年6月号で、「いつまでも漫画やアニメを卒業しない人達」を「おたく」と命名したのと同時期でもある。 大塚英志が「新人類文化もオタク文化も同じようなものだった(が、『朝日ジャーナル』という権威あるメディアで「新人類」とタグ付けてもらったことで新人類だけが「文化人」になった)」(日経ビジネス「大塚英志氏が語るセゾングループと堤清二」2018.10.25)と言っているように、(若者になってもアニメや漫画に熱中している)オタクとは、「(団塊世代以前の)大人には理解できないおかしな新人類」だった。 事実、オタク評論家の宅八郎は、「新人類」的ないでたち――最先端ファッションに身を包む青年として『アクロス』に掲載されていた。 そしてガンダムにおけるニュータイプとは、「新しい(宇宙)時代に適応した、そしてこれまでの人類には不可能だった問題を解決する可能性(共感力)を持った新しい世代」のことだが、これが『アクロス』で「新人類」と重ね合わされて論じられたように、オタク(新人類)サイドも自分達を、「いい歳になってもアニメや漫画に熱中しているオタク」ではなく、「アニメや漫画の魅力を理解できる先進的な世代――ニュータイプ」なのだと自己認識したのだ。 これは、富野由悠季が1981年2月22日に新宿アルタ前で 「私達は、私たちの時代のアニメをはじめて手にする。『機動戦士ガンダム』は、受け手と送り手を超えて生み出されたニュータイプアニメである。(略)もし、私たちがこの問いを受け止めようとするなら、深い期待と決意をもって、自ら自己の精神世界(ニュータイプ)を求める他はないだろう。今、未来に向けて誓いあおう。私達は、アニメによって拓かれる私たちの時代と、アニメ新世紀の幕開けをここに宣言する!」 と宣言した「アニメ新世紀宣言」を考えれば、ある程度自覚的なものだったのだと考えられる。 当時の若者にとって宇宙世紀とは、新しい新人類・オタクの時代と同義であり、また、ニュータイプとは、その新しい時代に適応した自分達のことだったのだ。 なおこの〝リアリズム〟については富野由悠季自身何度も言及していて、たとえば朝日新聞デジタル&Mでの「「アムロ父子の確執は創作ではなかった」 40周年『ガンダム』富野由悠季監督が語る戦争のリアル」では 「戦いや戦争を語るのであれば、リアリズムでなければならないという強い思いもありました」 と語っている。このリアリズムが、アニメ界に「新しい波(ニューウェーブ)」を巻き起こした。 このようなサブカルチャーにおける「新しい波(ニューウェーブ)」は富野由悠季以外にも何度も起こっている。 まずは漫画に「映画的表現」と「本格的なストーリー」を持ち込んだ手塚治虫を皮切りに、(子供向け)漫画界に「青年向け漫画」を生んだ劇画(工房)、デフォルメ作画の漫画にリアリズム作画を持ち込んだ大友克洋、静止画である漫画でアニメーションのような「動き」を描いた鳥山明… アニメでは、リミテッドアニメを演出力で「ジャパニメーション」に昇華した出﨑統、誇張やファンタジーを描くものだったアニメに(富野由悠季とは別軸でありながらも彼のリアリズム・アニメーション志向に大きな影響を与えた、作画的な)リアリズムを持ち込んだ高畑勲、アニメに「実写映画や特撮ドラマ」の手法を持ち込んだ庵野秀明…そして、子供向けアニメに大人のリアリズムを導入した富野由悠季。 彼等は皆、多くのフォロワーを生み出し、今の漫画・アニメでは当たり前となった表現を生み出したのだから「新しい波(ニューウェーブ)」と言っていいだろう。 (その点では宮崎駿は独自性が高すぎてフォロワーが少ないので、ニューウェーブとは呼べないと思う) ただし前述したように、富野由悠季は明らかにフランス映画(あるいはヌーヴェルヴァーグ)の影響を受けながらも、その芸術至上主義・個人主義的な面は否定して、あくまでもその体裁としては、ハリウッド映画を1つの理想として、〝大衆娯楽〟としてのアニメーションを作っている。 それこそが〝モビルスーツ〟という発明だろう。 これも今までのロボットアニメにリアリズムを持ち込んだ結果の発明ではあるが、そもそも〝リアリズム〟を追求するなら巨大ロボットなんて出さなければいいわけで… 前提として、「大衆娯楽としての巨大ロボットアニメ」があったことは言うまでもない。 またこの「大衆娯楽としての巨大ロボットアニメ」は〝ロマン主義〟と言い換えてもいいかもしれない。ロマン主義はある意味ではリアリズムの真逆だが、旧来のロマン主義にリアリズムを導入したことが、富野由悠季の革命と言えるのかもしれない。 だって、主人公機の頭がなくなって、しかもその上で「たかがメインカメラをやられただけだ!」と言い切る主人公なんて…これまでのロボアニメでは絶対にありえなかった、まったく見たことのない新時代のアニメだったはずだ。 この衝撃がサブカルチャー界に「リアルロボット」という〝新常識〟を打ち立てることになり、まさに「アニメ界のヌーヴェルヴァーグ(新しい波)」を引き起こしたのだ。 ガンダムで面白いのは、兵器をロボットにする=戦争モノに一種の"ファンタジー"を加えることで、現代戦争モノで描かれがちな戦争の悲惨さと愚かしさと、戦争のロマンや華みたいなものを同時に描けている点にある。 第一次世界大戦について、英大統領チャーチルが「戦争からきらめきと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。アレキサンダーやシーザーやナポレオンが兵士達と共に危険を分かち合い、馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。そんなことはもうなくなった」と言ったように、近代戦闘の時代が始まったことで、かつて存在していた戦争の華は失われた。 だが富野由悠季は、ミノフスキー粒子というSF設定や、量産機というミリタリー概念を持ち込むことで、「ロボット兵器での白兵戦」という、中世的な戦争のロマンを、近代戦争において再現することに成功したわけだ。 (ガンダムがミリタリー作品として優れている証拠として、ジオン軍が勝つためのIF=架空戦記シミュレーションが何度も語られたのは、まさにガンダムにおける「一年戦争」が、(単なるロボットバトルものではなく、ミリオタの心を掴む)現実の戦争(1st世代にとっての「太平洋戦争」)さながらに受け取られていたこと等が挙げられる) なおこの手法は、『銀河英雄伝説』でも使われていて、未来の宇宙戦で第一次世界大戦的な艦隊戦を再現している。 そんなわけでビームサーベルでの戦い方は明らかに黒澤的な、侍の戦闘なのだが、ガンダムの「ガン」は銃であり、実際、最期が「ラストシューティング」である以上、ガンダムはやはり近代戦争モノなのである。 だからこそ、ジオンについて「ヒットラーの尻尾」という引用がされるように、ガンダムでは、明らかにナチスや日帝、関東軍(というより日本赤軍?)、近現代のいくつかの独立戦争をモデルにした組織や展開が描かれる。 そのため、子供向けのアニメであるにも関わらず、極限状態下での民間人を徴用しての撤退戦、兵器で人を殺せるようになってしまう優しい少年兵、民間人スパイの悲劇、占領軍の愛人、戦争の長期化による学徒動員、容赦のない主要人物の死……等々、戦争体験世代である富野由悠季ならば嫌というほど知っている、近代の戦争の愚かしさや残酷さ、狂気が、これでもかと描かれているわけだ。 理想的な戦争のロマンを描きながら、リアルでハードな戦争モノでもある。そらウケるわけだし、伝説になりますわ。 さらにガンダムで凄いのは、単純な戦争文学や戦争映画で描かれてきた戦争ドラマを単純にジュブナイル向けアニメーションに書き起こしただけでなく、「ニュータイプ」というSF的概念を導入したことで、新たな手法で人類と戦争の関わりを描いたことである。 ニュータイプ論と戦争論についての詳しい考察は、『逆襲のシャア』の感想を参照。 (実際には、そこに70年代的なしらけ世代感のあるアムロのキャラ像やニューエイジ思想に加え、80年代への萌芽が見られる愛憎劇というかトレンディドラマ感もプラスされているので、当時としては凄い異質な戦争ドラマに映ったはず) ……ところで。 「ガンダム=コロニー落とし」なんて常識の文化圏だったので、当然、ファーストを初めて見たとき、冒頭のコロニー落下映像は、「ジオンのコロニー落とし」と解釈していたが…… 先入観ゼロであのナレーションで映像を見たら、ジオンと連邦の戦争でコロニーが落ちたように思えるという事実に今さらながら気づいて面白い。 でもファーストの小説でもアニメの企画書にもコロニー落としの記述はあるから、これは富野アニメ特有の説明不足のせいでそう(コロニー落下はジオンのせいではないと)解釈させてしたったといういわゆる演出ミスであって けっして「コロニー落としが後付け」とか、「ジオンの悪性を強調しないための意図的な演出」ではないと思うけどね (被害規模とか作戦の詳細は後付けだろうけど)
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おふとん

おふとん

ジークアクス観たらまたファースト観たくなって再鑑賞。フラウが泣きながらホワイトベースに向かって歩き出すシーン泣ける
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シャスイ

シャスイ

ガンダムがザクを一刀両断する場面は、ガンダムが最も格好良く、かつ盛り上がるように描かれていてロボットの典型的な見せ場だが、その後の核融合炉を爆発させずにコクピットのみを貫くという場面の方が印象が強い。 ビームサーベルというガンダムの強力な武装の欠点を初披露にて明かし、直後にその使用制限と共に克服するというのが、第1話で連続的に行われるというのが衝撃だ。しかも、パイロットを焼き殺すという残虐な方法であるという。
Arcsan

Arcsan

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久々の視聴 アムロが初陣で2体のザクをビームサーベルで倒すもコロニーに穴を開け父テム・レイが宇宙に放り出される
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サンライズ

サンライズ

こいつ・・・動くぞ。
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m

m

あれを観た後にこれを観るとWOW…となる
ルマーヴェ

ルマーヴェ

改めて見返す。 懐かしい。 「こいつ、動くぞ」
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ヒジィアレン

ヒジィアレン

冒頭から激アツのSF
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青い朝

青い朝

初めてガンダム観たが予想以上に面白くてびっくり。 人類が宇宙に進出して、地球連邦から独立を宣言して、戦争をして、人類の大半が死ぬ激しい戦争になって何ヶ月、って説明を最初の一分でサッと説明するのはすごいな。手際が良いのか。その長い説明の後コロニーに侵入するザクたちのゆったりとしたシーンが始まるからその緩急の付け方もなんだか楽しい。 ガンダムが初めてザクと対峙して、ザクのパイロットが「あれが連邦軍のモビルスーツか!」って叫ぶと同時にかっこいい煽る音楽が流れるシーンは最高に痺れた。
ちゃっぴー

ちゃっぴー

ジークアクスから来ました(おそらくn人目) マジでジークアクスってファーストガンダムのifなんだな……すごい……
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りりうむ

りりうむ

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GQuuuuuuXから GQuuuuuuXで見たところだ!となった。 ガンダムに向かって走るんだ。 ガンダムに向かって走るのが主人公なんだ。 人の死が容赦なく襲ってくる。 「フラウ、君は強い女の子だろ!」
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レモネード

レモネード

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記録用 初ガンダム 展開が早くて見やすい え?お父さん死ぬの?
サーフ

サーフ

メモ アムロ・レイがガンダムを見つけ、起動させて敵を迎え撃つ初陣が描かれる。 ガンダム、GQuuuuuuX見て興味持って鑑賞なのでここからアムロがガンダム・パイロットとして成長いくか楽しみ てか2話でアムロ、シャアと対峙するの早!
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中年の危機

中年の危機

各話印象的なセリフ ジーン「手柄を立てちまえばこっちのもんよ」
蒼空

蒼空

始まってから4分で スペースコロニーで生活している様子、モビルスーツのなんとなくの現実感、SF設定が面白い。偵察の双眼鏡から視点が変わる。 コロニーでは地球に似せた丘がある。 ブライト 軍に入ってたった6ヶ月 19歳 紫色の髪のアムロの父が飾るアムロの写真を見て 「お子様でいらっしゃいますか」 というブライト ジーンという浅はかなジオン兵が偵察だけでなく攻撃をする。 勝手に出たら、みんなの迷惑になるという高齢者の言葉を無視して外に出てガンダムのマニュアル本を手に入れる。 どんぱちやってるなかで ひゃっほーと言わんばかりに夢中になる。 「私もよくよく運ない男だな」 シャアのニヤけた皮肉を、第一声で言わせる。こうゆうところが当時に中学生高校生の特に女子が、脚本とセリフからガンダムを好きになる要素の一つと思う。 「こいつ、動くぞ」 泣きながら走りザクを阻止するためにガンダムを操縦、、、 なのか?アムロ 機械操縦したいだけじゃない?? 生まれたての子鹿のように立ち上がるガンダム 「なんて攻撃の仕方だ。誰が操縦してる」 アムロは阻止するだけでよかったのに、ザク爆破させた。そのせいでテム・レイは酸素欠乏症で。。。 「認めたくないものだな 自分自身の若さゆえの過ちというものを」 シャアだけのことだけではなかった。
笠置サバ緒memo

笠置サバ緒memo

このコメントはネタバレを含みます

機動戦士ガンダムの1話を久しぶりに鑑賞。なんなんだろこれ…めちゃくちゃ面白い。笑 〈人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになってすでに半世紀が過ぎていた。地球の周りの巨大な人工都市は人類の第二の故郷となり、人々はそこで子を産み、育て、そして死んでいった。宇宙世紀0079、地球から最も遠い宇宙都市サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた。この1ヶ月あまりの戦いでジオン公国と連邦軍は総人口の半分を死に至らしめた。人々は自らの行為に恐怖した。戦争は膠着状態に入り、8ヶ月あまりが過ぎた〉 「このコンピューター組んだら食べるよ」「避難命令聞いてなかったの?」「避難命令?あのサイレンそうなの?」「呆れたー。軍の放送聞かなかったの?軍艦が入港するから避難するんだってさ」「なんで?」「知らないわよ」「アムロ、時間がないのよ!」「分かったよ」 「駄目じゃない。お向かいさんなんでしょ。アムロに教えてあげなくっちゃ」「ああ、避難命令のこと?」「そうよ、一人っきりなんだから」「ア、アムロの親父さんみたいな軍事技術者がここにこなけりゃ僕らは…」「研究施設を作るんで立ち退きさせられたの、まだ恨んでんの?」「そ、そういう訳じゃないけど…」 「アムロ、お行儀悪いのね」サンドイッチ食いながら運転 「入港する軍艦にアムロのお父さん乗ってるんでしょ?」「だと思うよ。1週間前に地球に降りるって言ってたから」「ここも戦場になるの?」「知らないよ。親父は何も教えてくれないもん」 「ブライト君といったね?」「はい」「何ヶ月になるね?軍に入って」「6ヶ月であります」「19歳だったか?」「はい」「ガンダムが量産されるようになれば君のような若者が実戦に出なくとも戦争は終わろう」「お子様(写真)でらっしゃいますか?」「ああ。こんな歳の子がゲリラ戦に出ているとの噂も聞くが、本当かね?」「はい、事実だそうであります」「嫌だねえ」 「私もよくよく運のない男だな。作戦が終わっての帰り道であんな獲物に出会うなどとは。フフッ、向こうの運が良かったのかな?」「はい、シャア少佐。しかし、あんな僻地のサイドに連邦のV作戦の基地があるんでしょうか?」「あるよ。我々のザクモビルスーツより優れたモビルスーツを開発しているかも知れんぞ」「まさか、あんな僻地のサイドで」 「見ろ、私の予測した通りだ」「で…では、連邦軍もモビルスーツを?」「開発に成功したと見るのが正しいな」 「3台目もモビルスーツだ。まだあの中にもあるかも知れんぞ」「叩くなら今しかありません」「我々は偵察が任務だ」「しかし、敵のモビルスーツがあの戦艦に載ったら…」「手柄のないのを焦ることはない…!ジーン、何をする?」「シャア少佐だって…戦場の戦いで勝って出世したんだ!」「おいジーン、貴様!命令違反を犯すのか?やめろジーン!」「フン、手柄を立てちまえばこっちのもんよ。…ヘッ、敵を倒すには早いほどいいってね」 「父が軍属です。こんな退避カプセルじゃ持ちませんから、今日入港した船に避難させてもらうように頼んできます」 ★「こ、これがジオンの…ザクか」 ★「コンピューター管理で操縦ができる…教育型タイプコンピューター…すごい、親父が熱中する訳だ」「アムロー!アムロ、何をしてるの?」からのサービスカット ★「フラウ・ボゥは港に上がれ」 ★ 「避難民よりガンダムが先だ。ホワイトベースに上げて戦闘準備させるんだ」 ★「父さん!」「ん、アムロ、避難しないのか?」「父さん、人間よりモビルスーツの方が大切なんですか?」「早く出せ」「父さん!」「早くホワイトベースへ逃げ込むんだ」「ホワイトベース?」「入港している軍艦だ」 ★「フラウ、君までやられる。逃げるんだフラウ」「イヤよ!」ビンタからの「しっかりしろ!君は強い女の子じゃないか!港まで走るんだ。走れるな?フラウ・ボゥ。僕もすぐ行く。行くんだ!走れ、フラウ・ボゥ!…走れ、フラウ。そ、そうだ…フラウ・ボゥ…い、いいぞ」 ★「コイツ、動くぞ…同じだ。こいつか?…すごい。5倍以上のエネルギーゲインがある。やってみるさ」 ★「な、なんてモビルスーツだ…ライフルをまったく受け付けません!「見てろよ、ザクめ!」「我々は偵察が任務なんだぞ。退くんだジーン」「なに言ってるんです!ここで倒さなければ敵がますます…!」 「おお!立った!」 ★「技師長!味方のモビルスーツが動き始めました!」「動く?なんて攻撃の仕方だ。誰がコクピットにいる?」「…あっ、弾が切れた」「やってやる…いくら装甲が厚くたって!」「き、きたあ!」「へっ、怯えていやがるぜ。このモビルスーツ」 「…あれが連邦軍のモビルスーツの威力なのか?」 ★「モ…モビルスーツのエンジンをやればサイド7もやられちゃうかもしれない。ど…どうすればいいんだ?」「ええい!よくもジーンを!」「…どうする?コクピットだけを狙えるのか?今度ザクを爆発させたらサイド7の空気がなくなっちゃう」 「ガンダムの運搬は?」「正規の技師がほとんどやられてしまったようで進んでいません」「あれにもやってもらおう」「は?」「正規のパイロットだろうとなんだろうと手伝ってもらわなければなるまい」 ★「スレンダーは?」「サイド7を脱出して本艦に向かっております」「認めたくないものだな。自分自身の…若さゆえの過ちというものを」
子供がみるには政局も入る小難しい話なので放映当時人気が無かったのもわかる気がします。 おおよそ主人公向きではない内向的なアムロ。建造したての最新鋭艦ホワイトベース…ピカピカ。ガンキャノン、ガンタンクがあっさりやられる。 序盤からゲリラ戦で引き込まれます。アイキャッチのシュー!インパクトある。 マニュアル一読でガンダム動かすアムロ…さすがニュータイプや。フラウ・ボゥの家族ってここで死んでしまうのか…。 若さゆえの過ちというものを…初回で出てくるのか。 初回から引き込まれるなぁ。
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ソウ

ソウ

1話から名言多すぎる。 軍事施設拡張のために立ち退きさせられたハヤトが不憫。だからアムロとギスギスしてんのね。でもアムロが正しいときはちゃんと味方についてくれるフラットさが好き
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魂コシ

魂コシ

今更鑑賞シリーズ 簡易メモ アムロにシンジ君味を感じた。
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まー

まー

改めて観てみると面白すぎて引き込まれる☺️
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てふてふ

てふてふ

またみるのがたのしみ
えりみ

えりみ

1話目から名台詞たくさん
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ヨッシー

ヨッシー

一話からして他のアニメと一線を画していた。今更ながら凄いアニメ。革新的
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たまき

たまき

1話から女ぶっ叩く主人公に笑う
青

シャアの「認めたくないものだな若さゆえの過ちというものを」という発言は、何の行為を過ちだと認識したうえでの発言なの?
流之助

流之助

認めたくないものだな、若さ故の過ちというものを
ゆーり

ゆーり

オススメされたけどやっぱり昔のアニメだから絵とかセリフとかいろいろ気になる。気が向いたら続きも見てみる!
ぷりん君

ぷりん君

初めて見るものだから耳慣れない言葉が多くて、ザクが何たるか理解したりしながら見なきゃで脳が疲れた。 途中まで間違えてZガンダムを見てたけど、 アムロもカミーユも超マザコンじゃない? 女のこと杜撰に扱っても世話焼いてずっと守って付いてきてくれるお母さんみたいに描いてて、本当に超キモい。